おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

017_留意事項

以下、折に触れて、世界平和の祈り一念の信仰についていくつか取り上げますが、一つ注意すべき点を記します。

それは、この信仰に道を定めたら、これ一本に絞るか、または、あくまでもこれを中心にやっていくことです。

具体的には、五井昌久著「生きている念仏」(白光出版)に出ている妙好人の祈り一念の生き方や五井昌久講話集 1 ~ 5 (白光出版)を参考にしたら、あとはすべてを守護の神霊様方にお任せして、よそ見をせず、世界平和の祈り一念の信仰に徹することです。

霊魂や神霊、輪廻転生、超常現象( UFO、オーブ、龍見聞記、臨死体験等々)に興味をもつと、どうしてもこれに触れた様々な書物を読みたくなることが、まず一つ。

もう一つは、五井先生の深い継承者を再確認するために、余分な時間と手間をかけないためです。

まず、前者。

霊魂、超常現象等々については、実に多くのものがあり、玉石混淆で、迷う恐れがあります。

ただ、私達は、真善美の判断能力を自然に授かっていますので、これで選っていけば、残るのはそう多くはないとは思いますけれども。

まあ、これは人様のことなので、勝手な介入はできないことではあるのですが、あまり乱読すると時間をとられ過ぎるおそれもあるので。

どうしても、読みたい場合は、一部参考か趣味にとどめて、のめり込まないようにして頂きたいのです。

以後の人生上、必要な本ならば、きっと守護霊さんが何らかの形で導いて、必ず手に取ることができると信じて。

次、後者。

五井先生は、かなり以前( 1980 年=昭和 55 年)にこの世を去られているので、どうしてもその足跡というか、影響の跡を知りたくなり、霊魂、超常現象を含んだ書物を読みたくなることがあります。

しかし、これも時間と手間の無駄になる可能性が高いので、おすすめできません。

こうして、迷わないことと、影響引き継ぎ者探し?に、無駄な時間と手間をかけないことをいうのは、私自身の苦い失敗経験があるためです。

あまり書いてしまうと、たくさんの人の批判になってしまうので、数点に止めますが、大雑把に言ってしまうと、まったくどいつもこ・・・、と感じることを経験しているからです。

第一。

この方は、五井先生の話を直に聞いてもいる(この人の本にそう書いてある)し、世界平和の祈りも過去に沢山したようですが、ここ最近の著書を見ると、提唱する祈りや言霊に世界平和の祈りはまったく見られません。

かつて通過したことが、記されているのみに見えます。

まるで、世界平和の祈りは過去の遺物として、どこか遠い彼方に忘れ去ってしまったのではないか?とさえ思える程です。

ノリノリで、明るいのはいいのでしょうけど、世界平和の祈りは一体どこに行ってしまったのでしょうか?

妙好人の人達の祈り一念の信仰をよく読めばわかりますが、実はあれだけでも極めるのは、大変なことなのです。

その根幹たる世界平和の祈りが、どこかにすっ飛んでしまったのか?、消えてしまったのか?、それとも卒業?というのは、本来あり得ないことだと思うのですが。

陰で、密かにされているのかな?わからないけど。

まあ、この方はかなり良い方なのです。

独自に沢山の人を救っているようですし。

あとは、もっとひどい人がほとんどなのですから。

第二。

内容が平易で、字も大きく、CD 付きの本が沢山出ている人です。

その方のお弟子さんの本だったと記憶していますが、そのお弟子さんが何かの折に、五井先生の信奉する人から、五井先生のことを聞かされたようなんですね。

そのお弟子さんの師匠の教えに、五井先生と似通うものが多々あった(実際に似たことがかなり書いてある)ので、五井先生をきっと高く評価してもらえると期待して、その師匠に五井先生のことを話したのでしょう。

