04 シッダールタ太子の問題意識
・戦後日本にはびこる「弱肉強食」の常識
ひろさんのお話をとりあえず見てみる(かなりの改変などあり)。
読者はどう思われるか?(*1)
小さな虫けらを小鳥が啄(ついば)み、さらに、それを猛禽類が補食する。
読者の中には、この有り様を見て、「おぞましい・むごい・残酷だ」と感じるシッダールタ少年の感覚・感性を「女々しい」と思われる方がいるだろう。いや、大部分の方がそう思われるに違いない。
だが、私(←ひろさんのこと)に言わせればそれは違う。そのように思う現代人の感覚こそがおかしいのだ。
狂っているのである。
いつの頃からか、私達(ひろさんはよく我々と書くが私達に変える)日本人は、弱肉強食が自然の法則だと思い込むようになった(???)。
時田昌瑞著 「岩波 ことわざ辞典」によるれば、この弱肉強食は、弱いものを強いものが餌食にし、強者だけが繁栄すること。動物・自然界にはよく見られる現象で、中国・唐代の詩人・韓愈(かんゆ)の言葉にもとづく、とされている。
そして、この解説に加えて、明治以前の日本では、この言葉の使用例は少ないとされている。
さらに、この弱肉強食を掲載している、ことわざ集・辞典は、数種類しかないとした上で、
・・・この弱肉強食という言葉が小型の辞典に収録され一般化するのは、意外にも昭和 30 年近くになってからのようだ、とされている。
(以下もずっとひろさんのお話)そう言われるとそんな気がする。だとすれば、私達が弱肉強食を自然界の法則と考えるようになったのは、戦後教育の結果だ。
そして、私達は、自然界が弱肉強食の原理で成り立つなら、私達の人間社会にも当然にこの弱肉強食の原理を導入すべきだと信じ込まされてきた。
いや、導入ではない。人間社会もこの弱肉強食の法則で成り立っているのだ、と私達は知らず知らずのうちに、信じ込まされてしまったのである(???)。
この世は弱肉強食の世界である。それが当たり前のことになってしまった。
すると、どうなるか?
当然のことに競争原理が肯定されることになる。
強者が繁栄し、弱者は泣きの涙で暮らさねばならぬ。競争の勝者はこの世の春を謳歌し、敗者は悔しさに臍を噛まねばならぬ。(*2)
これは自然の摂理なのだから、何も弱者に同情などする必要はない。
お前さん達は、競争に敗れたのだから、仕方がないではないか。
すべては、お前さん達の自己責任である。
戦後の日本の教育は、このような常識を作り上げてしまった。
しかも(?)、ブツブツ文句を言う敗者も、この常識を疑うことはしない。
まあ、俺が悪いんだから・・・、と自嘲的にあきらめている。(*3)
だが、実は、そこのところに疑いを差し挟んだのが、他ならぬシッダールタ太子であった。
私(←ひろさんのこと)はそのように考える。
次回に続きます。
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(*1)前回( 611_ひしみー033 )の内容のこと。
虫→小鳥→猛禽類、という形でそれぞれ力弱く小さなものが、力強く大きなものに、いとも簡単に命を奪われて補食されてしまう、命を平等と見た場合に、ひどい、むごたらしい、残忍だ、と思われる食物連鎖のことを指しているのだろう。
(*2)・謳歌~おうか~(もと、君主の徳をほめたたえる歌の意)①声をそろえてほめたたえること。賞賛。
②幸せな状況を十分に楽しみ、その喜びをあらわすこと。
(用例)青春を謳歌する。
ここでは、②の意。
・臍~ほぞ~へそ。
・臍を噛む~後悔する。→噬臍。
・噬臍~ぜいせい~(自分のへそを噛もうとしても届かない意から)どうにもならないことを悔やむこと。後悔すること。臍を噛むこと。
(*3)自嘲~じちょう~自分で自分の欠点や行動をあざけり笑うこと。
(用例)失敗を自嘲気味に語る。
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①追記: 2021/12/04 15:15
②追記: 2021/12/04 16:20
③追記: 2021/12/05 05:05
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、注釈を訂正しました。