これまで何回も世界平和の祈りのお願いをしてきました。
具体的には、守護の神霊さんの運命修正を含めたご加護としての救済を、もっともっと多く頂かないことには、もう手詰まりで、二進も三進も(にっちもさっちも)いかない、と考えられるからです。(*1)
仮に、全人類の霊性が開発され尽くして、お釈迦さん(仏陀)かこれに準じる程にまでなれば、法制はそれ自体が不要になるでしょう。
いかなる法制が敷かれても、そもそも、問題そのものが全く起こらないからです。
自由尊重のものだろうが、独裁志向だろうが、法そのものを機能させずとも、何もかもが当意即妙に運び、問題や軋轢そのものが、生じないだろうからです。(*2)
法制が存在しても、いい意味で、意味を為(な)さない、機能しないからです。
そして、いずれ縛りとしての法制は、無用の長物として、自然に淘汰され、必ず廃棄され、消失することになるでしょう。(*3)
どころが・・・。
今のように、霊性が低いまま、法制を設ければ、どうなるか?
特に、独裁志向のものができあがってしまったら、もう先は見えています。
なぜなら、今まででさえ、欲で釣り、刑罰で脅す基本方式で、ジワジワと詰めてきているのに、シオンの議定書のような、強固な組織化が完成の域に達してしまえば、もはや、どうすることもできないからですよ。
なぜ裁くのですか?
なぜ批判するのですか?
なぜ貶(けな)すんですか?
良心に訴えれば、何とかなるんですか?
抑止効果で、何とかなるんですか?
どうなんです?
今までの経過を見て、有効な対策が取れて、効果があったと言えますか?
実際に、覚醒が広く波及して、大きな流れとなり、世の中が確実に、長足の進歩があり、改善がなされたことがありましたか?
俺は、追及派の人達が、上記の質問に、どんな答えを用意して下さるか、とても興味があります。
他方、霊的な話では、神一厘のみ仕組みで、すべてがひっくり返る?と期待を持たせるものがいくつかありますが、あれ、本当に可能性があると思いますか?
そのうち、そのうち、と期待させてダラダラなし崩しで引っ張るだけ・・・。
状況はあまり変わらないんじゃないの?
むしろ、詰まってきてるんじゃないの?
オオカミ少年じゃないけどさ。
それとも、もっとひどくなるところを、特別な救いでも効かせて?、何とか持ちこたえているとでも、強弁しますか?
守護の神霊様方の運命修正のご加護ならわかりますよ。
それ以外の希望を持たせて引っ張る物語は、大丈夫なのホントに?
相当、ぐらついているんじゃないの?
かなり、苦しい釈明に見えるものがありましたよ。(*4)
唯物論でもありますね、微(かす)かな期待を持たせつつ引っ張るものが。
で、結果が悪い方に転び、期待ハズレで大きく落胆させておきながら、外した希望的観測は忘却の彼方扱い。
何事もなかったかのように、素知らぬ顔をする。
知らぬ顔の半兵衛以外のなにものでもないんですけどね、コレ。
そうじゃありませんか?
で、また、次の微かな希望ネタ、と。
でも、全体の状況は・・・。
こんなパターンばっか繰り返してきたんじゃないですか?
ちょっと、いい加減すぎやしませんか?
保証しろ、とまでは言わないが、少しは言ったことに責任を感じて下さいよ。
スカばっ・・・。
それとも、わざとスカを出しているんですか?
ええ加減にせえよ!
こんな繰り返しばかりなら・・・。
もう、かなり学習したのですから、そろそろ、見切りをつけましょうよ。
そして、同じダメ元なら、祈りに賭けては下さいませんか?
今のままで、いいんです。
業想念にまみれていても、いいんです(ただし、ゴブチだけは、即刻やめて下さい。絶対に)。
とりあえず、祈りも始めてみて下さいませんか?
裁きがやめられなくてもいい。
批判がやめられなくてもいい。
貶しがやめられなくてもいい。
もちろん、やらないに越したことはないけれど、祈りを深めて、徐々に矛を収めるようになって下されば、いいんですから。
いちいち、襟をただして、人格を上げてから祈りを、では間に合わないし、実用化できません。
どんなに、業想念にまみれていても、今の状態から始めるしかないんです。
それに、肉体人間は、神様の分霊(わけみたま)を本体とするのですから、どんなに業想念にまみれ、霊性が低くなってしまっていても、祈り自体ができないことはないし、すればいいに決まっています(以前書いた人様を毀損することを祈りと称するものは論外ですよ。あれは絶対に祈りではありません。呪詛です)。(*5)
ということで、まあ・・・。
追及派の人達もお決まり。
霊的に希望を持たせながら、他人を裁きまくる人達もお決まり。
吹けば飛ぶような私もお決まり。
ただ、追及派さんと霊的裁きさんには、ある程度の実績があります。
これまでの、ジワジワ詰まりが、実績といえるんじゃないですか?
