おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

016_コメント15

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ある人(仮に KD さんとします)のブログを読んでの感想です。

スピリチュアル系(注1)の書物などによくある内容なので、少し書いてみます。

その KD さんのブログでは、現在進行形で、社会の様々なことが書かれています。

その中で、社会を良くするために、想念を浄める行事(護摩(ごま)を焚(た)き、大変な辛酸を嘗(な)めて霊界に行ったであろう諸霊さんを救う行事のようです)を行っている話がありました。

しかし、KD さんの思想の変遷?を見ると、どうにもマスコミに公式に発表されるものに振り回されるきらいがあります。

これはある意味、仕方のないことかもしれませんが、やはり、神仏や宗教を持ち出すからには、ある程度の一貫性がほしいところです。

物事の真相を裏の裏まですべて透視できる能力や千里眼がなくても、発表事実が変わる度に、人物評価その他がコロコロと変わるのは、失礼ながら、あまり好ましいとは思えませんからね(注2)。

KD さんが、今になって警鐘乱打されていることを、私は根っからの臆病者なためか、ずっと以前から不穏だと直感していました。

彼女はいわゆる右系らしく、一時は期待したようですが、私にはどうにも違和感が拭えず、元から好きになれませんでした。

あまりこれ以上言うと、・・・やめておきます。

ただ、KD さんにお願いしたいことがあるのです。

できれば、世界平和の祈り(注3)もして頂きたいのです。

もしかしたら、KD さんは批判して人々を覚醒させるお役目の方?なのかもしれませんし、過去世の因縁でそうされているのかもしれません。

私には、霊能力はありませんし、KD さんの宿命的なお役目は全くわかりません。

ですが、サイコパスと言ったり、民族差別的な言辞を弄(ろう)するのは、どう考えても真善美に悖ると言わざるを得ません。

唯物論で見ても、その民族差別的考察は、大変失礼ながら、ちょっとヌルいと思います。

もし、その土壌の醸成に私達の祖先が万が一にも関わっていたら、すべての前提は覆(くつがえ)されてしまうからです。

陰謀を絡めた「十把一絡げの汚点消去トリック」にしても、一点の曇りがあればそれまで。

あったら、それまでなんです。

規模が少なくなれば、自分や身内が仲間や当事者でなければ、いいとはなりません。

そもそも、その場で資本家的立場にあった、優位な立場にあった者が何をしたかなんて、本当に簡単明瞭、公明正大にわかるとお思いですか?

使役的立場を受け入れた社会状況は何故につくられたのか、その原因は何か、など考える余地は十分にあるはずです。

また、記録さえあれば、素直にそれだけを信じればいいものでしょうか?

今は消えてしまいましたが、ある若き切れ者 MS さんは書いてたじゃないですか。

「歴史は勝者の捏造である」と。

これは、優位な立場にある強者でも同じこと。

だから、敗残者を一定の枠にはめ込んで差別して、訴える悲劇すべてが戯言だと画一的に決めつけ、消し去ることには、無理があるんです。

作家の五木寛之さんは書いていました。

五木さんは、日本への引き揚げで、凄まじい目に遭(あ)い、自らも鬼畜の振る舞いをした、と。

兄弟を連れ、日本に生きて帰るには、そうせざるを得なかった、と。

他人思いのいい人(良い人間)ほど落伍して亡くなっていった、と。

何度も人身御供にされボロボロにされた(=性欲の処理として辱しめられた)女性に、証言記録を取り、残そうともしたけれど、その女性は重い口を開かず断念した、と(現代はこうした歴史を隠蔽したがる保守的な論者が多いようですが、これが本当の実態なんですね)。

正確な情報がある上層部の人達は、同胞の一般人に対しては、そのままで大丈夫とウソを周知させながら、予測事態を察知して早々に列車で引き揚げてしまったというのに・・・。

だから、証拠がない場合には、残るは証言しかないんです。それが、果たしてまったくない、あるいは、すべてがデタラメだと決めつけられますか。

やった方は忘れても(または、軽く考えたり、忘れたがっても)、やられた方は忘れるはずもない。

もっと遡れば、数百年前の原因も、絡んでくるかもしれない。

悲惨で劣悪な環境に置かれた、あるいは育った人々が、それなりの荒んだ傾向を持つ可能性だって否定できませんよ(それまで調べて分割統治に利用されたら、実に恐ろしいことですが)。

こうやって、直近の数百年の因縁因果の可能性を探るだけでも、結構出てくる。

まして、輪廻転生が複数以上の人種と民族にまたがり、果てしない過去世にまで遡るとしたら・・・。

私達ができるのは、せいぜい、現代の因果からすぐ近くの因縁を遡り、逆算して類推することくらいでしょ?

これすら、場合によっては検証が困難で、希望的推測になる可能性があるし、霊的に正確な真実の因縁因果なんて、神様でない限り、そもそもわかりっこない、と思いませんか?

