おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

287_バチの授業

またまた、前々回 ( 285_因果律 - おぶなより ) の補足になってしまうのだが、因縁因果の話を追記したい。

現世、今この世のなかで、起きる不条理な出来事などの原因、すなわち因縁の大半は過去世にあり、逆に言えば、因縁因果の法則が現世での間、この世で生きている間に完結する、それも万人の誰にもわかる形で明らかになっていれば、誰も悪いことなんかできやしない、と書いたくだりです。

もしも、仮に、義務教育の中で、例えば小学校の授業中に、霊性の授業があり、そこで因縁因果の話があるとする。

世の中にある病気や争いや貧乏や苦労は、このようなことをすると、神様の分霊を本質とする私達としてはふさわしくないものだから、すぐに償うための現象が、いわば、バチとしてあらわれてくるんだよ、と徹底的に叩き込まれたらどうなるだろうか?

しかも、世の中にあらわれてくる病争貧苦には、難病のような因縁がわからない不条理なものといった、原因としての因縁がわかりにくいものがたくさんある。

これらが、すべて明らかにされて、こうしたバチが今この人生内に必ずあらわれてきますよ、苦しむんですよされたらどうなるか、です。

そうなると、みんな、おそれにおそれてしまって、ビビりまくり、誰も何も悪いことができなくなる、と理屈の上では考えることができますよね。

わざわざ、苦難、それも絶対に避けることのできない苦難を、買って出たい奇特な人(超変人?マゾヒスト?)は、まずはいない、と考えられるからです。

以上は、理屈の上だけから考えられることですが、それだけではなくて、このおそれる、という想い自体が真善美に悖るものですから、またおそれることそれ自体を消し去るために現象化させるという、非常に厄介なものになっています。

だから、こうした授業はないんじゃないですかね。

そもそも、唯物論ではない事象を扱う占い師の人の中にも、神様はいないだの、霊はないだのと、スピリチュアル絶対全面否定を堂々と言われている方がおられますからね。

従って、霊魂そのものの存在すら認めない、こうした話をバカにする人もたくさんいるかもしれません。

だから、神様は、教え、しかもおどろおどろしくないまともな教えは一部にとどめて、今のような状態をあえて作り出しておられるのかもしれませんね。

そして、時間をかけて、輪廻転生を通して修行の形で、苦労をさせながら、魂に刻み付ける人生経験として、体得させていくような。

それともう一つは。

五井先生(日本の宗教家五井昌久さん)は、神界、霊界、幽界、現界のうち、現界、この世の肉体世界の波動が粗く、何をするにしても時間がかかる旨を書かれていました。

すべてのあらわれは、波である、波動である、というのは、残念ながらよくわからないのですが、想いが速いことはわかりますよね。

この世(現界、現世)では、何をしようと想っても、その実行、実現までにはかなりの時間を要することがほとんどです。

逆に言えば、過去世での真善美に悖る想いと行いの償いができやすい、やり易い環境にあるとも言える訳です。

肉体としてあらわれていなくて、幽界、想いの世界だけにいては、例えば、殴ろうと想えばすぐその相手があらわれ殴り返されるというように、超高速な循環で、無限ループのようになって、なかなか苦しみを脱することができない。

肉体世界に生まれ、時間がかかるからこそ、因縁、特に真善美に悖る因縁を果たすための十分な時間が与えられる。

だから、人身得難しではないが、肉体人間として生まれることは、とてもありがたい意味があるらしい。

確か、肉体世界に生まれたくても、生まれることができないで苦しんでいる霊魂もあって、同じような想いを持って生きている肉体人間にかかってきたり、子孫に救ってもらいたくてかかってきたりなどがあったりして、不幸などが起こってくることもあるようです。

同じ病気にかかる人が代々続いたり、と。

だから、施餓鬼供養(せがきくよう)、特に世界平和の祈りは、御先祖様からの霊道までを浄める力があるようなので、意義があるらしいんですよ。

あともう一つは。

私達は、(特別な人を除いて)その人生がどのようなものであるか、事前にはわかりませんよね。

基本は、真善美に悖る想いと行いの償いの修行として、この世に出されても、その償いがいつ起きてくるのか、あらわれてくるのかは、まったくわからない訳です。

その手がかりが、いわば、過去世の生き方が、手相や名前などの一部にあらわれているので、占いなどの分野があるんでしょうね。

未来(に起きてくること)が知りたくて。

より良い未来を切り開くための手がかりを得て、何とか工夫をしたくて。

世界平和の祈りは、過去世の因縁、中でも、真善美に悖る想いと行いの償いのあらわれ、いわば、悪い因縁のこの世でのあらわれの因果を、かなり緩和してくれる、減らしてくれる力があるそうなんですよ。

過去世の生き方から、因縁から、すでに決まってしまっているこの世での運命である宿命は、私達にはどうすることもできませんよね。

だって、今この世からはどうすることもできない、はるか昔に決まってしまっていることなのだから。

仮に、何らかの対策を講じる、例えば、引き寄せの法則張りに(?)封じ込めようとしても、果たすべき因縁は先伸ばし(現世内のだいぶ後か、来世以降)になるだけで、消滅させることはできないと。

こうした因縁のあらわれである因果は、世界平和の祈りによる功徳か、守護の神霊さんのお計らいによる救い、因果の修正がなければ、変更がないそうなんですよ。

確か、五井先生の空即是色の中にあったと思うんだけど(今ちょっと本が見つからないので確認ができ次第、ここの注釈として追記します)、交通事故で何ヵ月か寝込むようなものが、かすり傷程度で済んでしまうというようになっていました。

ならば、こんなにありがたいものはない。

病気など、それも明らかな不摂生などが原因ではない難しいものなどに苦しんだ経験のある人なら、これがどれほどありがたいものかは、すぐにわかるはずです。

ご利益(ごりやく)信仰的にはなってしまう嫌いはありますが、やるに越したことはない。

それであのように書いた次第です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2021/07/09 23:41
②追記: 2024/04/25 22:30
〜訂正内容

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。