本やインターネット(以下、ネットと略)で見た、男女関連について、雑記します。
男性に関しての記述でよく見かけたのは、男性を動物のオスのように見立てて、狩猟本能があるから、ハンター(狩猟家)のように、欲しいものを狙って漁りまわるのが当たり前と、あらかじめ神性を除(の)けてしまうようなとらえ方が、やたらに多かったですね。
女性の書いた文章でも、男性はハンターだから・・・といった記述をいくつ目にしたことか。
まるで、渇望する、漁るのは、何ら悪くないんだと、免罪符でも与えているかのように。
肉体人間は、動物的な狩猟本能(いつも言う、神様が付与されたものの一つ=自己保存の本能)と神性、どちらを主体にするかで、見方がわかれます。
動物的な狩猟本能を主体にして、話を展開するのは、肉体人間をそのまま動物扱いさせるのが目的ではないか、と邪推するほどのものでした。
いわば、(肉体)人間なんて、所詮は動物なんだ、権勢欲、支配欲、独占欲、果ては性欲が暴走することくらい、ある程度は構わないじゃないか、と言わんばかりの内容でした。
こうしたものの見方は、結局は弱肉強食を正当化するだけで、その手段が、どんなに狡猾だろうが、卑劣だろうが、残忍だろうが、結果良ければ全て良し、結果オーライ、勝てば官軍と同じことにしかなりません。
これは、専制君主が世の中を完全支配し、権力をほしいままにして、あらゆる暴政を敷くのを容認することに通じます。
本質は変わりません。
この考え方では、競争の出発点で、埋められないほどの圧倒的な差があっても、これを是正することは考えもしないかもしれません。
ただ、権力を自分周辺に代々引き継がせ、維持していくことだけしか考えていないと思われます。
従って、こうした発想を先鋭化させ、短絡化させるならば、機会の平等すら与えない、となるかもしれません。
肉体人間=人間=動物としている限り、こうした帰結になるのではないでしょうか。
さらに、もっと飛躍させ極論すれば、肉体人間=動物とするなら、どんなに悪が栄えても構わないと同義だ、とはなりませんか?
生まれが向こう側なら、無関係な人がどんな目に遭おうが、他人事で構わないと思えるかもしれません。
これが、肉体人間の中に神性を見い出さずに、動物扱いすることの帰結だと思うんですよ。
動物行動学研究家の竹内さんのような考えを推し進めていけば、このようになる、と。
他方、肉体人間は神様の分霊(わけみたま)が本質だと見るならば、機会の平等を与えることを含めて、様々な試行錯誤を兼ねて努力を重ねて経験を積みなさい、と神様はお考えになると思います。
私達が、弱い者いじめや、人としての尊大さなどに嫌悪感を覚えるのは、ここに根底があるのでしょう。
さて、厳しいことを書いてしまった女性さんですが。
私がいろいろと厳しいことを書いて、諌(いさ)めた(*1)ように見えたかもしれませんが、実は、あれは説教と同じで無効なんです。
例えば、ネットでは日本人女性のことをボロクソに言い、処女をゴミのように捨てることを書いている人がいましたが、あれも一理あると思います。
非常に残念なんですが。
女性にとっての処女喪失の初体験は、残念ながら、その脳裏にしっかりと刻まれてしまうようですからね。
なので、これを女性特有の同調圧力への弱さから、相手構わず、無理矢理に早く済ませようとするのは、拙速と言わざるを得ないでしょう。
ただ、この女性の同調圧力への弱さは、群れを作り身の安全を確保しようとした古代の名残で、やむを得ないのかもしれない。
現に、女性を見ると特に外見にまつわるものをはじめとして、周りの目を極度に気にするように感じます。
とにかく、群れを、集団を外れることを極度に嫌い、恐れるように見えますから。
