おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

668_ひしみー089

前回( 667_ひしみー088 )の続きです。

役行者は、自分でもってその体をスッと消すことができた。統一したままで姿が消えちゃたんだから、凄(すご)い意思力というか念力ですね。

そうした念力の持ち主でありながら、消えてしまってから何をやったのかというと、自力ではダメだと思ったんだネ。

自分の力には限度があって、いくらやってもダメなんだ、だから全部大神様の中に入らなきゃいけない、というんで、全託するというところに入っていった訳です。

よく滝に当たったり、水をかぶったり、山に籠(こも)ったり、今時やっている人もいるけれど、そんなもの昔の修験者から比べたらものの数ではない。

昔の役行者一統の修験者の難行苦行なんていうのは、もう言語に絶するんですよ。

狼や獣ばかりがいる山に籠って、食べ物もなければ、何にもない。雨風にさらされても平気。誰も人気(ひとけ)のないような所、魑魅魍魎(ちみもうりょう)がいる所でスーッと座って、修行できるなんていうのは大変なことですよ。

チベットの仙人達もやっていますね。そういうことを昔の修験者はやっていたんです。

その修行の様(さま)なんていうのは、今の人が、滝に当たって行をしました、山に籠って行をしました、断食しました、そんなものとはてんで桁(けた)が違うのですよ。だから、(今の人が)どんなに修行したって昔の修験者の修行には、及びもつかないんですよ。

それほどまでに修行をやって、生命をかけて、肉体をすべて捨てて、修行に修行を重ねた役行者のような人が、何をいうかというと、「全託あるのみ。宇宙神のみ心の中に全部投げ出す以外に悟る方法はないぞ」ということ。

だから、私はあそこで修行をしましたなんて偉そうなことをいってくる人もありますが、そんな子供のような、赤ん坊のような修行をして、何をいっているか、と私は思うんです。

それほど修行がいる訳なんです。ところが皆さんもやっぱり過去世においては、大変な修行をしてきているんですよ。だから、今は全託行だけでいい。

過去世からの修行の最後の磨きをかけるための全託行になって、すべて神様のみ心の中に投げ出せる、ということになる訳なんです。

段階がありまして、小さな修行から始まり、凄い厳しい生命をもすべてかけた修行から、すべてを投げ出す、全託するというところまで来る。

だから、今、神様にスパッと全託できるような人は、過去世において散々修行した人なのです。ですから、今さら、滝に当たったり、水をかぶったり、呼吸法をやったり、そんな小さな修行をする必要はないんですよ。

今は神様のみ心に「世界人類が平和でありますように」とすべてを投げ出してしまう。「世界人類が平和でありますように」という時には、自分というものは、もう、世界人類の平和の中に入っている。

世界人類の平和というものは、もう神様の大み心なんだから、神様のみ心の中に入っている訳です。消えてゆく姿で世界平和の祈り、というのはそこなんだ。

自分もない、人もない、すべてないんだ。みんな消えてゆく姿なんだ。あるのは神様の平和のみ心だけなんだ。世界人類が平和でありますように、って入っていくんですよ。

それが全託なんです。

変に修行したい人があるんですよ。したきゃしたって構わない。ただ、そんなものは何にもならないということなんです。

例えば発明がある。99 %はできている。あと 1 %がどうしても解けない。そうすると、その発明は完成していない訳です。つまり、全然何も考えていないことと、99 出来ているけれども 1 つ足りないということとは、やっぱり効果として同じことになるんです。

役に立たないんだからね。

テレビがある。けれども真空管が 1 つ足りなかった。これは、テレビがまったくない家と同じでしょう。

それと同じですよ。かえって使えないんだから、邪魔になるかもしれない。使えないものは無用の長物でしょう。だから、使えないことをやってもしょうがない。

使えるのは何か、というと完成品です。今はズバリ完成品を持ってくる時代なんです。こちょこちょ小さい修行をしなくてもいいんです。

修行といえば、日常生活であらゆる修行をしている訳です。

子供が病気になり、夫や妻が病気になり、自分が病気になったり、貧乏になったりするのは、大変な修行なんです。

それが修行なんだから、わざわざ昔のように、山に籠ったり、滝に当たったりする必要はないんです。そんなふうにして、体をいじめる必要はない。

それよりも、どれだけ神様のみ心に任せることができるか、ああ、これで生きても死んでも、神様が生かして下さるんだから、これでいいんだな、とどんな悪いことがあらわれても、それは消えてゆく姿なんだな、と何でもかんでも神様のみ心のあらわれだと肯定できるような、すべてのことに感謝できるような、そういう心になることが、修行の修行の最大の修行です。

都合により、また、ここで区切ります。
ご了承願います。

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・一統~いっとう~①一つにまとめること。統一。
(用例)天下を一統する。
②一同。みなみな。
(用例)御一統様。
ここでは、②の意。

・言語に絶する~げんごにぜっする~言葉では言いあらわせない。
(用例)現場の惨状は言語に絶する。
(用法)この上なく極端な場合に用いる。

・人気~ひとけ~人のいそうな気配。ひとげ。
(用例)人気のない山中。

・魑魅魍魎~ちみもうりょう~(魑魅は山中の怪物、魍魎は水中の怪物)さまざまなな化け物。