おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

707_ひしみー128

09 梵天による懇請

梵天勧請

前回( 706_ひしみー127 )の続きです。

申し訳ありませんが、またまた、前回の話を繰り返します。

個人的な独断と偏見にまみれ、一般的な仏教の話とはかけ離れた雑談になってしまうので、その点をあらかじめご承知置き下さい。

遺伝子のような、あるいはもっと微細な素粒子(?)のようなミクロの世界から始まって、果てしのない大宇宙まで、こんな微細かつ壮大で、空前絶後な仕組みをつくったのは神様という絶対者以外には考えられない。

縁起?

何を言っているのか、わからないね。

縁起なるものは、単なる議論放棄か、ごまかしにしか思えないな。

何か、物事を突き詰めることができないのをいいことに、話をごまかしているような気さえしてしまうのよ。

皆さんもよくご自身の心にたずねてみて下さいよ。

きっと、釈然としない思いが起こるはずだから。

とりあえず、因果関係や全体像の究明はできないから、こうして外枠だけを形式的につかまえて、主体がある考え方を放棄しておこう、と。

それが縁起の本当の姿なんじゃないですか?

これが縁起ですよ。

しかし、私達人間からしてが、そもそも、主体的に考える存在そのものではないですか。

それなのに、その主体のあり方を放棄させて、とりあえず置いておく。

こうした態度は、きわめて不自然としか思えませんね。

はっきりとわからないと言うべきですよ。

そこから神様への本当の帰依が始まる。

神様を語る話はたくさんある。

しかし、私達が自然にそなえている真善美の感覚に悖らないものは実はそう多くはない。

お告げを簡単に信じるのではなく、安易に丸投げにするのではなくて、常に自分の神性と対話して考えるんですよ。

自らにそなわっている神性と。

そうすると、様々なものが見えてくる。

私達は惰性でもそれなりに生きることができるのかもしれないが、能動的になればどうしても思考が頭をもたげる。

だから、私は縁起に肯定的になれないんです。

神様がこの世を造りわざわざ人間をあらわした理由は何か?

何でこうしたこの世のような世界を造り出したのか?

少なくとも、人間の肉体にまつわる五感にもとづく欲望、すなわち、食欲、性欲、睡眠欲の三大欲望をはじめとして、放蕩三昧、享楽三昧させることのためでないことだけは確かですね。

そんな、放蕩三昧、享楽三昧を貪らせるために、地球環境や宇宙環境、そして、普通の動物にはほとんどそなわっていない知恵と想像力が与えられているとは考えられないからですよ。

そんな人間の欲望のほしいままにしていたら、いずれは地球環境は破壊し尽くされ、あるいは、力を持つ一部の独占を狙う人々の恐怖支配が完成に向かいつつを得なくなるはずです。

これでも、神様がそのお命を分け与えて人間を生かして下さっているのは、放蕩三昧、享楽三昧のためだと思いますか?

楽しむと言う人もいるようだけど、楽しむためだけなら、病争貧苦は必要ないはずですよ。

楽しむと言えば聞こえはいいが、じゃあ何のために世の中には病争貧苦が起きてくるんです?

スパイス(楽しさの演出のためのダシ)?

それじゃあ、スパイスありすぎじゃないですか、この世は。

じゃあ、単なる楽しみや享楽三昧、放蕩三昧ではないこの世がつくられた目的は何か?

私は、私達が調和と共存をはかりながら、地球を開発して私達の神性の感覚から考えて自然に良いと考えられるものに整えていくことだと思いますよ。

つまり、何度か書いてきたように、神様の世界そのままをこの物質地球世界に映し出すように開発していくことです。

もちろん、神様のお命を分け与えられている私達は、調和と共存がはかられた形を保つようになった上で。

神様がわざわざそのお命を分け与えられたとはそういうこと。

神様を善なる存在ととらえる限り、そうとしか考えられません。

肉体を維持するための自己保存の本能を克服して、みんなの調和と共存がはかられた世界の構築が目的となるはずです。

自己保存の本能を元にした、権力争いを繰り返し、与えられた環境としての資源の収奪ばかりを繰り返せば、どのようなことになるかは、人類の歴史、特にここ数百年の歴史を見れば明らかです。

過去にあらわされてきた、素晴らしいとされる考え方はあくまでも参考にして、自らの神性と対話をしていくんです。

過去の自らを痛めつける厳しい修行は、そうしたことのためにこそあったと考えられるのです。

例えば仏教は、戒律と禅定と智慧の三位一体ではじめて、意味を持つ教えとされ、この三学が必須といっても、現代社会では、到底実践はできません。

まあ、端的に言って、不可能だとしか思えません。

やったとしても、きちんと出家しなければ、中途半端に終わってしまうと考えられるからです。

思想的におんぶに抱っことなるのも過去世からの因縁因果によるから仕方のない側面がありますが、自らの神性との静かな対話も必要だと思いますよ。

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①追記: 2022/12/06 03:50
②追記: 2023/05/15 22:52
 〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正しました。

②について
09 梵天による懇請
の内容が始まる、
694_ひしみー115
から
714_ひしみー135
までの 21 個分の表題を
すべて間違えていたこと
に気づきましたので、
これらを訂正しました。
これに伴って本文中も
訂正すべき部分を訂正
することにしました。

この章の正しい表題は
09 梵天による懇請
でなければならないところを、ずっと
09 梵天の懇請
のままにしていました。
大変失礼致しました。
申し訳ございません。
お詫びとともに訂正させて頂きます。