おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

604_ひしみー026

03 伝説が語る「真実」

・アシタ仙人の予言の意味

前回( 603_ひしみー025 )は書かなかったが、ひろさんは、史実と伝説の区分けについて、次のようにお考えだ(と思われる)。

お釈迦さんが歴史的な人物として注目されたのは、彼が悟りを開いて仏陀となり、教団を組織して、これが大きくなってからのことだ。

それ以前の彼は、あくまでも、一人の無名な青年に過ぎない。従って、世間の人々から注目などされるはずはない。当たり前だろう。

そして、お釈迦さんは教団を組織して一応公的な人間となっても、お弟子さん達にわざわざ自らの個人的な履歴を語ったとは思えないのだ(*1)。

ゆえに、お釈迦さんに関する伝記はほとんどが伝説のはずだ、と。

そして、ひろさんは、お釈迦さんという宗教家のこの世への出現に関して、
前回の占相婆羅門(せんそうばらもん)という占い、
と、
アシタ仙人の予言(スッタニパータのナーラカ経に伝わる伝説。子細についてお知りになりたい方は、すみませんが、 152_原仏8ー2 と 153_原仏8ー3 を参照して下さい)と、(*2)

とりあえず、 2 つのものをあげている。

で、ひろさんのお師匠さんの(指導教官だった)中村元さんは、古い伝説の方が史実に近いとしていることに対して、疑問を呈している。

伝説の前後があったところで、所詮、伝説は伝説に過ぎず、史実とは言えないのだ。だから、古いものを殊更に重視するのはおかしい、と。

という訳で、ひろさんは、占相婆羅門の伝説の方が面白く、お釈迦さんの人生に対する暗示が隠喩されている(なんじゃ、これ。暗示が含まれているだけでいいじゃん)としている。

なので次回は、占相婆羅門の伝説を検討するという。

~~~~~

(*1)私もそう思う。お釈迦さんとは、多分、そうした人格の人だ。

お釈迦さんは、わざわざこれ見よがしの自慢や威嚇などの、低級で愚かしい真似をする人間には読み取れないからだ。

なぜならば、奇跡を見せるのは必要に応じていたからだ。

奇跡を見せたのは、三迦葉(さんかしょう)の三兄弟の長男優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)を神通力競争(?)で屈服(?降参か?)させて、お弟子にした時くらいだろう(その他は、まだ、勉強不足なのでわからない)。

(*2)ひろさんは、アシタ仙人の予言は、予言とは言えないとして、かなり手厳しいことをお書きになっている。

すなわち、おおよそ、以下の通り。

私に言わせれば、アシタ仙人の予言は、予言とは言えない。それは、シッダールタ太子が仏陀となり、仏教教団を組織したことを前に持ってきて、アシタ仙人という架空の人物に語らせただけである、と。

いやあ、辛辣ですね。

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①追記: 2021/11/26 00:47
②追記: 2021/11/26 01:03
③追記: 2021/11/26 01:11
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。