他人がどう思おうが、法に触れたり、他人を傷つけたりしなければ、構わないじゃないか、とマイペースで行動する男性がいますが、私も同感です。
しかし、こうした女性は、本当に少ないと思うんですよ。
女性として生まれて、身を焦がすような恋をして、男性との深い一体感を得るような快感を極めて、幸福な家庭を築いている人がいれば、きっと目標とされることでしょう。
ただ、現実は厳しく、いくら貞操を守ったところで、初恋の人と結ばれ、理想の人と結ばれるとは限らない。
むしろ、そんな希望を叶える人は希で、お付き合いだけでも、理想と現実の差がある場合が、多いのではないでしょうか。
かと言って、時限のあるかのように思える性欲もなかなか我慢しきれない。
邪推ですが、男性の激しい煩悩と同様に、その実、女性も命を燃やし尽くしたいほどの恋に憧れ、快感を極め尽くしたい本能を秘めている、と思うんですよ。
さすがにここまで、明け透けに言う女性はいません。この本音は、鉄壁に建前で取り繕い、絶対に悟られないようにして、決して表には出さないでしょう。
どんなに、本音に近いように見えても、まだまだオブラート、綺麗事に包んでいるな、と思える記述が多いからです。
その技術は、天下一品、まさに天才的ですからね。
以前、恋多き女性作家のことを書きましたが、彼女がその後、多くの男性と浮き名を流すようになったのも、あの、粗野で乱暴に扱われた初体験の影響があると思うんですよ。
大昔ですから、一般男性が前戯などの技術を持つことは、滅多になかったかもしれません。彼女は、笑い飛ばしたかのように書いていましたが、実は、相当に重く大きなショックを受けたのではないでしょうか。
せめて、相手の男性が技術はなくとも、自分本意の射精のみではなく、真心と誠意を持って、彼女を大切に扱えば、結果は違っていたような気がするのです。
彼女が、あれほどの男性遍歴を重ねることには、ならなかったのではないか。
今風に言えば、あの粗雑に扱われた初体験が、彼女にとって実は大きなトラウマになってしまい、本人は意識せずとも、あのような結果になってしまったのではないか、と考えられるのです。(*2)
ですから、周囲に煽(あお)られ、マスコミに煽られ、強迫観念に押されて処女を失うことを、女性は、よく考え直すべきではないかと思うのです。
もし、初体験が、無意識にしろ、これほどまでに、女性のその後の人生に影響を及ぼすことならば、大事にするに越したことはない、と思うのですよ。
理想と現実の差は、簡単には埋められなくとも、せめて誠意を持ったやり方でお相手を探してもらいたいのですよ。
残念ながら、合コンはこれには程遠い。キツネとタヌキの化かし合いで、基本的に互いのいいとこどりしか考えていないからです。
処女を守れと言うのは、女性の輝く時期にそれなりの偏りがあること、そして、出産と子育ての時期の問題がありますから、厳し過ぎるかもしれません。ただ、初体験だけは、年齢に限らず、安易にしない方がいいと思うのです。
古来からの言い回しでは、処女を守る意義が、今一つ府に落ちず、理解できませんでした。
が、その後の女性の人生にきわめて大きな影響を及ぼす、と考えると、よくわかるのです。
ですから、誰が言い出したのかは知りませんが、私は処女を捨てる、という言い方は大嫌いです。
捨てるなんて、とんでもない。
実は、大切に扱わなければならないものだったのです。
捨てる、は不適切です。せめて、卒業なりの別の言葉を充てるべきです。
女性の人生にこれほどまでに大きな影響を及ぼすことを、捨てるという言葉で表現するのは、明らかに不適切だからです。
周りの友達が何だというのですか?
女子会が何だというのですか?
もし、バカにする人がいれば放っておけばいい。
その人が本当に女性として輝くような恋愛をし、人生を送っていますか?
