おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

457_想いと記号3

だいぶ前に書いた、肉体人間の想いとこれをあらわす言葉や数字などの記号化された意思伝達手段について書いたものがあります( 436_想いと記号 と 438_想いと記号2 )が、これについての補足をします。

まずは、おおざっぱに振り返ります。

言葉や数字には、意思が伝達できるように概念が込められています。

つまり、突き詰めると人間のその概念に対する理解の有り様という、人間の想いが込められていると解釈できる訳です。

そこで、これらの意思疎通の道具として用いられる言葉や数字が、
①あらかじめ神様からそのご意思を託されているものか、
または、
②それほど神様のご意思が託されていなくても、(肉体を含めた)人間の慣用によって想いが集積してこもり、それが力を持つことで、何らかの作用をもたらす力を得たもの(迷信など)か
の 2 つに大別しました。

そして、現在進行形で言葉や数字が発する時は、上記 2 つの場合のように、すでに意味づけがなされている場合には、それなりの力があり、新たに抱いた想いの場合には、肉体人間の本体が神様の分け命、つまり、本質が神様であるところから、言葉はすなわち神なりき、でそれなりに力があるが、その言葉や数字を使う(発する)肉体人間の浄まり具合にも左右され、極限まで極まり悟りを得た場合ならば、神様にふさわしい行いを自由無碍、自由自在に行えるはずですが、これは現代ではまず望めないと考えられ、そうでない場合には、それなりの力に加えて幽界の生物などの後押しがある可能性があると書きました。

その中で、上記の ② の場合に、肉体人間の想いが集積してこもり、それが力をもつ、としたところについて、補足します。

肉体人間の想いは、たくさんの過去世の想いが潜在意識に記録されていて、それの集まったものが、肉体人間全体としての想いの世界である、幽界にたまります。

個々人での潜在意識で、まだこの世に具現化されずあらわれきっていないもので、幽界にたまっているものが、ある程度の大きな流れを形成している場合には、やはりこれはこの世での具現化を待つものとなります。

想いの集積と具現化がたくさんの人々で習慣化されてしまうと、なかなか清算されずに想いが幽界に残り、やはり、これもこの世での具現化を待つものとなります。

なので、一度、かなりの人々の間で、習慣化されたものが、この世で具現化しきらずに残り、また再循環するという形で、あまり好ましくない迷信などとして残る可能性があります。

つまり、迷信などに対する人々の想いが幽界に残ったために、浄めるなどして清算しない限り、この世での具現化を待つものとして残ることになる訳です。

肉体人間の発する想い
→ 幽界にたまる
→ 浄めて清算されない限りこの世での具現化を待つ

の過程があります。

想いが迷信などとして力を持つ場合は、基本がこれだと考えられます。

真善美に悖らない良い想いも、悖る悪い想いも、それなりに力がある場合には、これに加えて幽界の生物の後押しが考えられることになると思います。

ですので、やはり少しでも迷信などは減らしていくことが好ましいので、幽界全体を浄めるためにも、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をお願い致します。

以上、過去の想いと記号( 436_想いと記号 と 438_想いと記号2 )についての補足です。