おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

073_憲法異論2

前回の憲法話 ( 072_憲法異論 - おぶなより ) は、俺が、一体、何を言っているのか、何が何だか、訳がわからなく感じられたかもしれません。

まあ、SMさんなら、すぐにピンときて、わかるでしょうね、間違いなく。

あれは、俺自身、憲法についてのとらえ方が、どうにもモヤモヤしていた時に、たまたま、一つの仮説を立てたら、すべてがつながり、辻褄(つじつま)があったことを元にして、書いたものです。

あれ以上は、あまり書くつもりはありませんし、書きたくないんですよね。

あれでも、かなりのヒントはちりばめてありますので。

とはいっても、あの話は、まあ、単なる、ちっぽけな、ホラ話です。

ホラ話。

普通の人にしてみれば、俺の脳内完結仮説など、しょせんは退屈しのぎにもなりはしない、矮小(わいしょう)なホラ話に過ぎないでしょうから。

まあ、いわば、ホラ中のホラですから、本気にされる方も、99.9 %以上、いや、99.9999999999 %以上、まずいないでしょう。

低能力の俺の脳内で、たまたま、まかに間違って筋が通ってしまっただけの話です。

小さな小さな、それは小さな、与太話の一つでございます。

そんな程度の内容ですので、ちょっと付け加えると・・・。

かなりの綺麗事ではあるけれど、それに伴って、逆に、それだけ、隅々まで幅広く抑制が効いている感じがしませんかね?

何か、こう、不思議と縛(しば)られているようなね。

遵奉(じゅんぽう)しようとすれば、気高い理想に縛られるような。

旧来のそれ(不磨の大典と持ち上げられ、美化を施されていた明治憲法一神教の如き体制作りに多大に貢献し、上意下達の絶対強権支配のための、揺るぎない礎(いしずえ)となった)とは、まったく違う意味で。

霊性が開発されていない、低い場合には、特にそのように感じることが多いはずですよ。

誰からも文句をつけられないような、高邁(こうまい)で理想的な内容は、まるで不文律を課しているかのようです。

これに比べれば、旧来の明治憲法は、あからさまで、見も蓋もない、上意下達を丸出しにして、徹底させるものだった、と言えるかもしれません。

補う、強権の行使を伴うものまで含めて。

何か、わかりやすい、強烈な枷(かせ)をはめられていた感じですね。

しかし、現行のものは、少し毛色が違うようです。

なぜ、こんなことを言うかというと・・・。

霊性が未開発に近い?私達の場合ならば、高邁な理想を掲げ、高潔な規範を指し示すよりは、守るべき最低限の規範を用いた方が、当面(当時)は、より現実的だったのではないか?と考えられるからです。

無論、あれらの理想が、違和感なく受け入れられるほどに、私達の霊性が、それに見合うほどに開発されていれば、これに越したことはありません。

ですが、今の霊性のまま(現代よりも、欲にまみれていない分、良かったと思われます。が、それなりに、各種の荒っぽい仕組みや、風情や風俗があったことを考えると、それほどまでの劇的な差にはならないでしょう)、何もあそこまで、ガッチガチに固めなくてもいいのではありませんか?

もちろん、それまでの過度に抑圧的で一方的なひどい権利状態を改善して、数々の恩恵を施す制度を整えるのもいいのですが、なぜ、あんなにも高い理想を掲げるのでしょう?

それは、一体、何のためでしょう?

何か、他に守りたい大事なものでもあるのでしょうか?

すでに、大勢が決して、コチラの敗色が濃厚な状況にもかかわらず、それでも、あえて、あんなにひどく残忍な大空襲が行われました。円形にして周りから追いたてて追い詰めて(東京大空襲のこと)。