だから、ごく僅かな期間(これでも数百年、いや、何万年さえあるかもしれない)を規定して、いかにも、なわかりやすい物語を作り、白黒決めつけること自体が、ナンセンスなんですよ。

聖典と呼ばれる聖書の内容や構成が不可解だったり、不自然なエピソード(ある学者さんに言わせるとできの悪い作り話)があるのは、ご存知ですよね?

内容の拝借の可能性まで疑う人もいる。

悲しいけど、これが肉体人間のすることなんです。

何をしたかはわからないんです。

福音書も時の権力者が勝手に取捨選択したり改変したかもしれないし、日本語版も英語版に比して明らかに不可解な箇所がある。

この意味、わかりますよね?

極端に言えば、自己保存の本能に駆られた肉体人間が、何をしたかはわからない、ということなんですよ。

何をということは、自らの思惑を通す、あるいは、保身のために、事実を自らの都合のいいように変えてしまう、ということです。

従って、隠滅も含まれます。

もちろん、かつては人知れずとも、極限状況に置かれながらも、立派な振る舞いを貫いた方も、そりなりにいたと思います。

しかし、だからといって、そうでない人間が皆無という保証はどこにもないのです。

あらゆる場合に間違いなく真実を知るのは、各人の潜在意識と守護の神霊さんだけ、すなわち、神様しかいないんです。(注4)

と、ここでやめますが、こうして勧善懲悪の裁き(それも完璧とは言えない)ばかりしていると、真善美に悖る想念と行為を積むことになりはしませんか?

肉体人間が、本来は神の子、つまり、人間の本体が霊魂魄であるならば、真善美に悖る想念と行為は、生まれ変わりを経て清算されなければならない宿命にある。

もしかしたら、過去世の因縁によるものかもしれないけれど、できればしてほしくない。

社会の潮流が、私達の因縁因果の総和で規定されるものだとしたら、負のカルマは少しでも減らしたいと思うからです。

そして、真善美に悖る想念と行為をやめられないのなら、せめて、世界平和の祈りをしてほしい。

繰り返しになりますが、KD さんにはお役目があるかもしれませんし、そうではないかもしれない。

しかし、唯物論的に考えることをやめない限り、想念の右往左往して乱すことから逃れることは難しい。

ですから、できる限りの真善美に悖らない日々の生活と、できれば世界平和の祈りもして頂いて、あとはご自身の運命の修正をも含めて、神様、つまり、守護の神霊様に感謝行とともにお任せしてしまう。

こうして、人事を尽くして天命を待ち(注5)、過去に辛酸を嘗(な)めた諸霊さんの浄めも含めて、人々の過去世からの潜在意識の中の苦しみやなどを、世界平和の祈りもして頂くことで、更に浄める。

そうして、昔のフィルム映画に例えれば、上映=想いの世界の現界へのあらわれ、の前に、撮影フィルム=想念の幽界をできだけ浄めて修正して、不幸などを少しでも減らすことに努める。

といった形で、社会が皆が、少しでも苦しまないで、軟着陸(今ならソフトランディングですか?)するように祈ってほしいと願っているのです。

KD さんは、以前潜在意識を使って八面六臂の大活躍をされたことを書かれていましたが、生長の家から派生した白光真宏会も、ある意味、ガマン教です。

現代のように情報が溢れ、錯綜し、肉体人間観も脱却できず、身の回りのことだけで、精一杯な時代に、南無阿弥陀仏の祈り一念の信仰を貫いた妙好人のような澄み切った境地に達するのは、きわめて難しい。

