おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

033_変化の兆し

最近、接客業をされる、特に若いアルバイトの男性の霊性が、少し上がってきたのかな?と思うようになりました。

私は、元々小心者で気が弱い上に、小学校時代にどうしようもない悪魔のような凶悪人間に長い間いじめられた経験があるためか、人様の対面時の態度を気にします。

つまり、生来の臆病な性質といじめ被害で、ビクビク癖が身に付き、自然と対面時の相手の顔色を伺(うかが)ってしまうんです。

以前なら、接客業の男性(特に若いアルバイトさん)の態度から感じられる内面は、結構ひどいものでした(外国のことは除きます)。

もちろん、口先ではありがとうございましたを唱え、それなりの最低限の形式を踏みはしますが、その言外の中身たるや。

例えば・・・。

ありがとうございましたの口調や抑揚が明らかに歪(ゆが)んでおり、いかにもメンドクセーが充満している場合。

ハナから客(私)を見て、もう露骨に、チッ、何だ、ヤローか!と斜め横に見下げるような視線をして(つまり、女性客を期待していたのだろう)、カッタリーとふて腐れた態度を示す場合。

最近は、会計を機械でする場合が増えたので、金銭の受け渡しは減ってきたが、お釣りの受け渡しやポイントカードの受け渡しが、投げて寄越すような場合や、汚物を突き返すように渡す場合。

僅かな時間のちょっとした表情や仕草で、その内面が感じられてしまうのだ。

かなりの力仕事や忙殺される別業務の方には、独特のサバサバ感があって、ちょっと乱暴ぎみかなと思えても、イヤな感じのすることは、あまりない。

意外と爽やかで、何か手伝えることがあれば、協力したくなるくらいです。

不思議な感覚なんですけどね。

極論すると、同性愛志向の人を除いては、男は基本的にいつでも女を求めているのだろう。

その端的な経験を、以前したことがあるからね。

ファーストフード(店頭ですぐに食べられる、または持ち帰りのできる食事)店、マクドナルドでのこと。

店員さんがほぼ手一杯で、リーダー格とおぼしき男性のみ手が空いていた。

私が注文しようとカウンターに出て待っているのに、ほったらかし。

視線は合った(つまり、その男には注文待ちの私の存在はわかった)ので、少し待って様子を見たが、遠巻きにして全く注文を取りに来る気配がない。

仕方ないな、と思い声をかけようとしたその時である。

昔で言えば、ボディコン(*1)なのかな、長髪の若い女性が入ってきた。

「いらっしゃいませ」

私をほったらかしにしていたその男が、手揉み腰曲げ(マジですよ)で、その女のところへ走り寄って行ったのである。

怒るやら、呆れるやらで、私はその店を飛び出してしまった。

こんな男が責任者の店なんか、二度と利用するもんか!、と。

しかし、これはよく考えれば、極端な例でありながら、男の本質をついていたような気がするんですね。

まあ、ある程度以上の業務ならそれなりの教育で内面を露骨に出さない躾がなされているから、これほどのことはなかったけれど、やはり内面に似通ったものがあったんじゃないかなあ、と思う訳です。

一定の水準以上では、理性と対面で本能(=肉体人間としての男に、神様が便宜上与えたもの)を抑え込んでいただけの場合が、結構あったのではないか、と。

それが、典型的に感じられたのが、若いアルバイトの男性だったと思うんです。(*2)

ところが、最近、この傾向が少し変わってきたような気がする(個人的に実感する)んですよ。

無論、昔ながらの?態度の若い男性がまだまだいることは確かです。

ですが、最近、ポツン、ポツンとこの付与された本能丸出しとは異なる若い男性が、出てきたように感じるんですよ。

最近流行りの引き寄せ教?や周波数教?流に言えば、私の周波数が上がったから、類は友を呼ぶ、となるのかもしれませんが。

まあ、ごくわずかはあったのかもしれない。

とにかく、異性と同性とを区別せず、無意識にしろ、とにかく人様を神様の分霊(わけみたま。肉体人間の中に神様の分けられたお命が宿っている、つまり、神様)として、それなりに尊重できる若い男性がポツン、ポツンと現れてきたのかもしれない、と。

