おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

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03-KS-131224

彼らに今学んでもらいたいのは、輪廻転生。

エドガー・ケイシー(信頼度は?だが、ある程度は参考になる)を読むと良いでしょう。

私はジナ・サーミナラ女史が書いたエドガー・ケイシー本(転生の秘密)を見て、震え、そして思った。

はじめから教えろよ、こんな大事なことは!(だから、三密度の屁理屈しかこねらんねえ唯物論はダメなんだ!)、と。

普段の思いや言葉、そして態度が、(主に)来世以降に大変な結果をもたらすことに慄然(りつぜん)としたからです。

彼らの著しく不調和な言動も宿縁(または過去世の因縁)なのかもしれない。

それでも、救われてほしい。

彼らは、因縁因果の法則に対して、あまりにも無防備に過ぎる。

悪い宿命が、いかに過酷かを、まだまだ、知らなさ過ぎるのだ。

自分たちが、今為(な)す(=今している)ことが、いかなるカルマになり、その応報は何であるか。

旅の恥はかき捨てで、どうせ人生一回限り、やりたい放題で勝手だろ、で果たして良いのか。

彼らのとどまるところを知らない罵詈雑言を見ていると、どうしても心配になってくる。

宿縁など、とっくに通り越して、せっせと負のカルマ作りに、励んでしまっているのではないか、と。

悪想念を撒き散らし、悪口雑言の限りを尽くすのは、どんなカルマを呼び、何の報いを招く(ただし、大半が現世ではない)のかなど、ほとんど何も知らないんじゃないのか、と。

だから、できることなら、抑止力的に想いや行為を踏みとどまってほしい。

そして、神様のみ心に適う、真善美に悖らない他の方途はないのか、考えてもらいたい。

KS さんの人間観は相当に厳しい。

だから、悖り行為は容赦なくコテンパンに批判してますね。

あの内容での厳しい舌鋒は、気高い理想がなければ出てこない(つまり裏返し)から。

まあ、彼らもあれはあれで自己責任なのだから、自業自得、放って置けば良い、と思われるかもしれませんが。

彼らの参考までに、いくつかのエドガー・ケイシー本から、一つ引いてみると・・・。

「どんな場合でも、
つまり、
心の中に押し隠したものであろうと、
あからさまで目に余るものであろうと、
人種上の傲慢は、
いつか必ずカルマ法則によって、
自分の身に思いしらされるのです」

つまり、想っただけでも、行為(行為は想いを経て現実化する)をするだけでも、傲慢(これは、真善美に悖る最も典型的な想念・行為ですよ)は、来世以降に必ず反対の形にやられるしっぺ返しが来て、大変な目に遭うんだよ、と言っているんです。

どうですか?

何だそれ?

馬鹿らしいですか?

輪廻転生と神様の愛、そして、汚濁と矛盾に満ち満ちた世の中の不条理さを考え合わせれば、カルマ法則を理解するヒントが得られるかもしれない。

一つだけ言っておくと、上記のカルマ法則は、KS さんの因果応報(天罰と表現されていますね)とは、本質がまったく異なる。

まあ、神様に縁の深い霊魂からこの手の話に興味がわくらしい(だからと言って、偉い訳じゃないですよ。経験の問題です。偉さはあくまでも神様のみ心に対する本人の精進次第だから)ので、わかるのは頭の良し悪しには必ずしも関係ないそうです。

輪廻転生(お寺にあるような地獄絵図による勧善懲悪教育?も同様)について、もう一つ追加を。

輪廻転生なんか、どうせごく普通の人が悪事をしたくても、できないように抑制するための方便さ。

却(かえ)って、図々しい悪をのさばらせるのがオチじゃないか。

そう思うのが、世の不条理を解決したいと願う、ある意味真面目な唯物論者の反応かもしれません。

欲望と恐怖のヒエラルキー(ピラミッド型の階層的な秩序・組織)が、完成に近づきつつある世界。

まさに、KS さんの指摘した、韓非の言う、欲で釣り刑罰で脅す、そのままですね。

巷には、よく、善なる生き方?のように、カルマ法則をも含めて説く内容が溢れている。

しかし、見る限り弁神論に対する明確な解答を用意したものがない、と感じる。

じゃあ、アンタ、どうしようもない悪にどう説明つけるんだ、どう対処するんだよ、と。

闘え?(どうやって?神様が味方してくれなけりゃ絶対に勝ち目なんかないよ。第一、負のカルマ作るよ)

無視するだけ?

理由は問うな?

それじゃあ、納得いかず、せっかく唯心論に行ける人を唯物論に逆戻りさせてしまうんじゃないか?

また、善行をすすめ、悪を責め裁く二元化論はごく一般的ですが、これも神様のみ心にはそぐわない。

ってことで、後は聡明な KS さんがお気の向いた時にでも、お考え頂ければ幸いです。

まあ、それにしても。

私達は、一体どれほどの悪い因果の下に生まれてきたのか、是非とも知りたいという気持ちは日に日に増して、悩みのタネになっています。

困ったなあ。

さて、どうせここまで来たんだから、参考までにカルマ法則の内容を少々・・・。

想いとその発現たる行為は、何れもカルマ法則の適用を受ける。

しかも、時空間を越えて(生まれ変わり=輪廻転生を経て)。

これが何よりも恐ろしいところ。

ジナ・サーミナラ女史のエドガー・ケイシー本(転生の秘密)を読んで、恐怖したのもここだった。

なぜ、恐ろしいかって?

