これから、つまみ食いした仏教の再入門みたいな羽目になっちまったけど、どうしようかな。
あくまでも、韓非のような視点で、祖師や孫弟子?を祭り上げ、美化する先入観を排して見ていけばいいのかな?
どこまでできるか、まったくわかんない。
かといって、リチャードドーキンスさんのような旧約聖書に関する罵詈雑言の羅列みたいにならないように、気を付けなければならないから・・・。
アホ、バカ、クズやゴブチの使用を控えて、霊性の開発をお願いしてきた手前、これは仕方ないことになるんだろうな。
以下に、妄言を書きます。
まあ、仏教という、一つの宗教に臨む厳しい姿勢の参考としての、小さな小さな、しかも、極少のホラ話です。
厳しい見方・・・。
たとえば、日本国憲法ですね。
あれは、いろいろな見方がされて難しいものなんでしょうが、ごく素直?(とは言えないかもしれない)に考えれば、その制定にあたっては、二つ(煎じ詰めれば一つ)の重大な目的があったと考えられます。
その後の経過を見ても、所期の目的は十二分に果たされた、と解釈できます。
おそらくは、アチラさんが、制作の大部分を担当されたと思われますが、その用意周到さと、先々まで見通す、老獪(ろうかい)で鋭い読みは、さすがに実利を第一に徹底させる国だな、と思わされるところがあります(ひどいことも、むごいことも、いくつもしているから、本当はあまり感心したくないんだけど)。
まったくもって、恐れ入りました、と思えるほどに。
さすがの韓非も、これには一目置かざるを得ないだろう、と思えるほどに。
俺はヘソ曲がりなので、こんな見方をするのかな、と思ったこともありました。
が、最近の案を見て、やっぱりそうだったんだ、と勝手に納得しているんですけどね。
おそらく、アチラさんは、コチラの国民性や直近までの歴史をかなり勉強して、当時のコチラの内部政策の過酷さまでをも、十分に考慮に入れている。
そして、その上で、目標達成だけは至上命題として、確実に成し遂げることを視野に入れて、念には念を入れてつくりあげた、と考えられます。
失敗は許されないからです。
なぜなら、目標達成は、他の政策との合わせ技になるとはいえ、要となる法制でしくじる訳にはいかないからです。
唯物論としては、一番、実効が及ぶ外枠の法律を固めることが、何よりも重要で、本丸だからです。
なので、あれは、唯物論で見る限り、決して偶然の産物としてできあがったなどという、生易しいものではない、と。
あまりにも綺麗事になり、返す刀で身動きがとれなくなり、多少、やり過ぎな面もなくはなかったのかもしれません。
しかし、その代わりに(おそらく、この権力に対する縛りをはじめとする代償も、かなりの程度、計算に入れていたでしょう)、当然の帰結として、所期の目的だけは、それなりの余裕をもって確実に成し遂げている。
多少、計算結果にブレが生じても、所期の目的だけは、何一つ損なわないように、確実に保証させるようにする。
必須事項として。
そのために、推敲(すいこう)に推敲を重ねるように、練りに練り、保険をかけて(ブレが出た時に備えて、さらに抑止を設けること)まで、対処をして備える。
こうして、幾重にも、慎重にも慎重を期して、安全対策を施した甲斐あって、間違いなく合格点はとれている(余裕を残したから)。
その後の経過を見る限りは。
逆に言うと、その目標がなければ、あのような内容にはなり得なかった、とも考えられる。
感情論?やあるべき論?で考えるから、本質がわかりにくくなっていただけであって、韓非のような冷静、冷徹な見方をすれば、それなりの意図が、厳として存在していたことがわかります。
自由、博愛、平等をはじめとする理想像は、それなりの製作者側の意図があり、主題ではなく、副産物としてもたらされたものであった、ということです。
脇を固めるための、捕捉要因であった、と。
本来の目標を達成するためには、あそこまで念を入れる、より確実性を増すために。
なんという、石橋を叩いて渡る、用意周到さか、したたかさか。
伊達に、人権宣言を流用している訳ではなかったのです。それなりの利益と誘因とともに、何と防波堤としての役割まで担わせていた。
なんという、計算高さであることか。
こんな凄まじい執念?すら漂いかねない厳しさで、制作に臨んでいるんです、絶対にとりこぼしがないように、と。
アチラさんは。
