おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

717_ひしみー138

10 初めて法輪を転ず

・五人の仲間との邂逅

今回から、第 10 章( 10 初めて法輪を転ず )に入る。

悟りを開いた自らの教えを理解する者を探すべく、お釈迦さんはヴァーラーナシーに向かった。

仏典によると、お釈迦さんが、旧知の修行仲間の 5 人に会うために、ヴァーラーナシーに来たようになっていて、そこで再会した彼らを短期間のうちに魅了したように書いてあるが、これについて、ひろさんは疑問を呈している。

まず、旧知の 5 人に再会したのは、たまたまだっただろう、とされている。すなわち、当時のヴァーラーナシーの北東 7 km のリン・パタナと呼ばれた仙人の集まる所であった鹿野苑(ろくやおん。ムリガターヴァ)には、多くの宗教者が集まり、修行する土地であったので、そこを目指してきたお釈迦さんが、たまたま彼らと再会したのが事実だろうと推測されている。

また、お釈迦さんが短期間に彼らを魅了したのではなくて、数ヶ月など、もっと時間を要した可能性があると推測されている。

なぜ、短期間ではなかったとお考えになったのかは、以下の通り。

まず、彼らにとって、そもそもお釈迦さんは修行の脱落者であったことがあげられる。

それは、お釈迦さんが、ともに苦行に打ち込んでいた修行仲間であり、かなりの境地まできていたと思われる状態でありながら、苦行を途中で放棄して彼らの下を去って行った経緯があったからだ。

こうしたお釈迦さんの修行者としてのあり方は、彼らにとっては中途半端な堕落者にしかならないのであり、軽蔑すべき人間に映っていた。

だから、ひろさんは、彼らの気持ちを以下のように推察している。

「われわれは、彼(お釈迦さん)を歓迎はできないが、まあ、再び、修行をしたいなら、仲間に加えてやるか、くらいの気持ちだっただろう」と。

ひろさんは、仏典に書かれている、彼らが再会したお釈迦さんに対して呼びかけた言葉、
「お前さん」
がそれを裏付けているとしている。

そんな彼ら 5 人の修行者に対して、お釈迦さんはこう返した。

「悟りを開いた如来に向かって、「お前さん」といった呼びかけをしてはならない。
如来は尊敬されるべき人である。
あなた方は、私の教えに耳を傾けるべきだ」

そして、お釈迦さんは彼らに向かってこう言った。

「私の態度を見てごらん」

ひろさんは、その時のお釈迦さんには、宗教者として他者を敬服させる物腰や人格、取り巻きなどの威容がないから、態度で彼らを信用させるしかなかったとされている。

それゆえに、ひろさんは、お釈迦さんが、彼ら(元修行仲間の 5 人)を信用させるまでかなりの時間がかかった可能性があるとお考えになっているようだ。

~~~~~

・法輪~ほうりん~仏教語~仏の教え。仏法。仏の教えが悪をくじき、それが他に伝わっていくのを、車輪が動くのにたとえた語。

・邂逅~かいこう~思いがけなく出会うこと。巡り会い。
(用例)邂逅の喜び。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
追記: 202/06/19 06:55
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。