おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

619_ひしみー041

04 シッダールタ太子の問題意識

前回( 618_ひしみー040 )、この章( 04 シッダールタ太子の問題意識 )全般について、気になる以下のことを書くとした。

1.弱肉強食が自然界の法則と一般化されたのは本当に戦後(昭和 30 年頃)なのか

2.弱肉強食と食物連鎖の境界線はどこで引くか

1.について
学校の卒業式の定番だった「仰げば尊し」が平成に入った頃から歌われなくなった原因はいくつかあり、その中で二番の歌詞の「身を立て名をあげ」という中国の『孝経』を踏まえた立身出世を奨励する内容が、戦後の民主主義にそぐわないとされ、歌われないことが多かったらしいことを紹介した。

そして、この「身を立て名をあげ」の、いわゆる立身出世は、本人の能力・努力などによる社会的地位の上昇を是認する考え方であり、社会に生きる人間の欲望に根ざして時代や社会によってあらわれ方が変わることも紹介した。

身分制度のあった江戸時代における立身出世は、固定的な職分社会における生活倫理を教えたもので、それぞれの職分を尊敬を得るように立派に遂行するための行動様式を説いたものだった。

しかし、明治維新になると社会が変わる。身分制度をこえた上昇志向の機会が拡大されるようになり、立身出世がこの上昇移動と結び付くこととなり、個人レベルの立身出世はそのまま国家レベルの立身出世(=列強への追い付き)と重なり、立身出世は公的にも正当化された。

しかし、明治後期から次第に社会階層が固定化し安定化され、社会的上昇移動のは学校や官僚制によって制度化され、それとともに立身出世の観念も当初の野性味を失い、形式化、矮小化されて、第二次世界大戦後の平等主義の思想は、矮小化された立身出世をもマイナス・イメージに転落したことが書かれていた。

立身出世は、弱肉強食に通じる概念だ。官僚制により社会階層がある程度固定化され、明治初期の野性味は失われても、やはり、その中での上昇志向はあったと考えるべきだろう。

そうすると、昭和 30 年近くになってから弱肉強食が一般化したとすることは、それに伴い、当然に立身出世は肯定されたと捉えなければならないはずである。

しかし、上記のような江戸時代から昭和 30 年近くまでの経緯とは、このひろさんの紹介している捉え方とはかなり違うものとなっている。

つまり、明治初期頃から昭和 30 年近くにまで、立身出世という弱肉強食はそれなりにあったのではないか、と考えられるのである。

戦後焼け野原だった時代にも、人々は生きるのに精一杯、食料を確保するために各々が競争社会のように必死に生きていたのではないか、と考えられる。

これも、生命の基本維持の活動とはいえ、生き残りをかけた一種の立身出世に通じる生き方と言えるのではないか。

青雲の志の下に、まっさらからの出発として新たに会社を興した人もたくさんいただろう。

これは、開拓ではあるが、立身出世と十分に結びついていたのではないか。

従って、私には弱肉強食というのは、様々な時代を通して、昔から連綿としてそれなりに続いてきたものであり、何も昭和 30 年近くからはじまったかのようにするのは、あまりピンとこないのである。

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追記: 2021/12/12 03:13
〜訂正内容〜

本文を訂正しました。