おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

552_仏言葉ー084 ー 仏教の基本

第 5 章 やりたいことが見つからない

84.現代にも受け継がれる教え

すべて悪(あ)しきことを為(な)さず、
善いことを行い、
自分の心を浄めること、
ーこれが仏の教えである。

(ウダーナヴァルガ)

佐々木さんは、この経文の仏をブッダと訳している。

中村さんの注釈によると、本来はお釈迦さん以外の他の宗教(ジャイナ教など)でもブッダとなる人はいて、それはダンマパダ(法句経の(一八三))などにも複数形として書かれている(*)のだが、このウダーナヴァルガでは、単数形となり、これは仏教の仏、すなわち、お釈迦さんをあらわし、当時は既成宗教としての仏教教団の権威が確立していたことを示しているそうだ。

佐々木さんによると、この経文は、悪いことをせず、良いことを行い、心を浄めるのは、仏教の基本中の基本で、私達が日頃行うべきことを端的にあらわしている有名な言葉だそうだ。

一つ気がついたのは。

この経文に書かれている内容の順番のこと。

良いことを行い、
悪いことをせず、
心を浄める。

とはなっていない。

まず、
悪いことをせず、
が最初にきている。

ということは、当時の一般的な人々は、霊性がまだまだ開発されていない、修行が必要な人が多く、迷いがちで、悪い行いに引きずられやすい、と認識していたのではないですかね?

だから、まずは、
すべて悪(あ)しきことを為(な)さず、と
悪いことをしない、
という内容を先頭に持ってきている。

そんなふうに読み取れます。

この世は苦(必ずしもすべてではないのだが・・・)だ、という言葉とともに、仏教の人間観が垣間見える経文ですね。

すなわち、この世に生まれてくると、
自己保存の本能により、自分と認識する肉体中心の利害得失をはかることと、
そして、
肉体を持つことがゆえの固有の避けることのできない生老病死と、
たくさんの過去世で作ってしまった真善美に悖る業想念である悪い因縁の償いによる苦労、
があるので、
どうしても、自分の思うがままにならないことが多く、
つらかったり、苦しかったりすることがあるので、
楽な方へ、
ともすると(下手をすると)、
悪い方へ向かいがちになる。

だから、頭に悪いことをせず、と持ってきている、と。

霊性の面から、この経文を見直すと、仏教の人間観は、このように再解釈できます。

~~~~~

(*)ダンマパダ(法句経)
(一八三) (第14章 ブッダ より)

(中村さん訳)
すべての悪しきことをなさず、
善いことを行い、
自己の心を浄めること、
ーこれが諸の仏の教えである。

( S さん訳)
一切の悪を犯さないこと。
善に至ること。
心を清らかにすること。
これが諸仏の教えである。

(今枝さん訳)
自分の心を浄め
いろいろな悪いことをなさず
いろいろな善いことを行うこと
これが諸々のブッダの教えである

このように今まで本を参考にさせて頂いた著者の皆様は、いずれも複数形として訳していらっしゃいます。