おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

501_仏言葉ー035 ー 良き言葉を語れ

第 2 章 人間関係に気疲れする

35.言葉の非暴力を選ぶ

立派な人々は説いたー
(ⅰ)最上の善い言葉を語れ。(これが第一である。)
(ⅱ)正しい理(ことわり)を語れ、道理に反することを語るな。これが第二である。
(ⅲ)好ましい言葉を語れ。好ましからぬ言葉を語るな。これが第三である。
(ⅳ)真実を語れ。偽りを語るな。これが第四である。

(サンユッタ・ニカーヤ より)

佐々木さんによると、これは言葉に気をつけよ、という教えだそうだ。

穏やかで、思いやりに満ち、道理に則り、嘘をつかないこと。

非暴力を説く仏教は、言葉の暴力についても敏感な宗教なのだそうだ。

ただ・・・。

中村さんの本のこの前後を読んだのだが、どうもこれらは抽象的で把握しにくいと感じる。

もう少し、具体例を織り混ぜた経文だったらよりわかるだろうに、と思った。

最上の善い言葉って何?

よくわからない。

お釈迦さんの教えのことなのか?

理は物事の道理でもあるから、筋の通ったことを話せ、ということなのか?

「好ましい」とは、何をもって好ましいと言うのか?

私達は、よほど因縁が悪く判断能力まで支障をきたす状態でない限りは、真善美に適うか否かを判断する能力をもっている。

この真善美に適う、悖らないことで、しかも、人に愛を感じさせる言葉が好ましい言葉なのか?

好ましからぬ言葉とは、真善美に悖り、愛に背き、人を不快にさせたり、悲しくさせたり、苦しめる言葉なのか?

真実。

何をもって真実というのか?

甲によって真実と思われることが、乙によっては真実とは思われないかもしれない。

絶対の真実が仮にあるとして、甲だけがこの真実にたどり着き、その他、地球上の 70 億人は真実にたどり着かないかもしれない。

絶対なんていうものが本当にあるのか?

嘘をつくな、ならわかるんですけどね。

あー、そうか、そうか、で素通りしやすいけど、突き詰めると、結構、難しい話のような気がします。

とりあえず、

(ⅰ)は、お釈迦さんの説かれたような真理。真善美に悖らない言葉を語ること。

(ⅱ)も、大体同じ。

(ⅲ)は、神様は愛だから、愛に満ちた言葉を語ること。

(ⅳ)は、まあ、嘘をつくな、でいいんじゃないですかね。(*)

そんなふうに考えます。

~~~~~

(*)何でもかんでも、杓子定規に、すべてありのまま、絶対に嘘をつかない。

果たして、これだけで、いいのだろうか?

まともに真実を告げて、相手を多大に傷つけるような場合でも、本当に構わないのか?

嘘も方便ということは、許されないのか?

確かに理屈では許されないだろう。

しかし、嘘をつく罪を引き受けて、相手を傷つけない、痛めない、という行き方も、愛にもとづいた行いとしては、アリなのではないか?

個人的にはそう考える。

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①追記: 2021/09/09 00:22
②追記: 2021/09/09 23:56
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文及び表題を訂正しました。