( 033_変化の兆し - おぶなより ) の補足です。
その終盤に、乱れた想念と行為を正すには、恐怖や罰を恐れるような形では、不十分なことを述べました。
輪廻転生の厳しさを見て、真善美に悖る想念と行為を思い止まらせるだけでは、不十分だと。
これは、イヤイヤながらの、あるいは、仕方なしの条件反射では足りない、ということです。
例えば、羮(*1)に懲りて膾(*2)を吹く(あつものにこりてなますをふく)、という故事成語(*3)があります。
元々は用心深さを奨励する意味だったのが、現在では過度の用心深さを揶揄(やゆ)(*4)する諺(ことわざ)(*5)として使われるようになっていますが、それはともかく・・・。
羮や熱いお茶やコーヒーを誤って飲み、口内を火傷(やけど)するような、熱くて痛い思いをすれば、冷ましてから飲むし、今後は繰り返さないように気を付けますね。
つまり、痛い思いをするのが嫌だから、繰り返さない、と。
これが、肉体人間の真善美に悖る想念行為への対処となると、これだけではまだまだ足りない、不十分になるんです。
つまり、痛い思いをしたくないから、その行為(熱いものを飲む)をやめるだけでは、足りないということなんです。
元からあった、飲みたいというその想いから、なくすようにしなければならないんです。
なぜなら、飲みたいのを、痛い思いをしたくないために、我慢しただけだから。
その飲みたいという気持ちは無理矢理押し込めただけなので、くすぶっているだけで、消えてはいないんです。
更に、お酒を例にとります。
酒を飲み過ぎてアル中になってしまった場合、このままでは、精神と健康を害するから、仕方なしに禁酒をするとします。
しかし、まだお酒を飲みたい欲求(=幽界と現界の想い)は、収まらず、意思の力で押さえつけている訳です。本当は飲みたいのですから。
想いは残ったままなので、何かのきっかけで、我慢できなくなるかもしれない訳です。
この想いは、因縁因果の転回過程にの中で、いわば、宙ぶらりんの状態なんです。
大体、来世以降に、各種周辺諸条件が整うと現実化する、タネな訳です。
なので、完全に禁酒をするためには、その現実化のタネ=原因を取り除くためには、この想い自体を、消し去らなければならないことになります。
そこまでして、初めて完璧に禁酒ができることになります。
従って、消し去りたい何らかの欲求が残っている場合には、その想いを出して実現化することで消し去るか、あるいは、浄めて消し去るかのどちらかしかない訳です。
以前、書きましたが、現界は本来なら神界をそのまま写し出し終えて完成したものが地上天国であり、神様の光は、本来なら、( 神界→霊界→幽界→現界(この世) ) と何の障りもなく、流れて写し出しされることが最も望ましいとなります。
そこでは、肉体人間の五感にまつわる欲(ここでは飲酒欲)が、障りとしてあるので、消し去るためには、実現化=つまり飲酒してしまう、か、その欲=想いを浄めて消し去るかの、二つに一つしかないことになります。
この後者の、障り=飲酒したい想いを浄めて消し去って下さるのが、守護の神霊さんになっているのです。
障りを自力で修行をして消し去るのは、まず無理なので、こうした余分で厄介な想いを消し去って頂くためにも、感謝することは、好ましいし、欠かせない、となる訳です。
そうすることで、神体、霊体、幽体の上に肉体をまとっていても、肉体から生じる固有の五欲(*6)絡みの、障(さわ)り=真善美に悖る業想念がなくなり、飲酒欲がわかない、神体としての、神様の分霊を本体とする肉体人間の本来あるべき自然な健康状態になれる訳です。
ここまで来て初めて、老子の、無為にして化す、いわゆる、無為自然と同じ形になれます。
ですから、守護の神霊さんには、世界平和の祈りと共に、欠かさずに感謝行をすべきことになります。
話を戻して、まとめます。
ただ怖いから、痛い目に遭うのが嫌だからと、想念と行為を仕方なしに我慢するだけでは、神様の分霊を本体とする肉体人間としては、目指すあるべき境地には至れないし、霊性の開発のあり方としては、不十分なのです。
巷によくある、修養(*7)や教育でなされる信賞必罰(*8)や説教?だけでは、真善美に悖る業想念を消滅させる完全な対策にはならないのです。
根本原因の真善美に悖る業想念を出して消すか、浄めて消すしかない、と。
なので、
肉体人間の頭脳を駆け巡る、真善美に悖る業想念と、
同じく、肉体人間の何代にもわたる過去世からの堆積(たいせき)(*9)している、真善美に悖る業想念を、
世界平和の祈りと守護霊様と守護神様への感謝行を積み重ねることによって、できる限り消して頂き、(*10)
