おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

053_雑記

ちょっと、突発的な思いつきです。

徒然の徒然です。

おどろおどろしい?ですが、虚飾と建前だらけで彩(いろど)られた(これは嘘八百ともいうのかな? SM さん)、悪魔的存在が絶対的な力を持ち、強力に支配する、どうにもならならない、この牢獄か刑場のように厳しいこの世、現界(時間軸で言えば、現世)の話です。

おそらく、前後に書き散らした文章とテキトーに重複(ちょうふく)するかもしれませんが、ご容赦下さい。

さて、この、不条理、不公平、デタラメに満ち満ちている、世の中の話ですね。

主に、追及派の人に代表されるように、権力に批判的な人達が考えるのは。

まず、彼らは、私が常々書いてきた、真善美に悖らない神様を、肉体人間の理想像として、あらかじめ想定していますね。

そうとしか、読めませんからね。

その上で、おかしな専横や腐敗を明らかにすれば、きっと、強(し)いたげられている人達、搾取されている人達、あるいは、気づかないようにうまく騙されている(洗脳されている?催眠術にかけられている?)人達、ソコソコの状態に甘んじれば、コトを荒立てない人達までをも含めて、寄り集まって構成された社会に対して、その理想像を拡大・投影させて、すべからく是正させるべきだ、としていますね。(*1)

そして、真善美に適った是正の主張をすれば、きっと皆(みんな)が理解して賛同が得られ、それが人々を動かし、社会を是正する動きにつながるはずだ、と考えていますね。

だから、SM さんの言うように、普通の理解力があれば、きっと世の中が快方?に向けて動き出すのは必定だ、そうならなければおかしい、と。

でも、どうでしょう?

SMさんが匙(さじ)を投げてしまいたくなるように、ちっとも快方に向かいませんよね。

むしろ、大勢はジワジワと着実に悪くなっている。

そのために、追及派で霊的な仕組みに無知な人達(ホントはある程度、知ってるはずなんだがなあ)を、苛立たせ、いいように操作されている人達に対して、シープルをはじめとした、ゴブチ(傲慢、侮蔑、嘲笑(冷笑含む)の略)の台詞(せりふ)を、吐かせる仕儀と相成ってしまう。(*2)

これは、つまり、目的のための手段が適切ではない、間違っているということではないですか?

社会を是正する実効があがらないんですから。

効果がないのですから。

つまり、この世は、真善美にもとづいた、あるべき正当な理屈や感情でねじ伏せて、どうこうできるものではない、ということです。

そういった仕組みとは、別のもので動いている、と考えられるのですよ。

だから、動かないんでしょ?

まあ、見方によれば、ネット空間に書き込むのですから、場合によっては、内容の如何(いかん)にかかわらず、影響力をまったく持ち得ないままに、捨て置かれる、といった可能性も十分にあり得ますけどね(この私のブログみたいに)。

この意味合いまでをも含めて、この世を動かす力を持ち得ていないのが、現状な訳です。

そうですよね?

まあ、とにかく、以下、とりあえず、めんどくさいので、このネットの影響力については、SM さんのような、それなりの高度で充実した内容があるもの以外は、除外して話をすすめます。

で、理論が優れたものが勝つなら、こうはなりませんよね?

感情に訴えれば、必ず何とかできるなら、やはり、こうはなりません。

つまり、理屈や情動の闘争?に持ち込んでも、影響力を持てない、惨敗続きで、やられっぱなしで来た、ともいえる訳ですよね?

今までの経過からすれば。

状況が改善に向けて動かないだけでなく、次第に悪くなるのですから。

これじゃあね。

これからも、このやり方を続けている限り、まったく勝ち目などない、ということなんですよ。

メッチャ、キツい言い方になりますがね。

そうじゃありませんか?

追及派の人達は、雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)、のように、いつかは損益分岐点のような臨界点を越えて、潮目が変わり、世の中の光明化始まると考えて、非を鳴らし続けているのでしょう。(*3)

が、事態は好転しない状況が続くどころか、漸次悪化するのですから、勝算がないとされても、仕方ないでしょう?(*4)

そうですよね? 

ましてや、易姓革命なんか、いかにももっともらしく聞こえますが、社会の救い難い腐敗や汚濁や退廃に悩む肉体人間の、世直し願望を投影しただけの、「絵にかいた餅」ではないか?と思うのですよ。(*5)

そもそも、この思想が出た古代中国の状況より、比較にならないほど科学が進歩して、高度で広範な組織化が進んでしまっている(=つまり、支配が高度に行きわたってしまっている)現在、こんな可能性を考えること自体が、無謀だとしか思えないからです。

といった具合で・・・。

現実の現界と理想の神界は、著しく、いや、まったく違っている。

理想と現実の、凄まじいまでの乖離ですね。(*6)

まるで、神様が私達に課した、大きな宿題?のようです。

言葉に訴える、感情に訴えるのも、策?なのかもしれませんが、これほどまでに効果がないのですから、考え直すのも一興?ですよ。(*7)

いや、考え直すべきだと思います。

ただし、ここでは私も、私達、肉体人間の根底は、真善美に置いています。

いつも言う、肉体人間の本体が、神様の分霊(わけみたま)と考えているからです。

昔、ある歌のこんなセリフがあったそうです。

わかっちゃいるけど、やめられない。

誰が?自分が?

