おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

651_ひしみー072

07 禅定と苦行、そして中道

・沙門ガウタマはなぜ苦行をしたのか

前回、ひろさんの本のお釈迦さんの修行の道のり(?)で触れたことの続きになる。

お釈迦さんの修行
修行→禅定→苦行→中道

この苦行には、肉体人間が抱(いだ)くあらゆる真善美に悖る感情想念、すなわち、憎い、欲しい、妬(ねた)ましい、恐ろしい、など多くの感情想念を、抱かないように、自らを厳しく修めなければならない。

恐ろしいという、不安や恐怖を克服するためには、山の奥に入って、猛獣に襲われる恐怖とたたかいながら、きわめて過酷な修行をすることも、当然のようにあったようだ。

中部経典の第三六経マハーサッチャカ経にには、断食の厳しさ、凄(すさ)まじさをあらわす内容が出ている(改変あり)。

アッギヴェッサナよ、
腹の皮に触ろうと思って、私がつかんだのは背骨であり、
背骨に触ろうと思って私がつかんだのは腹の皮でした。

アッギヴェッサナよ、
また、その少食ゆえに、
腹の皮はしまいに背骨にくっついてしまうほどでした。

アッギヴェッサナよ、
また、その少食のゆえに、
私が、手洗いに立とうと思うと、
その場に前かがみに倒れ込んでしまいました。

そこで、アッギヴェッサナよ、
私は身体を労(いた)ろうと手で手足を擦(さす)ると、
アッギヴェッサナよ、
擦る端(はし)から、腐った毛根とともに体毛が抜け落ちました。

ここに出ている、アッギヴェッサナとは、異教徒(ひろさんの本には書いていないがジャイナ教徒)で、お釈迦さんに向かって、
「あなた達は心の修行をやってはいるが、身体の修行はやってはいない」
と論難した時に、
お釈迦さんは、自分が大変な苦行をしたけれども、それでは悟りが得られないことがわかって、苦行を放棄した経緯を語る場面のようだ。

当時、スマホやデジカメがあれば、記録を残して見ることができただろうに残念ですね。

どうも、外国語のせいか、経典の表現はわかりにくいからです。

まあ、とにかく、体毛組織までもが損傷されるような凄まじい断食行だったようです。

なお、このお釈迦さんが行った断食行は、一切の食事を断つのではなく、極端に少食にする少食行とのこと。

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・論難~ろんなん~誤りや不正などを取り上げ、論じて非難すること。
(用例)相手を厳しく論難する。

・経緯~けいい~(経は織物の縦糸、緯は横糸の意)①たてとよこ。
②地球の経線と緯線。経度と緯度。
③物事の細かい事情。いきさつ。
(用例)事件の経緯。
ここでは、③の意。