ところが。

結果は、思わしくないもので、五井先生はその師匠(実業家の斎藤さん)に結構ボロく言われてしまっていた。

要は、その師匠もお弟子さんも、宗教家としてこの世のカルマを敢えて引き受けることの意味を知らなかったからなのですが、それにしても・・・。

少なくとも、あれだけ頼ってきた人のために身を挺した( 1 日 300 人以上の時もあったようです)人のことがわからず、あのように言うのは・・・。

それ以来、完全ではないものの、私はその人(斎藤さん)にハマるのをやめ、大部分の本を処分しました。

第三。

保江邦夫さんという大学の先生ですが、合気道をやり、宗教、特にキリスト教を信仰しているようです。

合気道といえば、開祖は植芝盛平先生ですが、植芝先生は五井先生と懇意にされた偉大な方です。

保江さんですが、合気道や植芝先生の話は出てくるが、五井先生はごの字もまったく出てこない。

逆に、悪魔的存在を認めるような話は出てくる。

内容も、神霊(マリア様が出ていたから)を扱ってはいるものの、唯物論的。

これも、二、三冊読んで、やっぱりごの字も出てこない、内容も実質的に唯物論だと判断して、見切りをつけ、以降一冊も買っていません。

第四。

かの有名なエドガー・ケイシーです。

主に、催眠状態か昏睡状態の時に、特異な能力を発揮した人です。

いろんな事細かな、輪廻転生の実例が出ているので、ああ、これはそういう結果を来世以降に招くんだな、と興味を持って、何冊か読みました。

しかし。 

彼は、いろいろな予言も残しているのだが、この中に明らかに真善美に悖る、民族差別的な言葉、もっと言えば、日本人を侮蔑した、ある一言(ジャップ)があったのである(これは、ネットで見た。それも予言の中で何回もジャップと言っている)。

真善美と愛に悖らない存在であるならば、肉体人間は、たとえいかなる民族であっても、神様の分けられたお命を頂いている神様の子供です。

白人優越主義の視点から、私達黄色人種の日本人を、「ジャップ」などと侮蔑する表現をすることなどは、絶対にあり得ない。

なので、エドガー・ケイシーについては、輪廻転生の参考事例だけは見るが、彼を通して数々の霊的な内容を発信していた存在には、到底、全幅の信頼をおくことはできない、と判断した(しかも、悪い恐ろしい予言を沢山外している)。

第五。

最近では、こんな本(後藤征士さんという人の最後の警告)があった。

それによると、人が人類の平和を実現するために生まれてきたと明快に語っている書物はないそうだ。

あるじゃないか!

そんなことは、とっくの昔に、五井先生が散々語っている。

人は、神様のみ心をあらわすため、世界平和実現のために、(何世にもかけて)この世(現世)に、あらわれてくるのだ、と。

例によって、この本も五井先生以外の霊的な内容は、多々引用され述べられているが、五井先生の「ご」の字も出てこないし、世界平和の祈りもまったく出てこない。

ああいう、世界平和に関する主張をするなら、霊的なことを少しでもかじったなら、五井先生に行き当たらないはずはないんだけどね(五井先生は大本(おおもと)の系譜です。すみませんが、大本その他をお知りになりたい方は、ご自分で調べて下さい。書き出すとキリがないので・・・)。

それにもかかわらず、神だ、魂だ、創造主だ、波動だ(*1)、何だと得々と書いてあるのを読んでいると、一体、何を見てきたんだこの人は、と思わずにはいられない。

といった具合で、散々、フラフラとした挙げ句、・・・という目に遭っているんです。(*2)

