おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

617_ひしみー039

04 シッダールタ太子の問題意識

食物連鎖は共生の原理

適当にいく(改変などあり)。

時計の針がちっとも先に進まないので、書いている本人(←ひろさんのこと)がヤキモキしているのだが、大事なことなのでもう少し続ける(←そう書いてある。以下もほぼ同様)。

弱肉強食から導かれるのは、先に述べたように、ー 競争原理 ー である。自然界は弱いものは強いものにやっつけられるようになっている。だから、人間社会においても、競争の勝者が得をして、敗者が損をするのが当たり前である。

負け犬が、自分が競争に破れたことを棚に上げて、勝者に向かって文句を言うのはおかしい。負け犬は尻尾を巻いて黙っていろ! ・・・ そうすると、強者も情けをかけてくれるだろう。そのような論理が、弱肉強食から出てくる。

そして、現代の日本社会には、このような論理が横行している。

それは俗流科学が蔓延させた論理である。そして、ペテンの論理である。インチキな論理である。

とんでもない!

自然界は弱肉強食ではない。自然の世界で競争をすれば、強いライオンが弱いライオンをいじめるなら、ライオンが絶滅する。自然界には競争はない。

でも、犬と犬がケンカをする。ネコだってケンカをするではないか、そう反論される方がおられるかもしれない。

しかし、犬やネコは家畜である。家畜というものは自然ではない。話をごっちゃにしないでほしい。

動物園の動物だって、自然ではない。一番自然から遠い動物は、人間だ。だから、人間は競争するのである。

自然の世界の構造は、食物連鎖である。食物連鎖は弱肉強食ではない。

そして、食物連鎖を成り立たせているのは、ー 共生原理 ー である。

競争原理の正反対である。

こんな例がある。アメリカのアリゾナ州にある自然公園で、公園当局は鹿を増やすために、ピューマやコヨーテ、ジャッカル、狼などの肉食動物を絶滅させた。

すると、鹿は増えたのだが、10 年後には鹿が増えすぎた結果、食料がなくなり、鹿は絶滅に近い状態になってしまった。

いや、鹿が死に始めたのは、まだ食料のある段階だった。鹿の増殖が、鹿同士の過密状態を招き、どうやら鹿がストレスを感じたための死である。ちょうど、私達が満員電車でストレスを感じるようなものだ。鹿は内臓破裂などを起こして死に、その後で食料不足による絶滅となった訳だ。

私達は、狼は鹿の敵であり、狼さえいなければ、鹿は安泰に生きられると思っている。

だが、そうではないのだ。実際は狼がいるおかげで鹿の個体数は過密にならず、絶滅せずに生きることができるのだ。もちろん、狼は鹿のおかげで生きることができる。

とすると、食物連鎖は共生原理なのだ。鹿と狼がともに生きることができる。

それが、食物連鎖の構造だ。

そして、これは仏教の言葉で言えば、 ー 縁起 ー である。縁起は釈迦の悟りの内容そのものだと言ってよい。後で詳しく解説するが、簡単に言って「相互依存関係」である。釈迦は、この世界が「縁起の構造」になっていることを発見した。それが彼の悟りであった。

どうやら、シッダールタ太子の問題意識に対する解答を暗示したようである。彼は抱いた疑問について、俗流科学のように弱肉強食と捉(とら)えることなく、食物連鎖・縁起と正しく捉えた。これこそが、如実知見であり、この如実知見によって問題に解答が与えられたのだ。私(←ひろさんのこと)はそのように考えている。

もっとも、これはヒントである。これだけの論述では、シッダールタ太子の問題意識に対する解答にはなっていない。しかし、その解答はずっと後で明らかになる。今はヒントの段階で終わることにする。

とのこと。

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・共生~きょうせい~①一緒に生活すること。互いを尊重し合いともに生きること。
(用例)異文化圏の人々との共生。
②二種の生物が互いに利益を受けながら、あるいは片方が利益を受ける関係を保ちながら、共に生活すること。マメ科植物と根粒バクテリア、アリとアリマキなどの類。
ここでは、①の意。

・蔓延~まんえん~好ましくないことがどんどん広がること。はびこること。

・縁起~えんぎ~①良いことまたは悪いことが起こりそうな前触れ。吉凶の前兆。験(げん)。
②物事の起源。社寺・宝物などの由来。また、それを記(しる)したもの。
(用例)信貴山(しぎさん)縁起。
③(仏教語)すべての事物は、因縁によって生じるということ。
ここでは、③の意。

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以下は仏教にはまったく関係ない雑記です。

ひろさんは、ずいぶんともったいつけていますね。

もしも、私が仮にひろさんの立場で、ひろさんくらいの学識と知恵があれば(私は宗教も仏教もド素人なので、そんなことは絶対にないけど)、こうした回り道をせずに、読者の理解はとりあえず置いておいても、該当箇所を示すか、軽く概要を書きますよ。

ひろさんのご本を勝手に読ませて頂いているので、その手前、ここはご本に従って遠慮しますけど、あまり親切とは言えないのではないですか。

それとも、読者に何回も深く読ませようとするお考えなのでしょうか?

