おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

036_薦めず

世の中には、いろんな本があり、様々な主張があるのだが、先の女性さん達に関するもので、これはちょっとなあ・・・というものを、少し書いてみたい。

まあ、言っても栓ないことなんだけど。

二つの系統を取り上げます。

一つは、肉体人間を、徹底的に動物的に扱い、結果として霊性を、最も大切な肉体人間の本体の神性を、否定しまくるもの。

以前にも、別項で出したのだが、仮にここでも、T 女史としておく。

動物行動学の研究家の女性だ。

彼女は最近の著作で、とうとう浮気を不倫と呼ぶな、とまで言い出した。

まあ、対談相手の男性も、人間はどれだけ偉そうなことを言っても、所詮は動物ですから、などと霊性のれの字もないようなお人なので、内容がああなるのも、致し方ないのかもしれませんがね。

どんなに、優秀な大学(京都大学)を出ようが、長年研究に勤しもうが、それなりの社会的地位についていた経歴があろうが、個人の霊性の開発の度合いとはまったく無関係なんだな、と改めて思わされます。

リチャード・ドーキンスさんの本にもあったが、あんな風に人間が動物扱いされるなら、人間の霊性、神性は要らない。

彼ら(*1)は、神様が人間を動物の利己的な本能を持つようにつくったのだから、人間なんかこんなものだ(*2)、どれ見ろそれ見ろ、とヒステリックに、がなり立てているように見えて仕方ないんですよ。

彼らは、神様の被造物(*3)である人間が、動物張りのエゴを持たされたことを、そのまま人間に転写させ、これが人間の本質であり、全貌なのだ、と前提している、というか決めつけている。

しかし。

肉体人間の本体、本質であり大元は神様の分霊たる霊魂魄たる神体であり、肉体は映(うつ)し身に過ぎず、動物張りの本能は、神様が人間に便宜上付与したもの、と考えたらどうなるか。

すべては、ひっくり返るのですよ。

彼らには、それがまったくわかっていない。

T 女史のように、生存能力のある強い者だけが生き残ればいい、ただ勝ちさえすりゃあいいんだと、ことあるごとに動物行動を引き合いに出し、狡猾な手段ばかりを礼賛かつ推奨するなら、人間の親子愛、夫婦愛、家族愛をはじめ、自他一体感を意味する広い愛をも、完全に否定することになる。

神様は愛ですから、彼女のような考えは、神性を否定する以外の何物でもない。

彼女がなぜあそこまで、異様なほど神性否定に躍起になり、執着するのかは、それなりの理由が考えられる(=裏読みできる)が、それはともかく、彼女の周りには霊性の開発に縁のある人が多分いないのだろうとは思う。

私は、彼女の言うことを真に受け、欲望のためには浮気、不倫、何でもあり、姑息に生き残るためには手段を選ばない、問題ないと浅い理解をする人が出やしないか、と憂いているのですよ。

仮に、エゴのかたまりだけのような人ばかりが生き残って、相争うことしかできないのであれば、こんなことで、人類として生きている価値があるんですか?

神様がなぜ人類に万物の霊長としての地位と能力を与えたのか、これじゃあまったく意味がないし、こんな発想では、地上天国なんかできっこないよ。

女性が優秀な遺伝子を選びとり、残したい動物的な本能があるからと、第 1 子、第 2 子は夫の子で、第 3 子は夫以外の容姿その他でより優秀な遺伝子をもつであろう男性との浮気によって隠れて授かることを是とするような、どうしようもない卑劣で姑息極まる倫理観は一体どこから出てくるんですかね?

夫を多大に傷つけるこうした行為は、愛に背(そむ)く以外の何物でもないんですよ。

それが、誰も、何も諌(いさ)める人がいないのかどうかは知らないが、主張が段々とエスカレート(*4)してきている。

しょうがねえなあ、と。(*5)

次、二つめです。

男性、女性とありますが、とりあえず女性作家 K さんで。

簡単に言えば、恋愛で結ばれ、肌が吸い付くように合い、めくるめく快感が得られさえすれば、これこそがすべてで、これを金科玉条とするもの。

恋に恋してときめき、生き生きとしていられさえすれば、純愛だろうと不倫だろうと関係ない、形は問わない、とお考えなのだろう。

だから、目的達成のために数々の障壁のある不倫ならば、これを何でもありで正当化して、突破すればよい、という感じですね。

彼女の不倫応援歌のような言説(ゴメンナサイ・・・)を読むと、こんな印象を持ちます。

彼女の女性への取材を見る限り、特に夫婦の場合に、妻が性愛で心身一体の満足感を得ておらず、得たことがあっても時間が経って釣った魚に餌やらず状態で、おざなりにされている場合が、ままあるような感じでしたね。