それは、肉体人間としての自分?

それとも、本体の神様の分霊としての自分?

考えるのは、こうです。

神様の分霊の自分、神性は、実は遠目に見てわかっている。

もちろん、守護霊さん、守護神さんは、当然わかっています。

特に、守護霊さんは、過去世、現世、来世と、霊的に見通しの利(き)く目で、いつも見守っていてくれますからね。

やめられない、とはどういうことか?

現世の五欲に起因する、モノ、カネ、女(男)に関する、各種の欲望を抑えられずに、行動に移すことですね。

ただ、この欲望の実行には、単なる肉体人間の欲望のおもむくままと思われるものばかりではなく、意図しなくてもやってしまうものがありますね。

これは、何催(もよお)しなのか?

少くとも、神催しではないことだけは、確かですね。

基本は、五欲にまみれた、その欲望に衝(つ)き動かされた、肉体人間の所業なのですからね。

この世の欲望に素直な行動も、意図しなくてもやってしまう行動も、双方含めて何催しか、ということです。

現世の、この世の催す元の欲望は、どこから来ているのか?

因縁催しですね。

つまり、(過去世の)因縁の結果の発現としての、因果としての欲望と行動です。

因縁とは、手元の辞書によると。

結果をもたらす因と縁。または、その関係。

因は、結果を生じる内的な直接原因。

縁は、因を外から助ける間接原因。

と、あります。

さしずめ、私達の本体の神様の分霊に、付与された動物的な本能が因で、これに伴い惹(ひ)き起こされてくる各種の付随行為が、縁と言えるでしょう。

この因縁は、肉体人間の想い、想念から生じるんですね。

行為の前段階には、想いがありますから。

これは、想いの世界、幽界にあるのです。

で、(詳しいことは省きますが)この現世は、幽界のあり方が反映されたものになっているんですね。

本来なら、大元の神様の世界が、霊界、幽界と通過して、現界に現れて、地上天国にならなければならないはずですね。

本来ならば、現界は、神界の映し世になっていなければならない、と。

そして、実は、私達肉体人間もそうですが、物質と思われるものが、突き詰めていくと、波動になるらしいんですね。

実感できないので、とても信じられませんがね。

従って、私達も、モノも、各固有の波、周波数を持っているらしいんです。

きわめて乱暴に言うと、波動は光の粒であり、これが各種の形を描いて、様々なものになるらしいんです。

神様の世界、神界が大元で、ここから光が発せられ、霊界、幽界と通過して、現界たるこの世に来て、目に見えないものをも含めて、ありとあらゆるものがある、と。

この神界の世界の光が、そのまま、障(さわ)りなく素直に来ていれば、現界は、神界そのままの映し世となり、こんなに乱れて、汚れきった世の中にはなっていない、と。

つまり、神界の光が、現界に届くまでに、屈折してねじ曲げられているか、濁(にご)らされているか、曇(くも)らされているか(以下、曇りで統一します)、で本来の光が変質してしまい、あるべき姿からかけ離れたものになってしまっている、と。

この曇りに当たるのが、幽界(霊界の下層もありますが、ここでは省略)に溜まりに溜まった、肉体人間が輪廻転生を通して抱いた真善美に悖る想いと行いの業想念なんですね。

なので、その曇った神界の光の汚れを払う、落とすことが、現界での修正復元作業となります。

これが、現界での時を経て消えてゆく姿となり、病気・貧乏・争い・苦労などの苦しみや辛さを主にして、あらわれてくる訳です。

つまり、私達は、否応なしに、魂の汚れ落としをさせられているんですね。

神界、霊界、幽界、現界まで含めて、すべては神様の統括する世界であり、神様がいなければないのですから。

なので、本来あってはならない、余分になった不純物は、消えてゆかざるを得ない。

そういった定めにあるんですね。

元々は、神様の分霊であり、曇りのなかった私達は、惑(地球さん)開発のために、自己保存の本能と動物的な本能までをも付与され、次第に業想念を積んだ行いをするようになり、神性を忘れて、想いの幽界を曇らせてしまった。

その幽界の形が、反映されてくるのが、現界であり、この汚れて乱れた世界になっている、と。

つまり、

想い→行為

で、その行為は真善美に適合するか?