よくわかりませんけど。

で。

これは個人的な考えですけれど。

私は、やさしく、できるだけ素早く、速(すみ)やかに、つまり、内容の伝達を速く、わかりやすく、できるだけ正確にすることが大事だと考えます。

内容の理解を深めるのは、あくまでも読む人の興味と熱意によると考えます。

読み方の深さは、読む人の興味と熱意に左右されるからです。

そして、どこまで興味をもって下さるのかは、あくまでも、読まれる方のご意思次第です。

そして、私の書いた文章の内容に興味をもって頂ける方でも、そうでない方でも、とにかく、読んで頂ける方には、読み取りに妨げとなる可能性のあるものは、等しく、できる限り、取り除くべきだ、と考えています。

だから、私は文章表現は下手くそなりにも、もったいつけることはしません。

なので、問いを発しても、原則としてすぐその後に、答えを書いてきました。

内容を引き延ばしたことがあるのは、ひろさんの本の節がわかれていたので、それに合わせて内容を次の回に引き継がせた 1 回だけです。

だって、私が書いているのは、凝った文章や推理小説ではないからです。

残念ながら、推理小説ではなくとも、読む方を楽しませるような凝った文章を書く才能を私は持ち合わせていません。

かといって、私の文章を読んで下さった皆様のように、味のある文章が書ける訳でもありません。

ならば、そんな私にできることは、ただ一つ。

伝達一本槍のみです。

そうして、わかりやすく、やさしく、内容のまるごとの祖述や長い引用(そんなに長くない場合は別です)は可能な限り避ける。

そして、できる限り内容を噛み砕いて、自分の言葉、やさしい言葉、そして、表現に置き換える。

そして、場合によっては追補のような形で加筆する。

それを念頭に書いてきました。

自分にはこれしかないと思っています。

なお、コイツは仏教に対して何ていい加減な態度をとっているんだ、と思う方も、はてなブログをご覧になる方の中にはおられるかもしれませんね。

他の皆さんの仏教を扱うブログとは、だいぶ趣が違って、学究的(アカデミック)で専門的な感じはまったくしませんから。

これはこれで、私の行き方だし、他にやりようがないので仕方がないんです。

私は理論にこだわり過ぎた形式主義的な話や、形骸化した話は大嫌いです。

ご利益信仰的ではありますが、まずは苦しみからの脱却に、どうしても気持ちが向いてしまうからです。

これはこの世の不条理に苦しみ抜く経験をしないと、なかなかわからないことかもしれませんけどね。

こうした気持ちを理解することは。

そんな時に、現代で完璧に実践できもしない難しい行(ぎょう)のことや、理論いじりをどうのこうの、正当化しながら論争をやっている気持ちにはなれません。

子供(まあ、そこそこの漢字は使うから、小学校高学年くらいかな)からお年寄りまで、誰にでも平易にわかり、実践できて、理屈をこねることに時間を使わない。

私は、これにしか、ほぼ興味のわかない単純な人間だからです。

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祖述~そじゅつ~先人の考えを受け継ぎ、それをもとにして述べること。
(用例)師の説を祖述する。

・先人~せんじん~①昔の人。前人。
(用例)先人の業績をしのぶ。←→後人。
②祖先。また、亡父。
ここでは、①の意。

・追補~ついほ~出版物などで、後から一部分を補うこと。
(用例)資料を追補する。

・行~ぎょう~①文字などの縦または横の並び。
(用例)行を改める。
②「行書」の略。
③僧・山伏(やまぶし)などのする修行。
(用例)行を積む。
ここでは、③の意。

・行書~ぎょうしょ~漢字の書体の一つ。楷書の画を少しくずしたもの。

・山伏~やまぶし~(山野に野宿する意から)①山野に寝起きして修行する僧。
②修験者。

・修験~しゅげん~①修験者の略。
修験道の略。

・修験者~しゅげんじゃ~仏教語~修験道を修行する者。山伏。

修験道~しゅげんどう~仏教語~山林静寂の地で修行して、呪法(じゅほう)を修め、霊験(れいげん)を得る仏教の一派。

・呪法~じゅほう~じゅもんを唱えてのろう法。呪術。

・霊験~れいげん~神仏の不思議な力の現れ。神仏の不思議な感応。祈りのききめ。御利益(ごりやく)。れいけん。
(用例)霊験あらたか。