コチラが出す案を採用するのに、どこまで本腰だったのかはわかりませんが、時代状況をまったく踏まえていないかのような、旧態依然たる松本案(商法学者松本烝治さんの案)が却下されたのも、むべなるかな。
当然の結果だったと考えられます(もしかしたら、既定路線だったのかもしれませんが、その真相はまったくわかりません)。
まあ、残念ながら霊感がないので、霊的な、そして、因縁因果的な意味合いはわかりません。
ただ、少なくとも、唯物論では、それなりの理解ができる。
今となってみれば、アチラさんの想定は杞憂だったのかもしれない。しかし、あそこまでの鉄壁な防御体制を敷いて、ことに臨む姿勢は、舌を巻くしかありません。
なので、短期間の突貫工事のように言われているが、果たして・・・、と。(*)
・・・といった感じで、仏教の関連した本を見ていくべきなのかな、とか、いろいろと迷っているんです。
マスコミの製品寸評を批判して申し訳ないが、いくつか痛い目にあっているんですよ。
たとえば、デジカメ(デジタルカメラの略)。
ある雑誌でベストバイとされていた、汎用のコンパクトデジカメ(以下、コンデジと略)を買った時のこと。
フラッシュが備わっていれば、少なくとも充電池が満タンなら、最低でも10枚以上は撮影できないと困る。
充電だけで、2 時間以上かかる場合がほとんどなんだから。
どころが、そのベストバイとされたコンデジは、フラッシュを使うと、1、2 枚ですぐにバッテリー(充電池)が上がってしまう。
何だこれは!
メモ用も兼ねて買ったのに、使い物にならないじゃないか!
1、2 枚撮ったらすぐ充電では、話にならないよ。
そんな使い方に関する注意書きは、その雑誌の評価記事には、どこにも書いてない。
ひどい。
こんな使えないコンデジの、一体、どこがベストなんだよ。
ふざけるのも、大概にしてくれ。
ちなみに、そのコンデジの名誉のために言っておくと、小型ながらも作りは堅牢で、フラッシュさえ使わなければ、撮影枚数や動画の録画時間は短めながらも、画質は悪くなかったがね。
しかし、強い逆光時の撮影や夜間撮影が、実質ゼロでは、記録用、メモ用には、まったく使えないし、お話にならない。
フラッシュ撮影だって、露出を外すことは多々ある(まだ、自動露出がそこまで賢くなっていない)んだから、撮り直しだって結構するんだよ。
なのに、こんな体たらくじゃあ、どうしようもないじゃありませんか。
今まで、使って壊れて買い換えた数台のコンデジ(メーカーも複数以上)でも、こんなにひどいものは、単 3 電池 2 本仕様のかなり古い機種 1 台(それでもまだこっちの方がマシ)を除いて、一つもなかったんですよ。
これは、掛け値なしの最低です。
たった 1 枚だけの撮影のために、あるいは、その 1 枚の撮り直しのために、いちいち、2 時間以上も充電を強いるなんて絶対にあり得ないよ。
まして、フラッシュが内蔵されているんだから、一眼レフや高画質ミラーレスや高級コンデジではなく、あくまでも汎用機なんだから、そこそこの画質で、手軽に数多くの写真が撮れなければ、存在価値がないじゃありませんか。
バッテリーの消耗の激しい今のスマートフォンだって、こんなにはひどくない。
これで、ベストバイですか?
よく、そんな無責任でデタラメな評価ができますね。
どうせコンデジ(汎用機)だし、飛ばし記事だし、信じて買った人間がバカ(ああ、使っちまったなあ。これくらいならまあいいか)なのさ、くらいのつもりですか?
後で、ネットを調べてみたら、案の定、同様のケースがいくつも出ていました。
完全に騙されたとしか、いいようがない。
下調べを面倒くさがって、手抜きをした俺にも落ち度はあるが、それにしても、この評価はひどいよ。
もしかしたら、テスト用機材の貸し出し個体が、特別仕様だったのか?
わかりませんがね。
とにかく、他の出版社も似たようなものかもしれませんが、以来、特にその出版社の本は、中身を鵜呑みにしないよう、気をつけるようになりました。
また、自家用車( 4 ドアセダン)の場合。
かの大御所さん(自動車評論家 徳大寺さん)が、書籍でべた褒めに誉めまくっていたもの。
外国の超有名ブランドに匹敵するか、それ以上なくらいに。
なのに、 1 年もすると、もう評価が 180 度覆った。
あれだけ、パッケージングが現代的だなんだと、散々、誉めちぎっていたのに、たった 1 年で、もはやスタイルに新味は失われた、だって?
