おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

606_ひしみー028

03 伝説が語る「真実」

・釈迦国は弱小国であった

さて、前回( 605_ひしみー027 )から持ち越した、政治家になるか、宗教者となるか、そのお釈迦さんの迷いと悩みが、占相婆羅門の予言に投影されていることから、ひろさんは、この予言を好むとした理由を説明する。

簡単にまとめる(かなりの改変・意訳・省略あり)。

ひろさんによると、
要は、お釈迦さんは
立派な大国の王子として生まれた人ではなかったのであり、
王位継承も定かではなかったのであり、
生活面ではある程度恵まれていたにしても、
青少年期には(ひろさんの解釈では青年期となるがここでは私的に青少年期とする)特有の将来の道に対する哲学的な悩みもあっただろう、
と推定している。

ひろさんは、諸種類の仏伝が、お釈迦さんを大国の王子のように描き、幼少時から帝王学を学び、文武両道にわたって優れ、しかも、おっとりとおおらかに育ったとするのは、粉飾だとしている。

つまり捏造だ。

実際の彼は、零細企業の跡取り息子さながらに、前途を憂いながら生きていたはずだ(ひろさんは、そこまで言うと誇張表現だと言う。だったら書かなきゃいいのに。グダグダだな。どっちなのよ?)。

釈迦国は、今の日本の千葉県くらいで、タラーイ盆地のあたり、東西約 80 km、南北約 60 km ほどの小さな地域であったらしいとのこと。

つまり、ひろさんは、釈迦国とは、国というよりも地方豪族のような、釈迦族だったのではないか、と推定している。

これでは、当時のマガダ国とコーサラ国という大国に挟まれ、なおかつ、後に釈迦国を滅ぼした宗主国のコーサラ国に、いつ滅ぼされるかもわからない小さな国だから、常に(自分が立派に独立した人類の指導者と成り得たとしても)祖国がいつ滅ぼされるかもわからない、という不安と残される者に対するおそらく深い憂慮を抱えながら生きていた、とひろさんは言いたいのだろう(ひろさんはここまでは書いていないが、これは勝手な推測による付け足し)。

シッダールタ太子という呼称すら、いささか、仰々しいとするひろさんは、このような理由で、占相婆羅門の予言の内には真実が語られているから、面白い。

そういうことらしい。