おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

533_仏言葉ー066 ー 流されない

第 5 章 やりたいことが見つからない

66.激流に負けない

今回から、第 5 章に入る(経文の改変あり)。

思慮ある人は
励み努め、自制し
自らを激流に押し流されない
島(=依(よ)りどころ)とする。

(ダンマパダ) (二五) (第2章 励み より)

佐々木さんは、激流を煩悩にまみれて苦しさに溺れながら生きなければならない私達の日常だとしているが、今枝さんの注釈によると、この激流は、欲望、煩悩のたとえだとなっている。

佐々木さんによると、この経文は仏教の自分で自分を救うという基本的な理念を端的にあらわしているそうだ。

今枝さんは、(八五)、(二一八)の偈(げ。詩文。ここでは経文のこと)参照としてあるので、これも引用してみる。

人は多いが
向こうの(安らぎの)岸に渡る人は少ない。
多くの人は
こちらの(苦しみの)岸でさ迷っている。

(八五) (第06章 賢者 より)

( (八五)については 520_仏言葉ー054 ー 彼岸への渡り方 参照 )

言葉ではあらわせない境地(=安らぎ)を志(こころざ)し
心は満ち足りて
感覚的快楽に囚われない人
彼は「流れを上る人」と呼ばれる。

(ダンマパダ) (二一八) (第16章 愛しきもの より)

今枝さんの注釈によると、流れを上る人というのは、欲望は激流にたとえられ、修行・実践は、その激流に打ち勝ち、下流に押し流されず、むしろ上流を進むことにたとえられるので、こうした修行・実践する人を流れを上る人としているようだ。