世界平和の祈りは、五井先生が逝去された後は、おそらく衰退してしまって?まだ、可能性を試し切っていないかもしれませんよ。
なので、唯物論に行き詰まった時の一つの選択肢として、お知り置き頂きたいと思います。
絶対の保証がないのが、厳しく辛いところですが、ヤケにはなれませんからね。
・・・。
別のキツい言い方をするとね。
俺は、救済詐欺?は、もう、いい加減にやめにして下さい、と言いたいのですよ。
救われなくたって、何だって、地道に祈っていくしかないじゃないですか。
私達の本体が、神様の分霊なら、どんな結果になろうとも、祈り倒すしかないんですよ。
トンガってる方にも、敢えて言いますけどね・・・。
易姓革命なんて、思想だけです。
現実を見なさい、と言いたい。
この方法では、因縁因果上でも、業想念が増える(=争いに関する悪い因縁が増える)ことはあっても、減ることはないんですよ。
祈らないんですから。
浄めないんですから。
ましてや、業想念の消失など絶対にない。
因縁因果の根本原因が、悪化することはあっても、解消などしないんですよ。
だから・・・。
もう、いい加減、幻のニンジンをぶら下げるのは、やめにして下さい。
頼むよ。
十分だろ?
ここまで来たんだから。
もう、こんなところまで。
俺は、妙好人の人達のように偉くはなれないから、こんな風に感情が乱れてしまい、文句を言いたくなってしまうんだよ。
だって、だいぶ前から、ずっと見てる景色が変わらない。
同じことばかり、繰り返してるじゃないですか。
どうして、違う可能性を探ってくれないんです?
本当は、先が見えてるんでしょ?
それでも、効果のあがらないことばかり続ける。
決して、懲(こ)りない、やめない。
これを、因縁因果と言うんですよ。
韓非のような冷徹さと、合理的思考からすれば、理にかなわないことを続けるということが、ですよ。
だったら、これを修正すべく、手を尽くしてみるしかないじゃありませんか。
それにね・・・。
テレビを見るのが当たり前な人達が、まだまだ、たくさんいますよね。
そして、話題と時事の内容を鑑(かんが)みて下さい。
今、どういう状況下にあるか、この人達に現状を認識してもらうことだけでも、いかに困難をきわめるか、想像にかたくない。
そして、仮にある程度まで理解できたとしても、おそらく動かない。現状維持を好みやすい国民性からも、動きたがらないと思います。
さらに、動かなくてはと思っても、動けない。おそらく、因縁に対する因果の発現の機が熟さないからです(そもそも、発現する因果すらない場合さえあり得ます)。
煙幕が幾重にも張り巡らされていて、実は、単純であろう全体像の理解すらままならない。
どうしようもないんです。
ホントに。
こんな形で、何段階にも障壁があり、何を訴えても、実効が現れない。
内容は、深刻なのだから、ちょっとしたブームでは、どうにもなりませんよ。
それが、今までの経緯ではありませんか?
なので・・・。
何で、わかってくれないのかなあ、と愚痴りたくなるのですよ。
まあ、言っても詮ないことだけど、わかってほしいよ。
~~~~~
(*1)二進も三進も~にっちもさっちも~物事が、行き詰まり、進みも退きもできない様子。どうにもこうにも。
(用例)不景気でにっちもさっちもいかない。
ひらがな表記の方が普通だと思われます。
(用法)あとに打ち消しの語を伴う。
(*2)軋轢~あつれき~仲たがいすること。不和。反目。
(*3)無用の長物~むようのちょうぶつ~あっても役に立たず、かえってじゃまになるもの。
(*4)ね、t さん。
最初、あなたは随分優しい感じの男の人だな、と思っていましたが、女性の方(かた)なんですね。
あなたは、私からみれば、偉大な祈りの先達です。
霊性も何もかもが、まったく比較すらできないほど、遠く離れた存在です。
霊感に準じる波動に関する特別な能力をお持ちのようです。
ワンダー?ですか?
