10 初めて法輪を転ず
・釈迦が発見した古き道
前々回( 721_ひしみー142 )の続きです。
その前に。
くどいようですが、前回 ( 722_ひしみー143 ) の復習を少々。
前回は、お釈迦さん在世当時の悟りを開いた人の身の処し方について、五井先生の宗教観というか神様観からすると当然に抱かざるを得ない疑問と、お釈迦さんが悟りを開いてから教えの伝道に至るまでの経緯が、どうもとってつけたように見えてしまい、しっくりこないことを書きました。
本来なら悟りを開いて、この世に別れを告げるのが一般的(?)なはずのところを、お釈迦さんが特別な人だから(つまり、仏教という新しい教えの開祖だから)何かと理由をつけて、本来なら辻褄の合わないはずのところを、あれやこれやと理由となる事実をつなぎ合わせて、教えの伝道までの道筋を作ってあるかのように見えたからです。
五井先生のような宗教観や神様観なら、ごく自然な形で、悟りを開いた後に、その教えの伝道に向かい、たとえそれが当時の世界の人々すべてを救えなくても、お釈迦さんの命のある限り、教えの伝道に生涯を捧げるのは当然の成り行きになるはずです。
だから、あのお釈迦さんの悟りを開いた段階から、その教えの伝道に至るまでの経緯がしっくりこない、ピッと一本筋が通っていない、のように書いた訳です。
で、今回からは中道にかかわる話なのですが、これがまた、煮え切らないというか、すっきりしない話なんですよ
仏教を奉じる人々からは、何を言っているんだコイツは、と怒られてしまうかもしれませんが、自分のような仏教のド素人には、ハッキリ言って、訳がわからないんですよ。
あまりにも、話が漠然とし過ぎていて、つかみどころがなくて。
ひろさんのご本を読んでも、他の一般的な仏教の本を何冊か読んでも、この印象は変わりません。
だから、あまり気がすすまないし、また、いろいろとケチつけ道中みたいになってしまうかもしれませんが、その点はあらかじめご承知置き下さい。
前置きが長くなったので、勝手ながら今回はここまでとします。
ご了承下さい。
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①追記: 2023/09/21 19:25
②追記: 2023/09/21 19:31
③追記: 2023/09/21 22:43
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。