やはり、性愛を極められず、心身ともにの強固な結びつきを完全に得るまでには至っていない感じです。

逆に、不倫の場合、かなりのスリルや刺激があるためか?相性バッチリでのめり込みやすいので、肯定しがちに見ているような感じ(ただし、様々な軋轢も生じて、元の家庭は壊れるし、再婚による再出発も大変なことも併記してあった)。

だったら、まずは、恋人間、夫婦間での性愛を極めればいいのであって、不倫を焚き付けるかのようなことは、言わなくてもいいのでは?

と、言いたくなる内容が多い K さんの本です。

まあ、これは私見なんですが・・・。

女性は、誰しも自分中心に世界が回っている女優であり、旬の時期があれば、生き生きとその生命を燃やし尽くしたい、と心のどこかで密かに願っている性(さが)を持つから、恋愛にすべてを賭けられるのであれば、心身ともに全てを投げうちたい衝動を内に秘めているように思います。

女性は、すこぶる現実的で計算高く、したたかでありながら、実は、こういった衝動をも内に秘めている、と。

フロイトのリピドーではないけれど、 T 女史や K さんの話を真に受け、流されてしまうと、不用意にこのライオンを解き放ちかねないおそれがある、と。

やはり、欲望の赴くままにではなく、霊性の開発を前提とした誠意をもった交流をして、その中で深い性愛を極めて頂きたいのです。

なので、性愛については、肉体人間としての人類の存続と霊性の開発も踏まえると、恋人間、夫婦間に限って極めて頂きたいなあ、と。

もちろん、過去世の因縁により、浮気や不倫が避けられない場合もあるでしょう。

しかし、一過性のものであれば、のめり込まないことだけは、心してもらいたいなあ、と。

ざっと、こんな感じですが、学問研究を楯にとり、不倫や浮気を推奨しかねない前者の方が、権威を信じやすい分、タチが悪いと感じましたね。

以上、言っても栓ないことだけど、敢えてウダウダ書いてみました。

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(*1)リチャード・ドーキンスさんや、 T女史のように、学問を用いて動物の生存のための行動様式の鋳型(いがた)を、人間の神性を無視して無理矢理はめ込もうとする人達を指します。

(*2)リチャード・ドーキンスさんの本には、旧約聖書の神をボロクソにこき下ろした、罵詈雑言のような箇所があります。

改変の有無、経緯は不明ながら、実際、旧約聖書にそう書いてありますからね。

リチャード・ドーキンスさんには、その実、神に対する深い期待と失望があり、その反動ががなりあるような気がしますね。

(*3)ひぞうぶつ~神によって造り出されたもの。

(*4)エスカレート~物事が段階的に拡大したり、激しくなったりすること。

(*5)ホンネは、こうです。

人間は動物そのものじゃないんだ、わかんねえな、ったく。

彼女も、もういい加減、内省して、一呼吸置いたらどうですかね。

研究に勤しみながら、霊性の開発とはまさに真逆の、肉体人間を幾重にもエゴのかたまりに仕向けようとする様は、影響力を考えると、滑稽を通り越して悲劇ですらある。

私が、口やかましいのは、人々の想念と行為の集積が、社会のあり方に影響を及ぼすからです。

私達の本体が、神様の分霊たる神体なら、真善美に悖る想念と行為、いわゆる業想念の集積が多大になると、天変地変などの恐ろしい浄化作用が起きてしまうのです。

なので、真善美に悖る業想念を、撒き散らし、焚(た)きつける言動にはどうしても嫌悪感を覚えてしまうのです。

唯物論で論駁(ろんばく~議論で、相手の意見や説の誤りを論じ、攻撃すること)しても、おそらく負のカルマを余計に増やすのがオチで、良いことは何もありません。

従って、ただ祈るしかないのですが、場合によっては、それすらやる気が失せてしまうことがあるんです。

今回、俺も随分と業想念を積んでしまった。

本当に悔しい。

残念だ。

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①追記: 2024/03/24 21:30
②追記: 2024/03/31 04:08
③追記: 2024/03/31 04:16
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。