神様の光がそのまま写し出されやすい、肉体人間を目指しましょう、と。
言い換えれば、神様の光が通りやすい、受け器としての肉体人間になることです。
これが、神催しに近づくことであり、望ましいことになります。
あとは、皆さんの元々持っている、過去世からの因縁因果の状態と信仰生活での努力次第となります。
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(*1)野菜や魚肉を熱く煮立てた汁物料理。
(*2)大根、人参などの野菜を刻んで調味した酢であえた料理。
(*3)昔から広く世間の人に知られ、しばしば引用させる詩文の句やことわざ。
(*4)冗談や皮肉を言って相手をからかうこと。
(*5)教訓・風刺・真理などを巧みに言い表し、古くから世間の人々に知られてきた短いことば。
(*6)仏教で、欲望と誘惑に対する執着を絶つべし、とされる5つの欲望のこと。
肉体の各部位にまつわって生じる以下の5つ。
1.色(しき)~美しいものを見たい→目から生じる(以下、同様)
2.声(しょう)~甘美な楽や声を聞きたい→耳
3.香(こう)~いい香りの人に接したい→鼻
4.味(み)~うまいものを食べたい→舌
5.触(しょく)~感触のいいものや人に接したい→身体中の皮膚
(*7)学問を修め徳性を養って、人格を高めるよう努力すること。
(*8)功績のあった者には必ず賞を与え、罰を犯した者は必ず罰すること。
(*9)ものが幾重(いくえ)にも積み重なること。また、そのもの。
(*10)この世界平和の祈り一念の信仰によって、過去世からの堆積している業想念の、現界への現れが、かなり減らして頂けるらしいのです。
もちろん、守護の神霊様の目から見て、負けることのできない果たすべき因縁はどうしても受けなければならず、肉体人間の因果として果たしていくことになります。
辛くても、苦しくても、逃れることができないものがある、と。
ですが、過去世からの本来因果の発現として、かなり大変な目に遭うところを、世界平和の祈りと守護霊様と守護神様への感謝行をできるだけすれば、相当軽減して下さるらしいのです。
私は、人様よりは、病気などにより、不可抗力による不条理な苦しみをわかっているつもりです。
なので、絶対にやらない手はないな、やるに越したことはないな、と強く思っているのです。
直近か、あるいは何代か前の過去世の因縁の現世での消えてゆく姿、つまり、因縁に対する因果の発現は止めることはできません。
神様が、 ( 原因→結果 ) の因果律の縛りを、( 神界→霊界→幽界→現界(この世) )を通した公理として定めたのであれば、基本的に逃れる術(すべ)がないのです。
ならば、とてもすべてとまではいかないまでも、守護の神霊様の裁量の下に、少しでも厳しい因果の発現を緩和して頂けるなら、こんなにありがたいことはありません。
因果の発現は、肉体人間の力だけでは、防ごうとしても、どうすることもできないからです。
仮に、先伸ばしの何らかの緩和策があったとしても、原因の因縁を解消しない限り、あくまでも現世の間を置いた後か、来世以降への先伸ばしに過ぎず、因果の発現そのものを消し去ることはできません。
だから、やるしかない、と。
辛いことや苦しいこと、特に不可抗力のそれを経験されたことのない方には、実感がわかないし、ご理解できないかもしれません。
それに、痛いところや辛いところがあっても、治ればすぐに忘れるのが、私達人間の性(さが)ですからね(無意識に、よい状態が当たり前だと思い込んでいる)。
なので、比較的楽な状態の時には、陰ながらの深いご守護にも気づかぬまま、そのありがたみがわからないことが、往々にして起こりがちになると思います。
従って、普段から心がけて、祈り一念の信仰一式をしておくに、越したことはない、と。
それに、世界平和を願い、祈ることが、直に霊性の開発につながっていますから、なおのこといいのです。
私は信仰者の端くれ(のつもり)ですが、何の過去のご縁で、五井先生を知ることができたかは、皆目わかりません。
五井先生の存在を初めて知った時点で、五井先生はもうすでに逝去されていて、お会いすることも叶わず、お声さえも聞いたことはないけれど、この世界平和の祈りを知ることができただけでもありがたい、と感謝しているのです。
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①追記: 2024/03/24 19:10
②追記: 2024/03/24 19:10
③追記: 2024/03/31 03:59
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。