おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

618_ひしみー040

04 シッダールタ太子の問題意識

この章全般について、気になることをいくつか書きたいと思う。

1.弱肉強食が自然界の法則と一般化されたのは本当に戦後(昭和 30 年頃)なのか

2.弱肉強食と食物連鎖の境界線はどこで引くか

まだある(書くかどうか決めかねているものがある)のだが、とりあえず、今回は1. について少々。

前提として、以下をお読み頂きたい。

以前( 612_ひしみー034 )、ひろさんは、弱肉強食という言葉が一般化するのは、昭和 30 年近くになってからのようであり、私達が弱肉強食を自然界の法則と考えるようになったのは、戦後教育の結果のように書いている。

これは本当にそうなのだろうか。

仰げば尊し」の顛末_2018/01/26_吉海 直人(日本語日本文学科 教授)という記事によると(改変・省略あり)。

卒業式の定番だった「仰げば尊し」が歌われなくなったのは、平成になってからだろうか。敬遠された理由はいくつかあげられる。第一に、歌詞があまりに古文調であり、到底小学生や中学生には理解されないこと。

確かに一番の「はやいくとせ」は意味が掴みにくく、「早い」のか「行く」のか迷ってしまう。ここはまず「いくとせ」が「幾年」であることを理解しよう。そうすると「はや」は「早くも」となる。

続く「思えばいととし」の「いととし」にしても、大学生でも解釈できそうもない。特に「とし」はお手上げのようだ。中には「いとおし」と勝手に勘違いしている人もいるようである。これは漢字をあてれば「疾し」で、意味は「早い」こと。つまり歳月が早く過ぎさったことを述懐しているのだ。また二番に二回出てくる「やよ忘るな」・「やよ励めよ」の「やよ」も難解。これは呼びかけの言葉で意味はない。だから「忘れるな!」・「励め!」(「よ」も強調です)でいい。

繰り返される「今こそ別れめ」(今まさに別れよう)の「め」も誤解・・・中略。

二番の歌詞には別の問題がある。「身を立て名をあげ」というのは、中国の『孝経』を踏まえて立身出世を奨励しているということで、戦後の民主主義にそぐわないと判断され、二番も歌われないことが多かったようだ。私などは『二十四の瞳』の映画で歌われているのを聞き、いい歌だなと思ったのが最初の印象だった。幸いこの曲は「日本の歌百選」に選ばれている(この記事はここまでとする)。

そして、この「身を立て名をあげ」は、いわゆる、立身出世なのだが、これは、本人の能力、努力、才覚などによる社会的地位の上昇を是認する観念であり、階層社会に生きる人間の欲望に根ざしており、時代や社会によってあらわれ方が変わる。

士農工商身分制度が確立していた江戸時代においても、「立身」とか「出世」などが庶民に向けて説かれていた。それは一言で述べれば、質素と倹約を旨とし、欲望を抑え堪忍を重ねて「世に出て身を立てること」すなわち、世の中で自分自身の力できちんと生活していけるようになることを意味していて、固定的な職分社会における生活倫理を教えたもので、それぞれの職分を人々に尊敬されるように立派に遂行するための行動様式を説いたものだった。

明治維新になると社会は一変し、人々に上昇的社会移動の機会が拡大されるようになった。そして、立身出世が上昇移動と結び付くこととなる。当時のベストセラーであるスマイルズの『西国(さいごく)立志編』(1870~71)や福沢諭吉の『学問のすゝめ』(1872)は、人々に自らの才覚と努力で立身出世(=上昇移動)を勧める内容であり、また当時の個人レベルの立身出世はそのまま国家レベルの立身出世(=列強への追い付き)と重なり、立身出世は公的にも正当化された。その後明治後期からしだいに社会階層が固定化し安定化するようになると、社会的上昇移動のコースは学校や官僚制によって制度化され、それとともに立身出世の観念も当初の野性味を失い、形式化、矮小(わいしょう)化されるに至った。

第二次世界大戦後の平等主義的風潮は、矮小化された立身出世をもマイナス・イメージに下落させることとなった。しかし、現在でも立身出世はプラス規範とマイナス規範とのアンビバレント(併存の)傾向を備えた集合意識として存在している。日本において立身出世の実現にとって必要なものは、学歴と集団主義的適応能力といわれている(門脇厚司著「現代の出世観」(1977・日本経済新聞社)より。改変・省略あり)。

これらを読むと、
「弱肉強食という言葉が一般化するのは、昭和 30 年近くになってからで、私達が弱肉強食を自然界の法則と考えるようになったのは、戦後教育の結果」
とは必ずしも言えないと思うのだが・・・。

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追記: 2021/12/10 23:39
〜訂正内容〜

本文を 2 回訂正しました。