おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

616_ひしみー038

04 シッダールタ太子の問題意識

・「俗流科学」のいかがわしさ

適当にいく(改変などもあり)。

では、釈迦は何を教えたか?

繰り返し言っていることだが、それをここで書く訳にはいかぬ(←そう書いてある)。それは釈迦が悟りを開いた後に書くべきことだ。

釈迦が教えた仏教の基礎は ー 如実知見(にょじつちけん) ー にある。これは「その如く=あるがまま」の意で、あるがままに物事を知見するのが如実知見である。それが悟りなのだ。

ということは、釈迦は如実知見によって、問題を解決したのである。

その点では、実は「俗流科学」が困ったものなのだ(←そう書いてある)。俗流仏教も困ったものだが、もっと困るのが「俗流科学」である。

仏教の専門家であるはずのお坊さんが「俗流仏教」に毒されているのみならず、科学の専門家であるはずの科学者の大部分が「俗流科学」に毒されている。

そして、その毒された教義、ものの見方を世の中にはびこらせているのだ。だから、世間の人々は、その毒された教義、歪(ゆが)んだものの見方を、「科学」の教える真理だと錯覚する。まことに困ったことだ(←ほぼそう書いてある。以下も同様)。

私が何を言っているのか、おわかりになりますか?

私達は、自然界は弱肉強食だと教わった。それが「俗流科学」の教えである。

そのことを指摘したいのである。

小鳥が虫を食い、その小鳥を猛禽類が補食する。もしも、この自然界の有り様(ありよう)を弱肉強食という言葉で説明するなら、それは「俗流科学」である。そして、「俗流科学」は間違っているのだ。

では、何と説明すればよいのか?

そのように問われるなら、それは正しくは、ー 食物連鎖 ー である。

緑色植物は太陽エネルギーを有機化合物の中に取り込む。

この緑色植物を生産者とすれば、

それを食べる小動物が一次消費者になる。

一次消費者を補食する二次消費者の補食小動物がいて、

さらには、小型小動物を補食する大型肉食動物が三次消費者になる。

例えば、北極圏のツンドラにおいては、

トナカイゴケ(生産者)

ライチョウ(一次消費者)

→ホッキョクギツネ(第二消費者)

→シロクマ(第三消費者)

といった食物連鎖が成立している。

これが自然の構造なのだ。これによって、動物も太陽エネルギーを食べることができるのだ。

この食物連鎖俗流科学は弱肉強食と説明する。これはとんでもない間違いだ。

なぜならば、食物連鎖は異種の動物間で成り立つ話だ。シロクマがホッキョクギツネを補食するのである。

ところが、弱肉強食は、強い者が弱い者をやっつけてよい、いじめてよいといった言葉に受け取れる。ウソではない。

例えば「広辞苑」によると、弱肉強食は以下のようになる。

(弱いものが強いものの餌食になる意)弱者の犠牲の上に強者が栄えること。

これだと、強いシロクマが弱いシロクマをいじめ、やっつけ、食べてしまうことになる。自然界ではそんなことはあり得ない。強いライオンが弱いライオンをいじめると、種が滅びてしまう。

つまり、弱肉強食 ー 弱者の犠牲の上に強者が栄えること ー は、自然界ではあり得ないのに、私達は俗流科学のために、それが自然の法則であるかのように思い込まされたのだ。洗脳されてしまったのだ。

その結果、シッダールタ太子が、虫→小鳥→猛禽類と補食される食物連鎖を見て、おぞましいといった感想を抱いたことに対して、なぜに自然界の当たり前のことに疑義を抱くのか、と女々しい態度だと思ってしまうのである。

すると、私達の現代の日本社会が激烈なる競争社会になっていることに無批判になってしまう。

競争は自然界の法則なのだから、競争に文句をつける奴がおかしい、となってしまうのだ。

こうして、私達は批判精神を失い、体制擁護(ようご)の保守派になり、知らず知らずのうちに弱い者いじめをやるようになる。

しかも、それを「仏教」の名においてやるようになる。困ったことだ。

とのこと。

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・いかがわしい~如何わしい~①うさんくさくて疑わしい。信用できない。
(用例)いかがわしい記事。いかがわしい人物。
②道徳上、風紀上よくない。
(用例)いかがわしい場所。
ここでは、①の意。

・如実~にょじつ~現実と違わないこと。事実そのままであること。
(用例)現場が犯行の様子を如実に物語っている。

・知見~ちけん~①知ることと見ること。また、見て知識を得ること。
②知識。見識。
(用例)狭い知見。
③(仏教語)悟り。真実の知恵。

・歪む~ゆがむ~①ねじれたり、曲がったりして本来の形でなくなる。
(用例)苦痛で顔が歪む。ネクタイが歪む。
②心や言動が正しくなくなる。
(用例)歪んだ性格。
ここでは、②の意。

・擁護~ようご~かばい守ること。
(用例)人権擁護。