さらに、大惨事を招く、むごい殺傷効果のある新型爆弾が、しかも、何と型の異なるものが、2 発までも落とされました(広島と長崎の原子爆弾投下のこと)。

過去に例のないような、大規模殺戮が行われたんです。

あの状況で。

シンセサイザー冨田勲さんの話まで、含めるともう・・・。

コチラの、一般の人々に対して、あれほどまでの仕打ちをしたんです。

あれらの攻撃が、コチラの一般の人々に、どれほどまでの惨禍(さんか)と後遺症をもたらしたかは、はかりしれません。

一度のみならず、二度、三度も行われたのです。

この、再三にわたる行為は、一体、何を意味するのでしょうか。

一度目の時も、コチラの住居の素材を入念に調べあげ、最も破壊かつ燃焼効果のあるやり方をする、用意周到なアチラさんです(焼夷弾のこと)。

過酷な被害状況を予期できたはずだし、知らないはすがない。

どれほどの惨禍をもたらしたかを。

そして、二度目、三度目では、被害状況の調査までしている。

そんなアチラさんが、一応、終結したからと、急に手のひらを返して、コチラの一般の人々を大事にしよう、守ろうと、真摯な反省をして、180 度の心変わりをするものなのでしょうか。

本当に、それだけが、大事な題目だったのでしょうか。

と、いったところですか・・・。

あとは、皆様の方が、基本的には俺より頭がいいでしょうから、いずれはわかると思います。

まあ、わかったところで、何をとち狂った妄言を言ってるんだ、コイツは、と思われる可能性の方が高いでしょう。

はあ?何それ?何でアチラさんがそんなことを?と思う可能性がかなりあると思います。

確かに、陰謀論のいの字もわからないと、理解というか、納得はできないかもしれない。

かつて、どなたかが指摘されていましたが、陰謀のない政治なんてあり得ないでしょう。

まだ、現世が、真善美に悖る業想念だらけなんですから。

一次情報なんて、わかりっこないですよ。

ソース何とか?ですか?

本当にそれが天地神明に誓った絶対の真実をあらわす保証なんて、一体、どこにあるんです?

しょせん、わが身第一の保身が最優先される唯物論の世界でのことなんですよ。

ということは・・・。

まあ、そんな訳で、戻りますと。

従って、状況のブレや周辺を漁りながら、いかに確度の高い推測を組み上げていくかが、読みの基本でしょう。

どうしたって、推測せざるを得ないんですよ。

本当のこと、一次情報なんて、絶対に明かされないのが、普通なんだから。

推測、断定やむなし、と。

こんな感じですから、陰謀論界隈?が、玉石混淆になるのは、当たり前なんです。

まあ、そんな、きわめて怪しげな、陰謀論界隈?にも、縁も所縁(ゆかり)もまったくない、しがない、低能力のド素人の俺の推測ですから、何でアチラさんが、わざわざそんなことをするんだ?変ではないか?と感じるのが自然だと思います。

そして、俺も理解されないことを望みます。

たとえ、愚にもつかないホラ話であれ、どんな内容であれ、理解をしたことで、真善美に悖る業想念を多大に生じさせてしまうくらいなら、理解してもらわない方がいいからです。

ただ、仮に、俺の仮説が、正しいとした場合、あのくらいの、感情や希望や期待にとらわれない、厳しい見方が、宗教を見ていくためには必要だ、と思っているんです。

あれでも、韓非の目から見たら、もしかしたら、足りないかもしれない。

なあなあ、の妥協した範囲内で済ませてしまうと、信奉している人の余分な不純物を取り除くことは、難しいと考えるからです。

なので、あえて五井先生の限界についても、触れました。

仏教は、様々に分派している関係で、このような姿勢で見ていきたいな、と思っているんです。

理想論ですがね。

ただ、最優先事項とはいえ、一つの目標を成し遂げるための目的志向と、あそこまで、徹底的に念を入れる姿勢は、本当に凄まじい。

驚嘆です。

まるで、韓非にも引けをとらない現代の切れ者が、対策組織(今なら、プロジェクトチーム(企画開発班)ですねを編成して、陣頭指揮を執(と)り、さらに、安全対策を万全の上にも万全を期して、まとめあげた作品なのではないか、と思えるほどです。

あんなにも、ひどい仕打ちをしたアチラさんではあります。

が、変な仮定になってしまいますが、もし他のところが、あの任に当たっていたならば、あれほどまでの、微に入り、細を穿(うが)った懇切丁寧なやり方はしなかったのではないか?(*)

もっと、粗雑で乱暴で、意図が丸見えになるとも限らない、荒っぽいやり方をしたのではないか?