と、男の私なら思ってしまいますが、上記のように、女性はなかなかこういった孤高を保てない。
悲しいかな、どうしても、同調圧力に負け、屈してしまう。
おそらく、生得的に古来からあった群れをなして身を守る習性のなせる業なので、仕方のないことなのでしょう。
こうした、取り残される、不安や恐怖にだけは弱いんです。
女性は、計算高く、したたかで、強いのですが、ここだけはどうしても弱い。
なので、済んでしまった方は、後戻りできませんが、ご自分の胸に手を当てて、よく考えてみてほしいのです。
処女喪失の初体験が、その後のご自身の人生に影響を及ぼしていないかどうか、を。
そして、まだの人(=処女)は、これらを考慮に入れて、慎重に、大事に考えてほしいのです。
私が、皆さんに霊性の開発をすすめたのも、実はこの意味合いもありました。
過去世からの因縁から、避けられない不幸、災難はあるかもしれないけれど、来世以降も含めて、できる限りこれを減らして下さる守護の神霊さんにお任せした方が、より安心感が高まるからです。
少しでもリスクを減らせるものなら、これに越したことはない、と考えたからです。
本当は、神様に直接お教え頂ければ、正解がわかるはずです。ただ、残念なことに、私にはそのような立派な縁はないし、霊性が低いので、お教え頂くことは叶いません。
ただ、処女を守るべきとする、古来の因習や考え方、そして、ネットでこれを主張する内容を読んでも、なかなか納得できなかった。
神様の分霊(わけみたま)を頂く肉体人間として、本来は気高く、高潔に生きるべきと、おぼろげながらもわかっていても、はっきりとはつかめなかった。
たまたま、恋多き女性小説家の作品を読んで、このような考えに至った、という訳です。
偶然だったんですけどね。
ですから、私の拙いこの文章を読んだ女性の方には、もれなく全員、処女喪失の初体験をどうすへきか、このことを自らの胸に問うことを、是非ともお願いしたいのです。
初体験を自らの意志で経験された方は、
本当に、自分はあれで良かったのか?
他に、道はなかったのか?
その後の人生にどのような影響をもたらしたのか?
そして、まだの人は、
自分は、これからどう初体験に臨んだら良いのか?
と。
ここまで読んだ方は、たったそれだけ?その女性作家のことだけで類型化するの?と思う人もいるかもしれない。
実は、もう一つあるんです。
この女性作家より、遥かに苛烈で壮絶な体験をされた方の手記を読んだためです。
この方は、その後、理解のある男性と廻り合い、経済的にも恵まれ、幸せな結婚生活をとりあえずはするのですが、当初は充足していた性生活も、どうしても壮絶な体験の傷跡のためか、次第に安定しなくなる。
子細は書きませんが、なぜ、わざわざこんなことを、という方向に流れていってしまったのです。
いくら、性に開眼したとしても、ちょっと信じられない、理解できない経緯をたどっているんです。
これは、どう考えてもあの酷い初体験の仕方が影響したとしか思えない。
先の女性作家もそうですが、初体験の通過儀礼は、決しておろそかにはできない、と思えたのです。
せっかく、時代環境にも恵まれ、恋を謳歌できる女性には、本当はあまり言いたくないのです。
まるで、縛りをかけるようで、気が引けますからね。
ただ、無意識層に甚大な傷を残し、これほどまでにその後の行動に多大な影響を及ぼすなら、一考する機会を設けるべきだ、と思わざるを得なかった。
そういった内容でした。
だから、勝手ながら、書かせて頂いた次第です。
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(*1)いさめる~(主に目上の人に対して)欠点を指摘して改めるように言うこと。忠告すること。
(*2)もしかしたら、私の見方はへそ曲がりかもしれません。
世間一般的には恋愛に積極的な憧れの先生と評する場合が多かったようですから。
しかし、ご本人の言う肯定的なことをただ額面通りに受け取るだけで、本当なのですか、と懐疑的にとる人はいなかったのかな、と思ったのも確かです。
ただ、恋愛遍歴の評価はひとまず置くとしても、それ以外は様々な人から尊敬された人のようでしたので、思った人がいても何も言えなかったのかもしれますせん。
もしかしたら彼女は、心の奥底では、本当は別の悲痛な叫びをあげていたのではないか、と邪推してしまったものですから。
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(追記)
前記しましたが、ここにあげていくのは、基本的に 1 年以上前に書いた内容を元にしているものなので、昨今、特に 3 月以降くらいでしょうか、合コンなどはおそらく急に時期にそぐわないものになっている部分があると思います。
従って、今は加筆訂正できる箇所を少しずつ直して、あと直しようがないものは、そのままとしています。
以下に載せていくもの、全てに同様となりますが、ご理解、ご了承下さい。
しかし・・・。
私は信仰者の端くれのつもりですが、やはり、もっと精進を積んで不動の心を獲得できていればなあ、と今更ながらに思います。
今までが今まででしたし、時代が時代なので、いろいろなことになるのは、予期できていたはずだとしても、やっぱり楽観していたのか、精進が足りなさ過ぎたなあ、と。
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①追記: 2024/03/31 15:30
②追記: 2024/04/19 19:25
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。