残念ながら、私には霊感がほとんどないために、彼らの心の奥底までは読めません。

ですので、彼らの接客対応の変化の要因が、その自制心の賜物なのか、あるいは、私のような小心のなせる業(彼らは意外にしっかりしていてこんなことは絶対にないと思うが)なのか、昨今の厳しい雇用情勢を反映して、上からの締め付けが厳しく、仕方なくおとなしくしているのか、はたまた、霊性が上がった現れなのか、正直なところはわかりません。

しかし、以前ほどには、後味の悪い嫌悪感や失望感を抱かされることが、確実に少なくなってきているんです。

希望的観測かもしれないけれど、もしかしたら、霊性の上がった若い男性が、ポツン、ポツンと現れてきたのかな、と。

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(*1)ボディー・コンシャスのこと。ボディコンはその略語。女性の体の線がはっきり出るように意識的にデザインした服のこと。

(*2)まあ、若い男性の性衝動は、結構半端じゃないものがありますからね。その反動というか、表裏一体の現象なのかもしれません。

しかし、これを絶対に暴走させないことが、神様が人間に出された課題なのかもしれません。

最近は、草食、絶食などといわれますが、恋愛自由化が進み、女性の神秘的なベールが剥(は)がされ、かなり本音が明け透けに出るようになって、嫌気がさして面倒くさくなった男性も、多いのかもしれませんね。 

でも、逆に言えば、これからが勝負かもしれない。

なぜなら、ある程度付き合ってみて、あるいは結婚して、フタを開けたらこんなはずじゃなかったとわかる現実が、ソコソコ明らかになってきたのだから。

騙し合い、化かし合いのメッキがある程度剥がれてきた、これからが本番だ、と。

計算ずくの唯物論の範疇での小手先の技術(哲学も含みます)を駆使しただけでは、どうにもならない限界が近づいてきている、とも言える。

従って、唯物論的な損得勘定だけではない霊性の開発によって、肉体をも含む唯物、精神全てをひっくるめた過去世からの因縁因果を改善(守護の神霊さんの許容される範囲内での因縁因果から割り出された運命の修正)し、神様の分霊同士の本当の結び付きを求める時期がきたとも解釈できる訳で。

もしかしたら神様は、騙し合いや化かし合いなどに、時間と労力をかけることを、もう猶予なさらない、というか、もう望まれていないのではないか。

誠意に基づいた霊性同士の出会いと、切磋琢磨の修行への段階的移行を望まれているのではないか、と。

化けの皮が徐々に剥がれてきたことが、もし、神様のご計画の一部であるならば、もう騙し合いや化かし合いは、肉体人間が果たす因縁としての役目は終えつつあることを意味しているかもしれないですからね。

ちょっと、乱暴な言い方をさせてもらうなら、小賢しく立ち回る唯物論の権謀術数など卒業して、霊性を磨いて真心で体当たりしていけ(もちろん、無茶は禁物です。そもそも、霊性が上がれば、自然と分不相応な変なことはしなくなります)、と。

なので、恋愛の一局集中?や偏りを穏やかに崩して、乱れた人類の想念の畑を耕し、霊性全体の底上げをしながら、調和の世界を築いていくためには、お兄さん達の役割は大きいのですよ。

くじけないで下さいね。

男性の中には、あまりに自由奔放な女性達(ある程度限られると願いたいのだが・・・)の行状をあげつらい、ビッチ(メス犬、アバズレ女の意)のような侮蔑語を乱発し、批判しまくる人もいますね。

