おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

672_ひしみー093

08 天魔よ、汝は破れたり

・経典はガウタマの迷いを語っている

今回から、第 8 章( 08 天魔よ、汝は破れたり )に入る。

修行仲間に落伍者(?)として見切りをつけられてしまった沙門ガウタマ(お釈迦さん)。

(ひろさんのご本には書いていないが)お釈迦さんは、ネーランジャナー河で身を清めて、アシュヴァッタ樹の下に座る。

近隣の村娘であるスジャータは、森の神様に捧げるための供物の乳粥を、修行者であるお釈迦さんを見つけて、捧げることにした。

ひろさんは乳粥がどういうものかわからない云々書いているが、面倒くさいのでお粥のような栄養食としておく(すみません)。

ひろさんは、スジャータはウルヴァルヴァーのセナーニ村の村長の娘なので、村人が総出でお釈迦さんにお粥を供養したのだろうとしている。

ただし、通常、仏典では、お釈迦さんが供養された粥を食べ、尼連禅河で沐浴して、対岸に渡って、1 本の菩提樹の下に座った一連の出来事を、あたかも 1 日に済ませたように描いている。

ひろさんは、これは誇張だという。

そりゃそうですよね。

現代でも断食やプチ断食をした場合には、それなりに気をつけた食事で、徐々に体力を回復させなければならないのに、お釈迦さんは骨と皮まで痩せたのだから、急に食事を採るのは危険だから(そもそも、そうした状態ではお釈迦さんの身体そのものが食事(お粥)をまともには受け付けなかっただろう)。

ひろさんは、お釈迦さんの体力回復には数ヶ月はかかっただろうとした上で、スジャータはお釈迦さんにお粥を供養し続けたとしている。

そして、ひろさんは、お釈迦さんはその数ヶ月の間、苦行を捨てて中道を歩む決意をしたことが正しかったのかどうか、迷っていただろうと推測している。

ひろさんは、それが、「サンユッタ・ニカーヤ」(Ⅳ・1)(第一集 詩句をともなった集 第Ⅳ篇 悪魔についての集成 第一章のこと)の苦行と祭祀の実行(第一章 第一節 苦行と祭祀の実行のこと)に書かれているという。

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①追記: 2022/06/02 22:53
②追記: 2022/06/03 21:31
③追記: 2022/06/03 21:55
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文と訂正内容の日時を加筆・訂正しました。