23-KS-150331
愚劣ですか。
日本がもし総体的に誇れるものがあるとすれば、意外に思われるでしょうが、それは霊性です。
顕在意識(つまり、表向きに社会で起こっている出来事ですね)ではわからずとも、潜在意識の霊性の高さがなければ、曲がりなりにも非戦状態を半世紀以上保つことはできなかったでしょう。
様々な宗教がありますが・・・。
それらの中の一部の人達や在野のそれなりの人達の祈りがなければ、事態は好転しないでしょう。
どんなに聡明な人(例えば、KS さん)が理屈で説き伏せようとしても、駄目な人には効かないんですね。
無理にわからせようとすれば、却って双方共に悪い因縁、いわば負のカルマを積むことにもなりかねません。
言い換えれば、悪い因縁を解いて差し上げるには、神様のみ光を頂き、守護の神霊様方にお助けを頂く以外、方法がないんです。
しかも、どうやっても変更不能という過去世の因縁まである、といった厳しい現実があります。
宿縁とは、そういうこと。
長きにわたり、肉体を人間の本体と捉え、欲望と恐怖にかしずいてきた( KS さん流に言えば、欲で釣り刑罰で脅す)習慣を捨てるように精進するのは、並々ならぬ取り組みになると思います。
そのためには、祈りがどうしても必要なんです。
確か以前、KS さんは、真善美に悖らないものは悪魔とお書きになっていたようですが(間違ってたら、ごめんなさい)、祈りについてもお調べ頂けたら、と思います。
因みに、祈りとは、我欲に走り、現世利益一辺倒の念力とは本質的に違う、と申し添えておきます。
まあ、生意気なことを言わせてもらえば、KS さんは唯物論としても理想が高く、人間に求める資質の基準が厳し過ぎます。
真善美に悖るの仕方ないにしても、肉体人間は、そんなに気高く勇気をもって生きられませんよ、普通。
人間は本質としては、霊だけれども、肉体としては、過去世で積んでしまった悪い因縁を清算するために、罪悪深重の凡夫(罪の子)として、何世にもかけて、この世に現れてくるからです。
なので、大いなる自己犠牲を厭わず、他人を救うために降りてくる(=この世に生まれてくる)人以外は、霊性の高い人は多くはいないでしょう。
ましてや、霊なんかあるか!の唯物論では、よからぬ因縁のある者同士がエゴとエゴでのぶつかり合いとなり、愛に満ちた融和は至難の技だと思うんですよ。
いくら、自他共に(特に聖道門よろしく自己を)厳しく律しても、自己保存の本能からは逃れられず、かなりの程度挫折をしてしまうのが、現実ではないでしょうか。
蛇足ですが、霊性の高さは愛の深さ、つまり、ひたすら愛する度合いに現れます。
愛を投げかけるだけです。
それだけです。
ですから、それ以外のものは・・・。
おわかりですよね。
地味で流行らないけど、少数の良い教祖さんはいたと思います。
やり過ぎに思えますが、彼が如何に被災した方々に思いを馳せ、巡らしたのかがよくわかる。
彼のような教祖は、現在、まずいないでしょう。
そういうことです。
だから、祈りをお考え頂きたいのです。
KS さんは、かなり気高い人間像を理想として求めているようですが、神仏を信じ祈りを捧げるのも、よほど素直な性格でないと難しいんですよ。
極端に言えば、火宅の世の不幸にも惑わされず、奇跡や霊感にも惑わされない、固い固い意志が必要かもしれませんからね。
奇跡や霊感は、添え物に過ぎない、というか、まあ、過去世で真善美に悖らない道に沿った生き方をしたことで与えられたほんのご褒美か、守護の神霊様方が必要に応じて出されたもの、ぐらいに捉えておけばいいのではないでしょうか。
なので、(興味本意ではない)本物の奇跡や霊感をあらわす人は、威張らず、他人を責め裁かず、権力や金、物に執着しないはずですよ。
ただ、愛するだけ、暖かいだけ、人を導き救うだけ、となりますから。
妙好人のような超のつく素直な祈り人は別格としても、地道な信仰もそれなりに大変だなあ、と思いますね。
現代の私達は、溢れんばかりの物と刺激に囲まれ、欲にまみれることが多いですから。
あと、もしよかったら教えてほしいのですが、ダメだダメだ、こんな愚かなのは滅びちまえ、というその深部には、どんなお気持ちがあるんでしょうか?
私も、似たような思いをしたことがあります。
それは、この天の川銀河がいずれお隣のアンドロメダ銀河と合体すると知った時でした(まあ、どこまで本当かは知りませんが)。
もし、この太陽系、中でも、私達のこの地球さんが無事で済まなかったら、絶対支配にしろ、相対支配にしろ、争いばかりしている人類は、一体何をやっているんだろう、と。
万が一、あるとしても、何十億年先なので、自分は生きていないから関係ないのかもしれませんが、長い間、争いや恐怖支配ばかりしてきた人類が、そう簡単には変わるとも思えなかったので。
~~~~~
24-KS-150602
イエスがいたか、いなかったか、いたとしても本当に磔刑にされたか否かは、今の私達にはおそらく証明できないのでしょうね。
これが否定されたら、拠り所としている人達には、大打撃でしょうけどね。
神様も、厳しいなあ、と思います。
だって、人によっていろんな能力や環境に千差万別に差をつけて、この世に送り出してくる(下さる?)のですから。
霊感もその一つだし、その貴賤の程度も、また様々。
しかも、ほんの一部の例外的な人を除き、本質は過去世の因縁(主に、悪因縁か?)を清算するためのさ罪悪深重の凡夫(罪の子)として。
神様なんかいるか、俺は自分で生きているんだ、ただ在るだけだ、をよく突き詰めていくと、生かされているのかもしれない、に変わってくると思いますけどね。
それにしても、この世は何て厳しい修行の場なんでしょうか(修行が全く足りず、有り難さが中々わからないもので)。
リンゴの木村さんが、刑務所か牢獄(すいません。どっちか忘れました)のように言ってたらしいですが、一理あるような気がします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
追記: 2024/03/18 23:25
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。