でも、これは絶対にやめたほうがいい。

私達は現世で自由意志が認められているその反面、真善美に外れた想念と行為はヤリ逃げでは済まされないからです。

彼女達は、来世以降、何らかの形で傷つけた自らの本体たる神様の分霊(わけみたま)の修復を、それこそ、魂に刻み付けるような厳しい肉体人間上の人生経験として、否応なしに受け入れざるを得なくなるのです。(*3)

これこそ、いわゆる、「撒(ま)いた種の刈り取り」ですよ。

それも、自分は現世で何も悪いことはしてこなかったのに、何故にこんな環境に置かれるのか、こんな目に遭うのか(過去世の記憶が消されてこの世に生まれてくるために、自分の蒔いた種=自分の作ったその悪い原因がわからないから)、と。

まるで、無実の罪に苦しめらるように。

厳しいんです。

それに、批判しても、罵倒しても、まず、効果はありません。

むしろ、ご自分が余計な負のカルマを背負うハメになるので、お止め頂きたいのです。

是非とも、今すぐに。

例えば、こんな真面目?な俺がモテず、何であんなチャラい男がモテるんだと憤(いきどお)っている青年がいるとしましょうか。

いいんです、放って置けば(チャラい男=彼の守護霊さん、守護神さんお願いします、彼の天命が完(まっと)うされますように、と祈って差し上げれば、更に良いです)。

チャラい彼は、今現在の肉欲(セックスの成就)までの道のりを進み、自らの霊性を落とすことを、敢えて選んだに過ぎないのですから。

相手も問題です。

誘われて、挨拶代わりに、あるいは、短期間のセックスの空白による渇望を我慢できずに、簡単に落ちる女性を相手にして、あなたは良いと思いますか?

ムラムラッときたら、渡りに船で、すぐに股を開く。

この行状の、一体どこに、霊性の高さがあるのですか?

言わずもがな。

あるいは、とにかく処女(あるいは童貞)を卒業したくて、相手構わず、なだれ込む場合もあるかもしれない。

でも、最初の相手は記憶されますよ、生涯にわたって(男の場合もね。ある意味、自我の喪失だから)。

その相手をいい加減に選んだら、霊性上どうなるか、慎重に考えた方がいいですよ(特別な時代状況は除く。詳細は割愛)。

望まない妊娠や病気のことで諭(さと)すのは、ある意味、唯物論です。

行為の主体、すなわち、神様の分霊を本体とする肉体人間の、主体としての精神のあり方が問題なのです。

もしかしたら、セックスの意義を軽んじ、常態化させようとする人は、魂(霊魂魄=分霊)を覆う真善美に悖る業想念が厚すぎて(=魂に浄めなければならない汚れがつきすぎて)、神性を忘れ果ててしまっているのかもしれません。

残念なことです。

この人達も、輪廻転生の厳しさ、恐ろしさを知れば、答えは自ずと出ますよ。

でも、こういった地獄絵を見せて、今を思い止まらせるようじゃ、まだまだなんです。

霊性の開発によって、自然に真善美に悖らない行いができるようになる、あるいは近づいていければ、段々に問題にならなくなりますよ。

先の自制心の抑えがきかない彼女達に対しても、世界平和の祈りと共に、その本来の天命が完(まっと)うされるよう、祈って差し上げるしかないのです。

霊性上の理由から、ビッチなどの侮蔑語の使用が禁忌(タブー)であることは、以前書いたので、ここでは省略します。

私は、一人でも多くの人が、世界平和の祈り一念の生活をされることを願っているのです。

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(*3)現世の想念と行為には、過去世の因縁の発現としての因果と、現世で新たに作ったものがあります。

過去世のものが大半を占めますが、あまりにも歯止めのきかない状態では、現世での新たな因縁作りの可能性が高い訳です。

ここでは、そのように仮定して、書いています。

あとは、真善美に悖らないとはどういうことか、これがいかに気高く厳しいかかを、よくお考えれば、おわかりになると思います。

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①追記: 2024/03/24 18:46
②追記: 2024/03/31 03:37
③追記: 2024/04/19 18:53
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。