世界平和の祈りを押しいただいて、きちんと継承した感じの本は、わずか数点しかなかった(ネットにはけっこうこうした方はおられるようだ)。

もちろん、私の知見がまだまだ足りず、目が行き届かないところもあるだろうが、多分、大勢はこうだろう、と。

だから、世界平和の祈り一念の信仰をする方には、余分な時間とお金を使って頂きたくないのです。

時代状況的、時期的な理由もあります。

ただただ、神様だけを心の中に住まわせ、世界平和の祈り一念に包まれた生活をして頂きたいと切に願っているのです。(*3)

~~~~~

(*1)すべては波動のあらわれであると、五井先生は既に言っている。

この人は、五井先生とまったく縁がないのか、わざと無視しているのかは知らないが、失礼ながら、読んでいて本当にイライラさせられた。

何言ってんだよ、と。

大本の開祖の出口さんのことから書いてあるのに、その流れの先にある、しかも、よりによって、一番大事な世界平和を希求し、その祈りを提唱した五井先生を無視ですか?

あまりにも不自然だし、あり得ないでしょ、そんなの。

それとも、五井先生の言ったことはあくまでも、徹頭徹尾、他で賄うおつもりなのでしょうか?

時系列的に他の後発教団が出ていたし、五井先生を全然知らないというのは、考えにくいんだけどね。

こうも、ある。

「すべての人間が平和で、幸福でありますように」というのは、究極の祈りです。

だってさ。

もう、かなり昔(大分時間が経っている)からある、五井先生の提唱した一連の世界平和の祈り言をちゃんと学んでほしい。

これじゃ、お話にならないから。

と、皮肉の一つも言いたくなったですよ、正直なところ(これも、消えて行く姿、と突き放すことができず、俺も人間ができてねえなあ、とわかっていても)。

ちなみに、今ではすっかりアレとされるマルクスは、凄まじい(ありすぎ?)注釈を残しているが、自分が研究の開拓者ではないと知り、新たに先達者を知ると、マメに訂正をしていたようだ。

この点は、律儀というか、偉いと思いますよ。

(*2)かなり、辛辣なこと書きましたけど、個人的になんとなく面白いなと読めた本も、もちろんあります。

五井先生も出てこないし、世界平和の祈りも出ていないけど、いい息抜きになったし、何となく面白いな、と。

二つ挙げると、一つは元国連職員の萩原孝一さんの、人類史上初、宇宙平和への野望(廣済堂出版)です(彼の前著は、スピリチュアル系国連職員吼える~(たま出版)でした)。

あと、しんみり系?では、吉野奏美さんの天国にいった愛犬モモ(説話社)ですかね。

お陰様で、ちょっとした箸休めというか、いい息抜きになりました。

(*3)霊魂、超常現象関係で、特殊な体験をした、あるいは、何かしらの能力があることに惑わされないようにして頂きたいのです。

あくまでも、自らの霊性を地道に磨いて、その神性を最大限発揮していくことを最終目標にして下さりたいのです。

いわゆる、霊性の開発ですが、これに焦点を絞ることが、望ましいと思います。

どんな素地でも、最終的には守護の神霊様方が、適宜取捨選択して下さると信じて頂きたいのです。

そうして残ったものならば、乱用されることもなく、世のため人のためになるでしょう。

一つ、加えると、霊性の開発は心の中だけで、決意すればいいのです。

私は、神様の懐に戻る第一歩を、今踏み出すのだ、と。

誰もこの想いを冒すことはできない神聖なものなのだ、と。

何も人様(家族でも恋人でもそうです)に話たり、宣言する必要はありません。

そんなことをしたら、数々の過去世の因縁を原因として起きてくるかもしれない軋轢や衝突に翻弄された時に、これを克服できず、却(かえ)って挫折するかもしれないからです(すんなり同化するのは、おそらく稀と思います。

この点では、南無阿弥陀仏一念の信仰や世界平和の祈り一念の信仰は、少しずつ地道に進んでいくので、何も周囲に強制をせずとも、自分の精進による感化を待つので、時間はかかるでしょうが、穏やかにいけると思います)。

想いや行為を神様の御心に敵(かな)うように整えていくのは、肉体人間には難しいことです。

祈り一念の信仰による霊性の開発をすすめたいと思っても、説得や説教は却って逆効果になりかねません。

なぜなら、過去世からの因縁が解消されない限り、現世(この世)の事象は動かないからです。

信仰の無理強いをしたりして、新たに余分な悪い因縁を作っては、元も子もありません。

ですから、上述のように、自分が少しでも精進することによる周囲の変化を信じてやっていくしかないと思います。

各種の欲にまみれ勝ちな現代では、ホントーに地味なんですけどね。

あ、エラソーなこと書きましたけど、私は祈りをすぐ忘れるし、気がついたら慌てて祈るという有り様なので、今から始める人がいたら、あっという間に追い越されてしまうかもしれないな。

それでも、この祈りを知ったことだけでも、本当にありがたいと思っているので、非力ながら、ささやかなご恩報じとして、できる限りの力を尽くして書いていきたいと思います。

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①追記: 2024/03/20 05:01
②追記: 2024/03/20 05:07
③追記: 2024/03/29 02:06
④追記: 2024/04/19 18:48
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。