おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

593_ひしみー015

01 釈迦はいかなる存在か

大乗仏教から見た釈迦

以下の内容は、また私の独断と偏見となる。

私なりの、ひろさんの考え方の解釈や意訳も含むし、今まで以上にきつい内容となるが、お許し頂きたい。

1.大乗仏教の権威の確保について

ひろさんは、大乗仏教は、この世もあの世も、さらには、ありとあらゆる認識できる世界も認識できない世界も、すべてをひっくるめた、あるがままの大元のものである世界を宇宙、または宇宙の真理として、そこからメッセンジャーとして派遣されたのが、お釈迦さんなのだから、絶対権威を持つのだ、だから、宗教的な礼拝の対象にもなるし、ソクラテス孔子などのあくまでも人間にしか過ぎない存在(ひどい)が説いた真理、すなわち、地球的な真理とは格が違うのだ、絶対なのだ、と言いたがっているように見える。

そして、こうした宇宙のメッセンジャーとしての真理を説く者としての、一般の阿羅漢とは異なり、はるかに格上の誰にも届かない、いわば特別な仏陀観を唱える。

そして、その特別な仏陀は、お釈迦さんただ一人とする。

小乗仏教のような、あくまでも人間としてのお釈迦さんだと、その説く真理は、ソクラテス孔子の説いた地球的な真理程度のものに堕するから、と言わんばかりに。

小乗仏教の人間としての仏陀観では、必ずしもすべての人は、認めてくれない、受け入れてくれない、従って、その教えも真理とはならない、それでいいのか、と言っている。

人間仏陀観では真理としてのダルマも唯一無二の絶対なものとはなり得ないから、正義のぶつかり合いの戦争や、バラモン教ヒンドゥー教にあるような明らかな差別を伴う身分制度において生じるような複数のダルマ=本分を認めることにつながるからだめなのだ、と言いたいらしい。

だから、唯一無二の絶対神(?)ならぬ、宇宙の真理を持ち出し、これが元だから、いやが上ににも権威はあり、従って、そのメッセンジャーとしてのお釈迦さんにも絶対の権威があるし、その教えも絶対なものだ、としたいのだろう。

しかし。

仮に、宇宙の真理だ、何だ、としても受け入れない人は受け入れませんよ。

なぜならば、皆さん宗教的なものも含めてそれなりの過去世の因縁があるからです。

因縁因果という輪廻転生を通した法則は、唯物論の理屈や説得では、克服することはできないからです。

これでは、仏教徒以外の人の、唯物論者を説得することはできないし、他宗の信奉者を改宗することはできませんよ。

それでも構わない、とにかく、こうした絶対権威の下に、お釈迦さんとその教えの仏教を位置づけておくのだ、となると前に述べたような、消極的、後ろ向きな理由さえも考えられます。

それは。

ソクラテスやカントや孔子などなど、哲学や他宗に対しての自らの信奉する教えの大乗仏教の牙城を守れないから、それを最低限は確保したいという動機と、自らの信仰の屋台骨というか、柱を置かないと、確固たる信仰ができない、という消極的な理由です。

現実問題として、大乗仏教が、どんなあらゆることに通じた真理を元にしたものだと、高らかに(?)宣言したとしても、言葉は悪いですが、これでは、形としては、教条主義に似ているのではありませんか?

ピーターの法則(?)ではないですが、教条主義は、例えば、社会主義が崩壊した例にあるように、マックス・ウェーバーの官僚制の弊害が、資本主義から社会主義へ、ひいては、独裁へとなる欠点を孕(はら)むのではありませんか?

社会主義共産主義がその理想通りにいくには、どうしても、社会を構成する各人一人一人が、きわめて高い霊性を持たなければうまくいきません。絶対に無理です。

ましてや、マルクスのような唯物論の思考しかしなければ、自分本位の利害得失計算は免れないのだから、常に、汚職、腐敗、そして最悪は恐怖の独裁になりかねません。

これと同じように、ただ、自らの教えは絶対宇宙の教えなのだ、といくら高らかに宣言しても、前に書いたように、現状打破以上の効果はないし、腐敗や独裁の弊害の可能性を排除することはできないのではないですか。

なので。

ひろさんが、大乗仏教の権威を保つことに固執する理由が、今一つ、スッキリとはわかりません。

2.絶対宇宙について

ひろさんのいう、インド的な宇宙、あるがままの宇宙、すなわち、元々からある絶対宇宙、絶対真理、そしてそこから来たれし者が、お釈迦さんに他ならない。

だから、お釈迦さん=釈迦仏・・・。

とするよりも、ありとあらゆるものは、神様から始まった。

その神様が何らかの意図を持って、この世に遣わしたのが、後に出てくるように、肉体人間として、たくさんの過去世で修行を積んだお釈迦さん、と理解した方が、はるかにわかりやすいし、自然ではないですか?

今まで、中村さんや S さん( スリランカ仏教界のアルボムッレ・スマナサーラ長老 )や、そして、ひろさんも、霊魂はともかく、輪廻転生という生まれ変わりを認めているということは、輪廻転生を通した霊性の開発=向上がある、と認めていることに他ならないのではありませんか?

その最終的な仕上げとして、輪廻の解脱とともに、世の中の人を助け、導くために、神様からこの世に遣わされたのが、お釈迦さん、その人である、とした方が、ずっとスッキリすると、思うんですけど。

権威が得られない、もっと言ってしまうと、説き伏せたい(?)人の過去世の因縁因果は変えることはできない、破れない、という場合には、祈りや感謝行によって、神様の光というご加護を頂けるものなら頂いて、因縁を修正して頂くより他にないと思うんですけどねえ。

あとは、神様のみ心に適った行いで、やはり、神様のみ光を振り撒く、そうすることによって同じく神様のお命を頂いている同胞の肉体人間を感化するしかないと思います。

お釈迦さんも玄奘三蔵さんも、世のため人のために何十年と捧げ尽くした。それにもかかわらず、仏教はまだまだ他宗に比べて厳しい状況です。

前に仏教が祖国インドで他宗に掃討されたと書きましたが、日本でも戦時中たくさんのお坊さんが戦地に慰問に派遣された、いわば、戦争協力を強いられたのではないですか。

そんな辛酸を嘗(な)めても、いまだに仏教はこうした厳しい状況です。派閥も分かれている。

この状況で、果たして、宇宙の真理という絶対権威をまとうだけで、仏教、ことに大乗仏教の著しい布教の進展か叶うでしょうか。

かなり、難しいのではないですか。

それでも、あきらめずに、地道にやっていくしかないと思います。

やるだけやって、それでも力及ばなければ、それもまた、神様のみ心、神様の思し召し。

そうしていくしか、ないんじゃないですかねえ。

どうなるかは、わかりませんけど。

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①追記: 2021/11/15 00:10
②追記: 2021/11/15 05:20
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。