適合→良い因果を結んで消えてゆく

不適合→病気、争い、不幸などの悪い因果を結んで消えてゆく

ですね。

つまり、この世で起きてくる様々な出来事、特に不幸、災難の制作の元は幽界にあるんですね。

しかも、今までいくつか書いて来たように、この幽界に溜まって現界で具現化される想いは、今のもの、現世のものではないんですね。

大半が過去世のものなのです。

そして、過去世(前世、前々世、・・・)と溜めてしまった想い(主に、業想念)ものを、いつの世に、何世目の人生のどの時期に、その発現(あがないなど)を割り当てるかの配分(これは、おそらく、守護霊さんや守護神さんの決定事項です)は、私達の預かり知らないものなんですね。

五井先生の本にあった、すべては過去世の因縁の消えてゆく姿、あるのは、ただ、神のみ心だけなのだ、と書かれていたことは、こうしたことを意味していると考えられるのですよ。

どちらかというと、直感的なお話が多く、詳しい説明がなかったので、本だけではわかりにくかったかもしれませんが、五井先生のいくつかの本を読み、考えに考えて、詰めに詰めると、こうした解釈ができるのです。

まあ、過去世のものが大半ですから、私達には何が出てくるかはわかりません。(*8)

とにかく、過去世の因縁の現世での因果としての発現も、世界平和の祈りと守護の神霊さんへの感謝行をすることによって、少しでも運命修正のご加護を頂くに越したことはないし、また、来世以降に影響を及ぼす、現世でつくる業想念についても、同様に祈りと感謝行で、最小限にしておくことが望ましい、となりますね。

いずれにしろ、私達肉体人間が作ってしまう幽界に溜まる業想念を、浄めて消し去らなければ、現界の不幸、災難などを減らすための、根本的な解決にはならないのですよ。

因縁が因果を結ぶ、つまり、幽界で決まっている大半の過去世の原因が、結果として現界に出てくる訳ですから、今、この、あくまでも「結果の世界でしかない現界」で、あーだ、こーだと言っても、どんなに批判してがなりたてても、どうにもならないものがあるんです。

だって、「すでに決まったものがあらわれてくる」だけなんですから。

なので・・・。

以前書いた、古いたとえのように、映画の上映=過去世の因縁の現世への因果としての発現、の前に、その上映フィルムとしての、幽界で過去世の因縁により、ある程度できあがってしまっている世界を、その中でも特に不幸などを、何とか少しでも修正して、減らしていくように努める。

これをやるしかないように思うんですよ。

世界平和の祈りと守護霊さん、守護神さんへの感謝行によって、運命修正のご加護を頂きながら。

そして、この曇りである、業想念は、すぐに大量に湧いてしまうので、私達の自治だけでは、遅かれ早かれ、自滅してしまいます。

しかも、その業想念の程度が、あまりにもひどい時には、天変地変などの形で、浄化する場合があるらしいんですね。

その他、諸々、考えられます。

以下は、( 054_雑記2 - おぶなより ) に続きます。

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(*1)・専横~せんおう~ほしいままにふるまうこと。わがままで横暴なこと。また、そのさま。

・投影~とうえい~①物の上に姿・影を映すこと。また、その姿・影。
②(転じて)ある物事の影響が他の事物に現れること。
ここでは、②の意。

・事物~じぶつ~もの。ものごと。
(参考)「物事」に比べ、「事」よりも「物」に重点をおいた言い方。

・すべからく~須らく~当然。ぜひとも。
(用法)漢文訓読から生まれた語で、多くあとに「べし」を伴う。
(語源)サ変動詞「す」に助動詞「べし」のク語法「べからく」の付いたもの。

(*2)・仕儀~しぎ~(思わしくない)なりゆき・事態・結果。
(用例)手に余る仕儀にたちいたる。

・相成る~あいなる~成るの改まった言い方。
(用例)秋冷の候と、相成りました。今後の出入りは相成らぬ。
(用法)手紙文・あいさつなどで用いる。

(*3)・雨垂れ石を穿つ~あまだれいしをうがつ~(雨垂れも長い間には石に穴をあけてしまうことから)小さな力でも、根気よく続ければ、必ず成就することのたとえ。

・成就~じょうじゅ~成し遂げること。長年の願いや思いがかなうこと。できあがること。

・臨界~りんかい~①境。境界。特に物質がある状態から別の状態へと変化する境目。
②原子炉の炉心で、核分裂連鎖反応が持続しはじめる境目。
ここでは、①の意。

・潮目~しおめ~温度・塩分など性質の異なる二つの潮流の接する境目に生じる帯状の節目。潮の目。

(*4)漸次~ぜんじ~だんだん。しだいに。

(*5)・易姓革命~えきせいかくめい~(天子の姓を易(か)え命を革(あらた)める意)古代中国の政治思想。
天子は天命を受けてこの世を治(おさ)めるのだから、天子に徳がないならば、代わって他の徳のある者が天子の位につくのは、天の意志だとするもの。

・天子~てんし~(天の代理として国を治める者の意から)一国の君主。

・汚濁~おだく~よごれにごること。
(参考)仏教語では、おじょく、と読む。

・絵に描いた餅~えにかいたもち~(食べられないことから)実際の役に立たないもののたとえ。画餅(がべい)。

(*6)・乖離~かいり~(乖はそむくの意)そむきはなれること。
(用例)人心の乖離。理想と現実との乖離。

(*7)・一興~いっきょう~ちょっとおもろいこと。一風変わっていておもろいこと。

(*8)・霊の目が利く=これから起こることが見通せている、わかっている、守護霊さんや特別な霊的な能力のある人ならわかります。
しかし、ほとんどの人にはわかりません。
つまり、私達の大半には。

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①追記: 2024/03/31 22:59
②追記: 2024/04/01 01:35
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。