おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

099_ほどほど

前回 ( 098_願い - おぶなより ) は嫌な話で失礼致しました。

まあ、こういった個人を特定できない形での表現で書いていくなら、直に弊害(へいがい)は生じないと思うので、書くネタもないことだし、また、ぶちまけ系?のことにしようと思います。

で・・・。

いきなりですみませんが・・・。

巨乳。

男性にとっても、女性にとっても、憧(あこが)れの響きなのかもしれない。

しかし、それだけでは済まないんじゃないかなあ、と私は思っているんですよ。

結構大変なんじゃないかなあ、と。

例えば、女性と相対(あいたい)して話をする場合、できる限り、肩から下に視線が向かないよう気をつけてはいるのですが、ふとした拍子(ひょうし)に首から下の胸元(胸の真ん中あたり)に視線が行ってしまうことがあるんです。

人は話をする場合、目を合わせて話をすることも多いですが、あまり合わせ過ぎるのも疲れるし、かといって、まったく合わせないのも失礼だし、と感じます。

そんな時、相手が女性である場合、ふと首から下の胸元の谷間近くに視線が行ってしまうことがあるんですよ。

別に胸の形を確認したい訳ではなくても。

誰でもわかることとは思いますが、人は相対して話をしていると、相手の視線の微妙な動きを、意外に察知していますよね。

目を合わせるだけではなく、顔全体を見回してみたり・・・、といろいろなパターンがあります。

胸の谷間付近に視線が行ってしまった場合、当然、相手の女性はこれに気づいていますよね。

口や態度には、出さないだけで。

なので、バツが悪いのですが、かといって肩から下を決して見ないような視線の状態を、恒常的に維持していくのも、かなりしんどいんですよ。

もちろん、胸を見たいのを我慢するという意味ではなくて、視線の移動の範囲を無理矢理限定させるという意味で。

簡単ではないんです。

長いと参ってしまいます。

だから、会話だけはして、背景の景色でも見ている方が、はるかに楽なんです。

この方が、よっぽどいい。

ただ、上記のようにこれじゃ失礼だと思うので、女性との会話は、結構面倒だなと感じることがあるんです。

かなり、気を遣(つか)うことを、余儀なくされるからです。

ろくに顔も見ずに、視線も合わさなければ、ぞんざいな対応と思われるかもしれないし、かといって、うっかり胸に視線を落としてしまえば、不快感や不興を買うかもしれないからです。

本当に難しい。

男性同士なら、あまり顔を見ないで話をしても、そんなに不快感は与えてないみたいだな、とも感じますのでね。

だから、こっち(男性の場合)は楽なことが多い(あまりにも話が長いと、やはり参ってしまいますが。私はどちらかというと聞き役が多いので)。

女性の中には、見たくなくても無意識にバッチリと胸先に視線が行ってしまい、まずいなあ、と思って嫌悪感を抱かれるのを覚悟の上?で、私は、うっかりあなたの胸は見てしまいましたが、あくまでも、あなたと普通に会話をしたいのです、というつもり(=気持ち)を込めて目を合わせたら、ウン、といったように軽くうなづいてくれた人もいました。

言葉には出さなくても、ちゃんと私の気持ちを理解してくれたんだな、わかってくれたんだな、と思いましたね。

警戒心が強い女性でも、このように状況を読んでそれなりの理解を示してくれる懐(ふところ)の深い人も、中にはいるんです。

ただ、すべての女性がこの人のようだとは限りませんからね。

で、女性の体型(スタイル)、殊(こと)に巨乳の話なんですが。

相対していたり、集団や雑踏(ざっとう)の中でも、あまり女性のスタイルをじっくりと観察するのは、気か引けるし、やりにくいですよね。

ただ、これが横断歩道を前にした、停車中の車の中からなら、気兼ねなく普通にというか、自然に見ることができるんですよ。

もちろん、常時ジロジロ見ている訳ではなくて、気が向いた時だけですけどね。

そんな時、気づいたのは、巨乳の人の中には、実に堂々と闊歩(かっぽ)している人がいる、ということでした。

下品な言い回しですみませんが、ハイヒールを履いて、コツコツと歩き、胸をブルンブルンと見せつけるかのように歩いている、と感じたことがあるからです。

まさに、自信満々、威風堂々という感じでしょうか。

ただ・・・。

上記のように、あまりの巨乳の人だと、かなりの圧迫感があり、こちらも目のやり場にも困ってしまうし、気まで遣わされて、ちょっと疲れてしまうんですよ。

じーと見入れば、それこそ、この変態野郎と張り倒されてしまうし、セクハラにもなるし、そもそも、そんなに長く見るものではないと思うんですよね。

判別もほぼ一瞬で済ませるのが普通のような。

それはともかく。

ご本人がどういう感覚なのかはわかりませんが、人生は恋愛だけを謳歌(おうか)できる訳ではないですよね。

巨乳は、単純に話題作りにもなるし、注目も集めやすいので、ある意味、仕方のないことなのかもしれませんが、日々の地道な実生活としては意味合いは、さて、どうですかねえ・・・。

全盛期は・・・。これ以上は書きたくないので、あとは省略します。

それをも含めて、私は巨乳の人も意外に大変なんじゃないかなあと感じたことが、いくつもあるんですよ、実は。

そういったものを差し引いても、巨乳女性としてのわが世の春を謳歌する快感は絶対に味わうんだ、自分は絶対に巨乳の全盛期を味わわないではいられない、と固く決意されるなら、仕方ないですが。

なので。

巨乳ではない人も、無理に巨乳にしようとしなくてもいいんじゃないかなあ、と。

劣等感(コンプレックス)を克服したくて、渇望を抱くのも、唯物論的なものの見方と肉体=人間の肉体人間観が抜けない人が、圧倒的大多数の世の中だから、仕方ないのかもしれませんけど。

単純に巨乳、巨乳と、巨乳にばかりこだわるような男性は、子供じみた未成熟な人間だと、この際、あえて、決めつけてしまってみてははどうですか?

とりあえずは、そのように。

従って・・・。

ほどほど。

ほどほど、です。

何事も、ほどほどが、無難だし、楽だし、余分な苦労も少ない。

そう思うんですけどね。

~~~~~

ああ。

内容が薄くても、短くても、毎日書くのは、結構キツイですね。

ちょっとしんどいです。

休みながら、適当に続けさせて頂きます。

よろしくお願い致します。

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追記: 2024/04/07 01:46
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。