20-KS-141015
キリスト教徒の人って、聖書を普通に通読したのかなあ。
エエとこ取りはもっともだけど、疑念を抱く箇所も相当あると思うんですけど。
リチャード・ドーキンスさんの神は妄想である、なんか読むと、ボロクソにこき下ろしている箇所がありますね。
まるで、難癖の羅列のような。
この内容は実際に載っているんですよ。
だから、後から聖書を読むと結構驚くことになると思います。
(ちょっとマニア的になるかもしれませんが)一部には、地球外生物?の接触か、と思えるようなものすらあり、一筋縄ではいかない本ですね。
どう思っているか、教徒さんに聞いてみたいですね。
意地悪かな?
~~~~~
21-KS-141022
そうかなー。
神仏を否定すると、うーん。
死んで生き返った人はいません(イエスは別か?)から、証明できませんけどね(遺伝子技術を使わず、皆の面前で、無から、骨から独力で蘇生した人がいれば別かな)。
臨死体験だって、霊が戻る肉体があるのだから、ある意味中途半端と言えるのではありませんか(因みに、肉体と霊が霊線で繋がっていて、これが切れると肉体は終了らしいですよ)?
幽体離脱後の情報にしても、なにがしかの他の霊的存在がもたらした憑依モノである可能性がゼロとは言えませんしね。
現段階では万人が納得できる証明などできはしない以上、幽体離脱を絶対視する訳にはいきませんよ。
いくら前後の状況調査で、真実を主張しても、無から、あるいは、遺伝子技術でない骨からの蘇生ほどの説得力はないでしょう。
この奇跡を、苦もなく何回も容易に成し遂げ、なおかつ、絶対に人様を責め裁かない希少な人格者が、死後の世界を語るなら、それなりの説得力があるでしょうけどね。
まあ、大体の既存の信仰がここまではいかなかったということなのか?
それとも、こういった蘇生は、神様の約束事で認めない?あるいは許されない?ということなのか?
それとも、(唯物論の研究とは別に)いつかはなされる時がくるのか?
わかりませんけどね。
しかし、そんな中にも目立たないかもしれないけれど、偉い人は(少数ながら)それなりにいたと思いますよ。
俺は、今でこそ信仰者の端くれですが、昔は宗教をバカにしていて、最先端が悪用される唯物論の科学も信じられず、暗中模索でした。
イエス?釈迦?ふーん、じゃあ、そんな偉い人が始祖で、二千年以上も経つのに、何だこの歴史とこの世の体たらくは、と思っていたんです。
魔女裁判なんか、本当に読むに耐えなくて、体が震える程の怒りを覚えましたよ。
なぜ、この世がこんなに不平等でデタラメばかりが蔓延るのか、これをそれなりにきちんと説明できなければ、宗教と名乗るのは、本当は難しいはずです。
残念ですが、現状は・・・(だから KS さんにミソクソに言われてしまうのか)。
因果応報が KS さんの認識のように、この世の中だけのものならば、まさに神も仏もない、と思いますよ。
なので、神仏は善きものであるのだ、と肯定するためには、この前提は崩さねばなりませんね。
因果応報が、この世の中だけではない、ということは、(神様が元々の霊なる人間を平等に出発させるとするならば)すなわち、(この今の不平等、不均衡だらけとなっているのは)生まれ変わり(によって差が出てきてしまった、つまり生まれ変わり)がある、ということ。
霊魂魄が肉体(とその下の幽体)を乗り物にして、この世である現世に送り出され、様々な肉体生活を変遷するのが、生まれ変わり(おまけに、魂の分割と結合までもがあるから、相当にややこしい)で、想念と行為の原因と結果が、霊魂魄のこの世の肉体をまとった生まれ変わりを通じて、過去世から、現世、そして来世と逐次展開されていく。
そして、神仏の道に沿った分だけ真善美に相応しい恵まれた環境や幸せが、悖った分だけ厳しい(悪い因縁の刈り取りとしての)、病、争、貧、苦の形をとったあがないが、それぞれ与えられ、また、課せられることになるのでしょう。
ということは、大抵の人は、生まれ変わりの履歴、つまり、かなりの過去世を経ている、となりますね。
だからこそ、皆さんの運命が、容姿が、才能が、色とりどりに違っているんでしょ。
そうでなきゃ、神様は善きものでなんか、ありっこないですよ。
だって、そうでしょう?
人生がたった一回きりならば、初めから絶望的なまでの差異を与えるなんて、まるでサディストの極致で、意地悪にも程がありますからね。
という訳で、出発点(と神様の分生命としての本質)だけが平等で、後は各自の様々な人生での生き方、もとい、神様の生命のいかし方の違いで、差が出てくるということなのでしょうね。
霊なんかない、生まれ変わりなどない、と思う人には、この差異は一朝一夕にできるものではなく、幾代かの積み重ねにより醸成されてきた結果なので、大差となって現れている、などとは知る由もない(実際、信じたくない実例が沢山あるんだけど・・・)、ということになりますね。
今の世の中は、一部に煽動的な嘲笑や罵倒の、真善美に著しく悖った想念と行為が渦巻いているように見えます。
輪廻を肯定する立場からすると、ちょっと・・・。
あの人達は、余程の厳しい修行が好きなのか、それとも生まれ変わりを通してこの世にあらわれてくる報いを何も知らないのでしょうか。
あの人達は、負のカルマの意味合いを何も知らないように見えます。
おそらく、人の本当の哀しみや苦しみを経験していないのかなあ。
不可抗力のどうしようもない悲しみや苦しみを味わうと、人様の痛みが(完璧には無理だとしても)ある程度、わかるようになってくるんです。
あの人達は、現世や数多の過去世でその経験が少なくわからないか、過去世の因縁で因果を果たすためにしているか、または、人間に対する洞察が、少し甘いのではないかなあ。
~~~~~
22-KS-141103
荒れてますね。
もはや、どうにでもなれってことですか。
これだけ、おかしなことが滅茶苦茶罷り通り、やりたい放題やられても、何の自覚もなく、嬉々としているのを見るのは、耐えられませんか。
いくら啓蒙しても、焼石に水の虚しさってとこですか。
ついでに?、バカの壁なるものは存在しません。
あるのは、因縁因果の法則、因果律のみですね。
陰謀論は、真相に近づくための足掛かり。
辿り着かなければ、話が始まらない。
もっとも、かなり見ても、深淵にはまず辿り着けませんけど。
なので、ある程度まできたら、見切ることですね。
自分は一体何のためにこれを調べているんだろう、と。
この際、徹底的な内観をするのもいいかもしれません。
戻って、債権の穏やかな収束と安泰を祈念しております。
お気づきでしょうけど、今は一人のヒーロー?に託して、ついていくような時代ではありませんね、おそらく。
換言すれば、地球人、宇宙人?問わず、何者にも絶対侵すことのできない、ウルトラ超人でなければ、牽引者にはなれないと思います。
やっと陰謀論まで辿り着いても、唯物論や肉体人間観からは完全には脱却できない以上、因縁の縛りもあり、ある程度のレベルまでは参考にできても、どうしても、帯に短したすきに長し、になってしまいますからね。
といった事情から、陰謀論をどうしても研究したければ、各自で工夫するしかないってことですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①追記: 2024/03/18 23:10
②追記: 2024/03/18 23:14
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。