おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

670_ひしみー091

かなり間を開けて、失礼致しました。

従前のペースでの更新はしませんが、何とかやっていこうと思います。

ということで、とりあえず、続きを書いていくことにします。

655_ひしみー076 ~ 669_ひしみー090

上記の直近までに書いてきた内容は、

第 7 章( 07 禅定と苦行、そして中道 )の大半となる、
( 646_ひしみー067 ~ 654_ひしみー075 )
の内容、
具体的には、ひろさんが以下のように見出しをつけた部分の、

・アーラーダ仙から禅定を学ぶ
・ウドラカ仙に師事した沙門ガウタマ
・テクニックだけでの禅定ではだめ
・苦行を始めた沙門ガウタマ
・沙門ガウタマはなぜ苦行をしたのか?
・真実の仏教者に苦行は不要

のまとめを書くに当たって、
以下にあげる既出の 3 つの章の復習を兼ねて、さらには、一般的な仏教の定説(?)とは異なる話も交えて、内容を見てきました。

A.第 4 章( 04 シッダールタ太子の問題意識 )( 611_ひしみー033 ~ 622_ひしみー044 )

B.第 5 章( 05 人間の内側にある老・病・死 )( 623_ひしみー045 ~ 628_ひしみー050 )

C.第 6 章( 06 「出世間(しゅっせけん)」をした沙門(しゃもん)ガウタマ )( 646_ひしみー067 ~ 645_ひしみー066 )

今回は、以上のような復習を挟んだため、
653_ひしみー074
・真実の仏教者に苦行は不要
に続く、
・中道を行く決意
からの内容となります。

ただ、以前書いた( 573_四諦について2 )ことに加え、
ここは後の、
第 9 章( 09 梵天による懇請 )
第10 章( 10 初めて法輪を転ず )
とも重なる部分があるのですが、それは構わずに書くことにします。

では。

07 禅定と苦行、そして中道

・中道を行く決意

以下、独断と偏見になるが、以下に 3 つのことを書いておきたい。

なお、ここでは、ひろさんのお師匠さんに当たる中村さんの著書も参考にしている。(*1)

1.お釈迦さんは成道した(悟りを開いた)後に、ブッダガヤーからヴァーラーナシー(ベナレス)まで行ったのはなぜか(*2)

この 2 箇所間の距離は 250 km 以上ある。これだけの距離を徒歩で行くのは大変なこと。中村さんによると、急行列車で一晩かかる距離で、徒歩ならば 10 日から 15 日はかかるだろうとしている。

2500 年以上も昔に、これだけの手間をかけて、わざわざ人を感化させるために移動するというのは、それなりの強い意志と動機がなければならないはずだ。

意志は、とりあえずは、梵天様の懇請があったから、教えを説くことを決めたことにしていいだろう(さらにこの意志を固めることになったであろう出来事については後述。ウパカさんの話)。

動機は、やはり、適格者を探すことだろう。

自らが苦労して悟りを開いたのであるから、それなりの素養のある者に教えを説かなければ、無駄骨になってしまう。

だから、それなりの素養を備えた者に教えを説かなければ意味がない。

私流に言い換えさせてもらえば、悟りを開くのも、たくさんの過去世の努力の積み重ねの賜物。

だから、それなりの過去世での積み重ねのある人に教えを説かなければ、教えは理解されることはない、となってしまう。

その教えを理解することのできる、素養を備えた者は、当時なら、やはり、かなりの修行をしている者として生まれてきていることになる。

そうした可能性のある人がいたのが、当時の多くの宗教修行者が集まってきていた宗教都市ヴァーラーナシーだった。

その前には、お釈迦さんは、自らの禅定を完成に導いてくれた、アーラーダ仙とウドラカ仙の二人を当然候補として考えたのだろう。

しかし、この二人はすでに亡くなっていた。

だから、どうしても、遠距離のヴァーラーナシーまで行かなければならなかったのだろう。

伝説だと、神のお告げで、このかつての禅定のお師匠さん達の死を知らされたとなっているが、ひろさんは、この二人は禅定の有名人だったから、その情報がお釈迦さんに伝わったのだろうとしている。