と、あらぬ邪推をすることもあります。

その意味では、やはりアチラさんが相手となったのは、歴史上の必然だったのかもしれません。

つらつら考えると、そんなことまで、思いを巡らすこともありました。

被害がひどかったので、決して許容できる話ではないのかもしれませんがね。

他方、その身近な生真面目さが幸いして、個々の職人技術や原理的発明の改善・改良には、素晴らしい能力を発揮する日本人でも、全体像の俯瞰(ふかん)をも含めた、これほどまでの、万全の組織的対策を編成・実行することは、まず、できないのではないでしょうか。

申し訳ありませんが、多分、無理でしょう。コチラの当時のやり方は、保身的政策以外のものは、対内外を通じて、相当に雑で、強引で、しかも荒っぽい。到底、及ばなかったでしょう。

しかし、まあ、ああいった知恵と才能を、良い方に向けてくれたら、どれだけ世の中がよくなるか、はかりしれないのに・・・、と愚痴りたくもなりますが、これを超えるものは、霊性の開発を待たないと出てこない、ということなんでしょうね。

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(*)逆に言えば、本来の意図とは異なっても、念には念を入れ、微に入り細を穿った懇切丁寧なものであった分、少なからぬおこぼれが、一般の人々にまで及ぶことになった、と。

本来ならば、理想となり、目標とすべきものが、それなりの、まったく別の事情により、副次的なものとしてではありながら、成し遂げられることになるとは、何とも、皮肉というか、不思議な成り行きです。

主客転倒とまではいかないまでも、形式的には、主客同時達成のような結果を招いたからです。

なので、もしかしたら、神様のおはからいがあったのかな、とも考えてしまった訳です。

同様に、逆の見方をしていくと、幾重にも施した安全策が、もう必要なくなった、用済みだ、となると、果たして、どういった流れが起きてくるのでしょうか。

さて。

ある程度の探りは含ませるのでしょうが、もはや、防波堤(安全弁?)は必要なくなったとして、時至り、と堂々と本音を出してくる可能性は・・・。

しかも、あれが本音だとすると、逆に全容は・・・。

と、しょーもないホラ話は、ここまでです。

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まあ、俺なんかは、すべての行く末は、個人個人の因縁因果の総和によってもたらされる、左右される、と一応、考えるから、徹底的に祈りをお願いしているんです。

そして、既述のように、世の流れに一喜一憂しないで下さい、とも書いた訳です。

従って、希望的観測も、失礼ながら、Q とか、E とか、どうでもいいと考えています。

ましてや、散々、外れまくって確度の低いものなど、論外です。

たま~に、当たったからと、それが何だというんですか?

バクチじゃないんですよ。

外れまくっている間に、ヤキモキして、多大な業想念を生じさせるのでは、有害そのものではないですか?

霊的に見れば、被害甚大(じんだい)で、ロクなことになりゃしないんです。

従って、無視するに限る、と思いますね。

それに、どの程度の確度があるにせよ、最悪、工作員の可能性があるのだから、振り回されるべきではありませんよ。

希望的な最終地点だけを見据えて、それ以外は、できれば、すべて、(現界で時を経て)消えて行く姿、として、振り回されない、関知しない、と。

本当に、誰が見ても、どこをどうとっても、いい流れだね、となれば、あっそ、くらいかな。

とにかく、気にしない。

とらわれない。

真善美に悖る業想念を、でき得る限り、徹底的に抑える、回避できれば、回避する。

そして、唯物論で、あーだ、こーだ、と裁かない。

これが、望ましい、と考えます。

どうにも、我慢できない、どうにもならない、最低のやり方ならば、世界平和の祈りとともに、あのバカ野郎(ああ、使っちまったなあ)の天命が、完(まっと)うされますように、となりますかね。

本当に、最低なやり方には、なってしまいますがね。

そして、いずれは、バカ野郎を外せるように、徐々に業想念を浄めて、減らしていく、と。

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①追記: 2021/07/15 07:23
②追記: 2022/09/24 22:05
③追記: 2024/04/06 10:38
④追記: 2024/04/06 10:43
⑤追記: 2024/04/14 00:02
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。