信じて買ったこっちがバカ(これも、まあ、俺自身のことだし、業想念の許容範囲内として割り引いて下さい)だったのかもしれないが、それはいくらなんでもないだろう?
俺は、機能性を含めていまだに良いと思っているから、まだ救いがあるが、この評価を見た時には、物凄く後味が悪く、不愉快極まりない思いをしたよ。
大御所と言われるほどの、あなた様のデザインセンスと試乗論評は、たったの 1 年で激変するほど、軽佻浮薄で、陳腐化しやすいものなのですか、と皮肉の一つも言いたくなるほどにね。
・・・といった具合で、マスコミの製品寸評は、その評価者が、当該製品を購入して、それなりに愛用しているものでないと、信用できないな、と疑い深くなっているんですよ。
さて、仏教ですが、宗教を信奉する?人の本を読んでいると、どうも宗祖やこれに準じる人達のことを、完全無欠に?美化しようという、気配を感じるものが、多いように思うんですよ。
もちろん、自らを下に見て、謙虚な姿勢をとるのはいいのですが、そのかわりに、宗祖さん達を祭り上げすぎる嫌いがある、と感じるんです(俺の独断と偏見かもしれないが)。
そこに、もう少し、間をおくために、韓非のような、冷静な見方をはさみながら見ていきたいな、と考えているんです。
できるかどうかもわかりませんが。
まあ、とにかく、心構えだけでも必要だと考えます。
~~~~~
(*)抑圧の厳しいそれまでとは異なり、一般の人が、そこそこの自由と権利を与えられたのは、実はまったく別の意図を持った政策上の安全弁により、副産物としてもたらされたという、何とも、皮肉というか、不思議としか言いようのない結果を考えると、神様のおはからいがあったのかもしれません。
どんなに唯物論の優秀で狡猾な人間が、あらん限りの知恵を絞っても、神様のお計らいは、はるかに遠大で、及びもつかないものである、と考えられるからです。
なので、あの後しばらくの間は、霊性の開発をすすめるには、うってつけの期間であったとも考えられます。
五井先生が、ちょうどあの時期に活躍できたと言われるのも、その一環だったのかな、とも思えなくもないような。
ただ、残念なことに、3S政策をはじめとする狡猾なやり方や、恣意的なバブルの饗宴が功を奏したのか、徐々に一般の人々の霊性が低下させられ?、現在のようにまでなってしまった。
マスコミ、ネット、今や、どこを見ても、アレですからね。
ブログに関して言えば、ここ最近は特に広告の占拠する割合が増え、挟まれた動画も・・・。
さて、どうしたものか・・・。
やっぱり、いつものお願い(世界平和の祈り)になりますが、たまには、ほのめかしだけにします。
そういうことです。
(追記)
・妄言~もうげん~理屈に合わない言葉。でたらめな言葉。
・ホラ~ほら~おおげさにいうこと。でたらめなことをいうこと。また、その話。
・老獪~ろうかい~経験を積んでいて、ずるくて、悪がしこいいさま。
・本丸~ほんまる~城の主体となる部分。ふつう天守閣があり、周囲に堀をめぐらす。
・推敲~すいこう~詩や文章の字句や表現を何度も練り直すこと。
・覆す~くつがえす~①根本の部分から倒れる。ひっくり返る。
②それまでの国家・組織などが倒れる。滅びる。
③今までのことが否定されて異なった結果となる。
ここでは、③の意。
・軽佻~けいちょう~思慮や落ち着きがなく、軽はずみなこと。また、そのさま。軽率。
・浮薄~ふはく~あさはかで、軽々しいこと。心がうわついて、移り気なこと。また、そのさま。軽薄。
・軽佻浮薄~けいちょうふはく~落ち着きがなく、行動が軽々しいこと。佻も軽いの意。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①追記: 2021/07/15 07:22
②追記: 2022/07/02 07:41
③追記: 2022/07/02 07:55
④追記: 2023/12/19 08:05
⑤追記: 2024/04/06 10:20
⑥追記: 2024/04/06 10:25
⑦追記: 2024/04/19 20:35
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文その他を加筆・訂正しました。