霊的な強者(つわもの)のようですね。
こんな偉い人にモノを言えた義理じゃないんだが・・・。
あなたの唯物論上の現況分析は、ちょっとズレてるような気がするなあ。
気持ちの分析はともかく、状況分析は、ちょっと違うような気がする。
この点、SM さんの分析は流石(さすが)で、詳細で筋の通った、かなり精緻な説明をされていましたよ。
あと、もう一歩というところでしょう。
俺は、ジワジワと詰んでいく状況から、不安に駆られたような時には、あなたの前向きで明るい予想を、勝手ながら、精神的な拠り所としたことが、しばしばありました。
しかし、今や、あなたご自身が、精神的に逼迫(ひっぱく)して、かなり追い詰められているのではありませんか?
私は、思いましたよ。
完全にあきらめるかどうかはともかく、やはり、ひとまずのあきらめが、諦観(ていかん)が必要だな、と。
唯物論での、微かであてにならない、不確かな希望(幻のニンジンのことです)は、とりあえずない、と確定させてから、唯心論に向かう必要がある、と。
ここではじめて、神様におすがりしなければならないことを、理解する訳ですね。
いわば、絶対他力の信仰です。
唯物論で、どんなに絶望したところで、唯物論でのその先はありませんからね。
唯物論者の人は、絶望させるだけ、絶望させておいても、その先の展望は、具体的で有効なものを、未だに出せずにいますからね。(*4ー1)
まあ、出るはずもないんですがね。
俺は、ここで祈りを始めて下さい、業想念をもったままでいいですから、とお願いしている訳です。
あなたも揺れていらっしゃるのでしょうが、しっかりなさって下さい。
おそらく、あなたは、たくさんの人を導く使命を帯び、神様に期待されている人です。
現界での指導者のお一人なんですから、しっかりして下さい。
あなたが揺れてしまうと、まだまだ少ないであろう、祈り人にも影響が出てしまうかもしれませんから。
あなたのような方が、神様を信じられなくて、一体、誰が信じるというのですか?
しっかりして下さい。
お願いします。
(追記)
これを書いたのは、今から一年以上前なので、これは、ほぼその時点での話です。
まあ、俺は、各種の欲にまみれてばかりで、信仰者のはしくれとはいいながら、実際はもっと下賤な人間なので、t さんのような高貴な人にはおそらく縁がなく、彼女がこれを読まない可能性は極めて高いだろう。
まあ、万が一にも、読んで下さる機会があればということで、当時は書いた内容です。
以下も、t さんが、万が一、これを目にされる場合のために書きますが・・・。
もし、今回の文章で思わぬ失礼が多々あったのならば、どうかお許し下さい。
ただ、あなたの言われていた、カルマ寄越し?は、少くとも顕在意識では、絶対にやっていないので、悪しからず(無意識にしたかどうかはわかりません。祈りの会にも入っていませんし、イニシャルも、かの人とは全然違います)。
ただ、ほとんどの人がそうでしょうが、悟りを開けず、肉体人間観を脱却できず、自己保存の本能に縛られ、唯物論の見方が抜けきらないと、どうしても、不安に駆られて、安心したくなるんです。
なので、不安に駆られた時は、頼れる師匠を探して、依存しがちになるのかもしれません。
普通は、そういう不安を抱えながらも、信仰を深めていくのが、ありがちな姿なんでしょうね。
ましてや、家族や親戚、友人、知人でさえも、理解度の差は激しく、あとで少し触れますが、まともに世間話すらできやしない。
不安を抱え、更に各自が孤独になり、いわば、分断されてしまっています。
本当に精神的に頼れるのは、自分しかいないと、最近は、つくづく思わされます。
厳しいけれど、やっぱり、修行なんですね。
なお、お気づきだと思いますが、細かな加筆と訂正は、勝手ながら随時させてもらっています。
この点は、あらかじめご了承下さい。
お願い致します。
~~~~~
(*4ー1)出したつもりになって、有頂天?な方もおられるようですが、アレはダメですよ。
何年も前に、すでに失敗実例があるから。
少し考えれば、すぐにわかることです。
欲で釣り、刑罰で脅す、その力の源泉と力学を考えれば、当然のことです。
そんなお手軽なやり方が通用するなら、こんな状況にはなりませんて。
そうすると、韓非の視点からすると・・・。
まあ、その可能性が出てきてしまう訳です。
こうした次第で、唯物論は、常に疑心暗鬼の状態で、いなければならないんですね。
従って、業想念にまみれるのは、必定となります。
ということは・・・。
世を、現界をよくしていくことはない、と。
こうした、流れになります。
とにかく、祈りしかないんです。
肉体をまとった以上、どこまでも神様にお伺いをたてて、地道に歩むしかないんです。
(*5)呪詛~じゅそ~恨みのある相手や物事に災いがふりかかるように神仏に祈願すること。のろうこと。
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追記: 2024/03/31 22:38
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。