なので、世界平和の祈りもできることならして頂き、少しずつ霊性の開発をして頂きたいなあ、と思いました。

勝手なことばかり書いて失礼しました。

~~~~~

(注1)霊的な事柄に興味をお持ちの方には、大変申し訳ないのですが、私はスピリチュアルという言葉が嫌いです。

大嫌いです。

元から教養がないので、横文字の乱発が大嫌いでしたし、第一、滑舌が悪いので、中々うまく発音できず、随分イライラさせられたからです。

何でこんな言いにくくて、しかも長ったらしい、訳のわからない言葉を使わなきゃならないんだよ、日本には、霊的や霊性という言葉がちゃんとあるじゃないか、と。

それと、私は慣れない横文字を使うのは、どこか気取っているような、妙な感覚や違和感があって、業想念(おおむね、真善美に悖る想念と行為)も涌きかねないところがあるので、勝手ながらスピリチュアル系とさせてもらいます。

(注2)作家の織田作之助さんは、「終戦前後」で厳しいことを書かれています。

あれを言われたら、立場の左右を問わず、思想の変遷のあった(=変節した)者は何も言えなくなってしまう。

(注3)白光真宏会をひらいた、昭和の宗教家五井昌久さんの提唱したものです。

生長の家の後付けで出した祈りではありません。

悪しからず。

(注4)この点からも、前世、現世、来世のように、世にまたがった因縁因果の転回の法則、因果律は必要なのでしょう。

仮に現世で逃げ切れたかのように思えても、輪廻転生を通した過去世からの連綿と続く想念と行為の集積場である潜在意識には、隠しようもなく入ってしまうし、第一、本体の分霊としての自分自身が知っている。

そして、これを見守り続けていた守護霊さんの前でもごまかしは絶対に通用しない。

いにしえの人達が、「お天道様は見ているよ」としたのは、多分、このことを言っていたのでしょう。

(注5)普通は、人事を尽くして天命を待つ、とされますが、昭和の宗教家五井昌久さんは、天命を信じて人事を尽くせ、と説かれています。

今、自分がこの世に生まれて生きているのは、神様が産んで下さったからこそのもの。

ならば、神様が嘱望される使命が必ずあるはずだ。

真善美に悖らない、それなりの役割を期待してのことなんだ。

しかし、肉体人間観にとらわれ、過去世の業想念の渦に巻き込まれて、自己保存の本能からも逃れられず、独力で立派に生きていくことは、難しい。

そこで、神様におすがりしながらいく(=絶対他力)しかない、と。

そして、神様は間違ったことはしない(わざわざ、意地悪をするために私達に命を分け与えるはずはないし、守護の神霊をつけて下さったのもご慈愛から)ので、あとは私達が祈りと共にともに真善美に悖らない生き方にできるだけ近づくよう努力をしていけばいいという信仰ですね。

そして、気の遠くなるような、長い長い年月と果てしない輪廻転生を経て、最終的には神界が現界まで写し出されて、地上天国が出来上がる、と。

世の中が、千々に乱れていたりすると、中々難しい信仰ですが、できることならこの祈りをお願いしたいと思います。

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2-KD-170726

苦言です。

人心を不安に陥れる内容を書くのはやめて下さい。

あなたは、来世以降を覚悟の上で、現世で少しでも人々を覚醒させようと様々な警鐘を乱打されているのでしょう?

発信で本当に何とかなるとお思いですか?

あなたは、過去の内容を読ませて頂いた限り、それなりに宗教者、少なくとも信仰者です(以下、この二つをまとめて信仰者とします)。

誰が何を言っても、多分、あなたの発信は変わらないでしょう。

なぜなら、過去世からの因縁が解消されない限り、現世上、唯物論上で何をしてもどうにもならないからです。

信仰者として大事なことは何ですか?

現世で、激しい論駁(ろんばく。従って、想念が乱れ、読む人々にも同様の影響をもたらす)や、果ては、言語空間で権謀術数を図るのは論外にしても、あまりのデタラメ、ムチャクチャの不条理が蔓延れば、堪え忍んだ堪忍も限界、ダーッと批判的になるのも、やむを得ないのかもしれない。

または、信じていた道筋の果てに、命を軽視する絶望を突きつけられ、なおのこと余計に許せないのかもしれない。

しかし、信仰者として、あるべき道はただ一つ。

「できる限りの正しい行い」と「祈り」です。

真実を知りたいのは人間の性(さが)ですが、人様に不安を惹起させるような過激な箇所は書かない。

後は、行間を読んで下さい。

敢えて言うなら、信仰者として、論難と祈り、どちらが現世をよくするために有用かを考えて頂きたいですね。

以上を心の片隅に留めて頂ければ、幸いです。

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3-KD-170727

また、始まった。

大きな物語

好きだねえ。

それで、再び現実に戻り、評価が右往左往、下手すりゃ反転・・・。

感情の起伏が激しく、ちょっと気まぐれ、ふて腐れ気味・・・。

不安定で落ち着きがないんだよなあ。

信仰者なのに・・・。

私達に出来ることは、限られています。

信仰者としての論難は無効そのもの。

むしろ、有害です。

祈りの最善を尽くして、神様にお任せするしかないんです。

あとは、どう良しなに運ぶかは、神様がお決めになり差配されること。

私達は、祈りながら、各自置かれた立場で、最善を尽くすのみ。

これが、わからないんだなあ・・・。

やはり、過去世の因縁なのかな。

まあ、スピリチュアル系でさえ、他人の責め裁きが大好きな人がいまだに多いから仕方ないか・・・。

KDさんも、漏れなくそのお一人。

美談大好きで、すぐに心酔し、抹消された無辜の人が受けた悲劇を忘れ去るかのよう・・・。

KD さんのような人には、歴史の陰に秘密裡に葬り去られた悲劇の人々の怨嗟の声は、届かないのかもしれないな。

ああ、過去の聖人方よ、地球、そして世界のご加護を、未だ目覚めぬ迷い大き信仰者達を、導き賜え、救い賜え。

~~~~~

KD さんについて書いたコメントは以上です。

以上、KS さん、KI さん、KD さんに対する古い(出さずじまいの)コメントは、これで全部です。

次回以降は、ごく普通にブログを書いていきたいと思います。

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①追記: 2024/03/20 04:22
②追記: 2024/03/20 04:30
③追記: 2024/03/20 04:35
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。