この世で、病気あるいは災難等で、理不尽な苦しみを味わった人なら、よく考えればわかるはず。

まあ、そういうことです。

わかりやすくするために、もっと端的にすると・・・。

読む人によっては、ショックを受けるかもしれないので、以下は、嫌な人は絶対に読まないで、責任持てないから。

とにかく、すべては私の妄言として、一言、一句たりとも信じないように、固く固く、お願い申し上げます。

つまり、こういうこと。

私達は、現世で為した真善美に悖る想念と行為たる負のカルマを、来世以降の何世目か(何世目になるかは、神様のみ心次第)に、あがなわなければならない。

撒(ま)いた種を刈り取らなければならない、の本当の意味は、ここにある。

なぜなら、私達は神様の分霊(わけみたま)を頂いている神の子供であり、本来は悪いものがあるはずがない存在だからだ。

現世で何も悪いことをしていないのに、何でこんな目に遭うのか、はこれに起因する。

それは、何代か前の過去世の負のカルマの発現なんですよ、と。

この、不平等、不均衡だらけの悪魔的存在の栄える、矛盾しきった世の中は、過去世の想念と行為の清算されていく姿に他ならず、実は神様は公平だったとわかる訳(納得できないこと、この上ないんですけどね)。

神様は、私達にははかり知れない時空間を越えた目で、生き通しの私達の魂を見ておられるから、私達にはどうすることもできない。

従って、過去世のカルマ、特に負のカルマが発現した時にいかに対処するかが、大きなポイントになる。

無抵抗、更には感謝と真善美に悖らない祈りで、苦難を受け入れ消滅させることができるか。

逆に、時空間を越えたカルマ法則を知らず、更なる怒りや憎悪を抱き、負のカルマを重ねて作るのか。

この二つの分岐点に立つから。

どうでしょうかね?

人類が物質的な進歩をしながらも、霊性は中々向上せず、同じような争いの歴史を繰り返してきた理由が、この辺りにもあるのではないか、と思うんですけどね。

エスやお釈迦さんが言ったことを、私達は、実はあまり(というかほとんど)実践できてこなかったのではないか?

無抵抗とは?赦(ゆる)すとは?の意味がわかっていなかったのではないか、と。

私なんかからすると、神様はなんて厳しい魂の修行の仕組みを作られたのか、とため息しきり。

以上は、五井先生(日本の宗教家の故五井昌久さん)の教えを元にした、私個人の勝手な霊性研究による、独断と偏見であり、真偽の証明はできない(従って、精神世界を説く一般的なスピリチュアル系の人達のように、カルマ法則を説きながら、悪魔を認めることはしない)。

ただ、霊性を肯定し、神様を真善美に悖らない存在とするためには、このようにとらえなければ、辻褄(つじつま)が合わない。

悪魔を認めた瞬間に、神様は絶対者の存在(これこそが悪魔だと KS さんは言ってますが)ではなくなる。

極論すれば、最後の拠(よ)り所をなくして、長い修行の末の大切な到達点が、見失われてしまうのです。

従って、カルマ法則が、万物にわたって適用されるものならば、神様と悪魔の善悪二元論は成立しない。

すべては神様から頂いた生命。

カルマ法則(因縁因果の法則)もたった一つ。

ならば、悪魔は存在し得ない。

どんなに、世の中がデタラメでムチャクチャで、迷った妄念の悪魔的存在が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しようとも。

全ては、(長い、長い、長過ぎる時を経て (泣) )消えてゆく姿だ、と。

ただ、肉体人間の習性として、私達は抜き難い強烈な自己保存の本能があるので、無抵抗の教えは、どうしても受け入れ難いものがありますけどね。

まあ、正直、まったく修行が足りないので、この地球さんは牢獄(下手をすれば刑場)に過ぎないのであり、神様は絶対者などではなく、か弱い存在、さもなくば悪意に満ちた存在なのだ、と考えることができれば、ある意味、この方がはるかに楽だとは思います。

それでも、地球さんは生きているのだし、神様の光明を求めずにはいられない、という感じですね。

以上の妄言をどうとらえるかは、KS さん次第です。

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04-KS-131226

詰みですか。

以前、KS さんが引いていた五木寛之さんの話からすれば、この小さく平野の少ない(山間部の多い)国土に原子力発電所を一個造った時点ですでに決まっていたのかもしれない。

どうせ造らされたんでしょうし、崩壊した時点で、悲しいことに結果はある程度予見できた、と。

基本の構図は何も変わらない。

半世紀以上経っても、残念ながら風土の本質が殆ど変わっていません。

他方、技術の革命がない限り、アレは確実に老朽化して様々な甚大な被害をもたらすことは、自明だったはず(短期的な利益をどう考えても、造った側をまったく理解できない代物ですよ、アレは)。

その上、わかっていても私達一般人にはどうすることもできない、もどかしく厳しい現実も相変わらず。

ある本によると(本当かどうかは、わかりませんが)、昭和 11 年の時点で危機感を持った人達がいて、文書が残っているそうですよ。

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①追記: 2024/03/10 15:12
②追記: 2024/03/28 18:22
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。