2.最初に教えを聞いた五比丘はどのような人達だったのか

一般的には、お釈迦さんの父親の浄飯王(シュッドーダナ)が、その身辺の警護で五人の従者を遣わした、となっている。

しかし、ひろさんによると、これは釈迦国が大国だったと見せかけるための粉飾の可能性があるとして、贔屓の引き倒しになっているとされている。

また、お釈迦さんが、天眼(天眼通のことだろう)により、かつての修行仲間でもあるこの五人の居所をヴァーラーナシーとわかったことに対しても、疑問を投げかけた上で、以下のように結論づけている。

すなわち、この五人は、はからずも、たまたま、ヴァーラーナシーで再会しただけだろう、と。

よって、この五人は、お釈迦さんの教えを聞いて理解するに足る素養のある、すなわち、それだけの過去世からの積み重ねのあった人達である、かつての修行仲間だったということになる。

蛇足だが、お釈迦さんは、上記の道中で、見ず知らずの人であった、アージーヴィカ(これは宿命論や運命論を説いていた、仏教やジャイナ教に並ぶ当時の宗教教団)行者のウパカさんに教えを説くことに失敗している。(*3)

ウパカさんは、やはり、それなりの人(過去世での積み重ねのあった人)であったらしく、お釈迦さんがただ者ではないことには気づいた。

だから、以下のように言っている。

「あなたの五感は清浄であり、素晴らしい。あなたの師は誰であり、誰の教えをあなたは信受しているのか?」

ただ、お釈迦さんとのこのやり取りで、お釈迦さんが、無師独悟、すなわち、師匠なしで、自ら悟りを開いた者だと知って、信用ができなかったらしく、そのまま、去って行ってしまった。

つまり、お釈迦さんは、道中で異教徒の説得ができなかった訳。

もしかしたら、こうしたことも、とにかく、絶対にヴァーラーナシーまで行ってみなければ話にならない、とお釈迦さんの歩を進める要因になっていたのかもしれない(私流に考えるとこれも過去世の因縁であり、守護の神霊さんのお導きと思われる)。

3.中道の意味

個人的には、いろいろ疑問があるのだが、とりあえず、ここは、ひろさんのお考えを紹介するにとどめる(短縮化などの改変あり)。

中道とは、互いに矛盾・対立する二つの極端な立場(仏教語で二辺)のいずれからも離れて自由な立場で生きることである。

苦行は自由ではない。当時の苦行は修行者の標準だったから、苦行をする者は、そのルールに則る必要が出てくる。これから離れることが中道。

他方、苦行の放棄だけでも、中道にはならない。苦行を放棄して快楽に耽るような極端さからも離れなければならない。

それが、不苦不楽の道となる。

沙門ガウタマ(お釈迦さん)はその中道を行く決意をしたとされている。

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(*1)中村元ブッダ入門 春秋社

(*2)ひろさんによると、かつてインドがイギリスの植民地であった時に、イギリス人はヴァーラーナシーと発音できなかったために、これをベナレスと呼んだ。それで日本でもベナレスの呼称で知られていたとのこと。

現在では、インド人が(彼ら独自の)呼称に戻して、ヴァーラーナシーのことを、ワーラーナシーと呼んでいるそうだ。

サンスクリット語の「ヴァ」は、「ワ」と発音されるからだそうだ。

ワーラーナシーのガンジス河の沐浴風景は有名で、インドの観光スポットになっているとのこと。

(*3)ひろさんによると、アージーヴィカ教とは、マスカリー・ゴーサーリプトラを教祖とする宗教で、アショーカ王の時代までは、バラモン教を除く、仏教とジャイナ教と並ぶ三大宗教の一つであったとされている。

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①追記: 2022/05/29 00:11
②追記: 2022/05/29 06:25
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文と注釈を加筆・訂正しました。