おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

034_あれについて

( 033_変化の兆し - おぶなより ) に、滅茶苦茶キツイこと書いたから、言い訳しとこうかな。

まあ、後の祭りなんだけどさ。

女性に対してあんな厳しいこと書いたけど、私自身は高潔には程遠い人間です。

本音では、様々な女性にモテまくりたいと、正直思う。

それが諸事情で、叶えられなかっただけです。

今でこそ、霊性云々書かせてもらっていますが、諸事情さえ許せばどんな身勝手で傲慢な人間になっていたかはわかりません。

こんな私ですが、恋の期待に胸を膨らませる独特な生気に満ちた表情、嬉しさからこぼれ出る自然なはにかみと輝く笑顔、上気して紅潮した素肌などは、女性特有のもので、本当に美しいなあ、良いものだなあ、と崇(あが)めたくなることは事実です。

おそらく、これは神様が女性だけに与えた特権、美しさではないかと思うのです。

ダメな信仰者ではあるけれど、純粋な人間の美もわかるということで、まあ、ご勘弁下さい。

あと、前回のセックスについて二点補足します。

一つはセックスの軽薄化や常態化について。

最近では、様々な媒体で、セックスのことをエッチと呼ぶのが、習わしのように思います。

確かに、代表的な国語辞典をいくつか引いてみても、エッチの項目に、性行為=セックスの意味が出ています。どの辞書も一番最後に、ですけどね。

しかし、私には、どうもここ最近の間に、昔で言えばキス程度に格下げされ、軽い印象を持たされてきたように感じて仕方がない。

人前で、性交や性行為、あるいはセックスと軽々しく口にするには、やはり、ある程度の抵抗があるから、短く軽い印象のエッチに置き換えて、軽薄化、常態化させよう、その弾みをつけよう、といった意図を感じてならないのですよ。

セックスには、人前て軽々しく口にはできない抑圧と、その行為の結果として、妊娠、病気、そして中絶という重大な可能性を常に孕(はら)んでいる(霊的な意味は、ここでは割愛します)し、行う以上は、これらの危険を完全に消し去ることはできない。

これらの重石を取り払い、軽く明るいノリで、ほんの挨拶代わりのように、誰もが自制心のひっかかりをなくして、快楽のためだけに簡単に行えるようにする。

それが、セックスをエッチに置き換えることの意義であり、効用である、と考えられるのですよ。

そして、恋愛自由化によって、淘汰が進み、女性はそれなりに恋愛ができても、男性は、モテる層とそうでない層(以下、仮に A 層とします)に、二極化が進んでしまった。

A 層の人達にも、何とか努力してほしいのですが、なかなか厳しい。

残念なことに、お相手となる女性達が、かなり唯物論の思考に染まって霊性が落ちてしまい、見た目(ルックス)、カネ、権力、そして女性を扱うためのそれなりの器用さがないと、簡単には振り向かせられなくなってきているように感じます。

そんな彼女達相手でも、何とかきっかけだけでも作るためには、ちょいワルやチャラ男になって、霊性を落とさなければならない。

昔のように、ある程度の適齢期になれば、それなりに相手を充てられた、お見合いその他の風習も、ほとんどなくなってしまった。

これらの状況の創出、そしてセックスまでの敷居を大幅に下げることに、セックスのエッチへの置き換えが、ある程度の影響を与えているのではないですかね。

実際、かなりの軽薄化、常態化が進んでしまったのだから、エッチで構わない、むしろその方が適切だと、考える人もいるかもしれない。

しかし私は、先に述べたように、セックスには各種の重大な意味が含まれている、この点だけからしても、セックスからエッチへの置き換えは良くない、と考えざるを得ないのです。

足かせとなる事実を生じさせる可能性が厳として存在する以上は、これを忘れさせるように仕向けて、誰でも、いつでも、どこでも、出会ってその気になればすぐセックス、のようにするのは良くない、と。

元々、重い意味を含むのは、神様がそれなりの意味を持たせた、とも考えられる訳で、従ってこの意味からも、軽薄化、常態化はいけませんよ、と。

恋愛自由化とそれに伴う淘汰の価値判断は、私にはわかりませんが、もし A 層の人達の精神を傷つけ、蝕み、結果として不穏な想念の温床となる可能性があるならば、やはり好ましくないと考えます。

その危惧と不安を解消するためには、A 層の人達とお相手となる可能性のある女性達の双方の霊性を、共に高めていかなければならないのです。

それには、人類全体の霊性向上に寄与する世界平和の祈りをするしかないな、と。

二つ目は、セックスにおける女性の満足度についてです。

男女が恋愛して、めでたく結ばれ、どの女性も性的絶頂感(性的快感の頂点。オルガスムス)を確実に得ることができれば、恋人、夫婦とも円満になるだろうし、浮気や不倫、そして離婚もそれなりに減らせ、社会も安定するのではないか、と。

しかし、残念ながら、事はそう簡単ではない。

ある著名な恋大き女性作家の小説で、彼女の初体験のことが出ていました。

時代も相当に古いので、仕方がないのかもしれませんが、相手の男性の行為たるや、前戯も何も全くない。極端に言えば、ただ乱暴に挿入して果てるだけのような内容でした。

人様のことではありますが、何とも言えない虚しさを感じました。

セックスだけが全てではないにしても、これでは、せっかく恋愛して結ばれても、女性からの強い結びつきが生まれない。

女性を満足させるよほどの先天的な才能か、技術なしでも満足させられるものがないと、いつも単調な一方通行で終わってしまう。

残念ながら、日本ではこうしたケースが、それなりにあるのではないか。

古くは、セックスをした後、相手の男性を二度と近づけないようにして、婚約を破棄したり、または、結婚していても、私は女としてこのまま終わりたくない、と他の男と逃げてしまった事例もあったそうです。

これほどではなくとも、期待してたのに何だかあんまりよくないな、とか、こんなものなのかな、とややあきらめている女性もいるのではないでしょうか。

男性は射精さえすれば、ほぼ満足してしまっても、女性はそうならないのが難しいところで・・・。

まあ、それなりに満足している場合でも、やはり、精神と肉体の強固な結びつきか生まれないと、長続きしない可能性を残してしまう。

なので、男性はまた一つ払う努力が増えてなかなか大変なことではありますが、世の中の男女が結ばれ、幸福を長続きさせ、少しでも浮気や不倫、そして離婚を減らし、社会を安定化させるために、何とか性愛の結びつきを深めて、女性に深い絶頂感を得てもらう、恋人円満、夫婦円満のための、万人に通用する性愛の方法が、普及する必要があると思うのです。

女性からは、なかなか、不満やしてほしいことも言い出しにくいので(男性を傷つけたくない、自らの恥じらいで言えないことがある)、性愛生活を軌道に乗せるまで、男性がかなりの努力をしなければならないのが、実状でしょう。

少なくとも、先の女性作家の相手の男性のようではダメだと思います。

それなりの縁で結ばれたのなら、あともう一歩、性愛を深める努力をしてほしい。

男性にとっては大変で、厳しいですが、相手の女性の協力も得て、何とか乗り越えていってほしいと思っています。

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①追記: 2024/03/24 18:53
②追記: 2024/03/31 03:49
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。