おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

110_側面

家にあった父のもので、梅棹忠夫著 わたしの生きがい論 という本がありました。

ちょっと記憶が定かではないのですが、乱暴にいうと、近代文明はダメだ、いずれ行き詰まるから、という観点からの否定的なものの見方から、かなり選別された生きがい以外を、ついでに否定してしまうような内容だったように覚えています。

ただ、作為的な世界運営の視点(陰謀論のことです)がまったく見てとることができなかったのは、やはり時代背景的(確か 1980 年頃の出版物)な限界だったのかもしれません。

それはともかく。

例えば、森林のことでこんな内容が書いてあったと覚えています。

樹木は光合成の働きによって、(水と)二酸化炭素を吸い、(炭水化物と)酸素を作り出して出す、いわば、酸素供給装置とも言うべき役割を果たしている大切な資源です。

私達も含む動物、特に陸地で生きているものは、酸素を呼吸して吸い込まなければ、生きていけないから、樹木はなくてはならない、必須の資源です。

その酸素が地球上に今あるのは、おそらく、随時リアルタイムで樹木から潤沢な量が供給されるからではなくて、太古の昔から溜まってきたものを、順次取り崩すような形で賄っているはずです。

なので。

やたらめったら、森林を伐採し、樹木が地球上から消え去る、あるいは、極端に少なくなったら、一体、どのようなことになるのか?

といったことに始まって、資源の乱開発を伴う近代文明は、考え直さなければならないはずです(温暖化は?ですけど)。

なので。

資源の消費を考えると、もはや今まで通りのやり方でイケイケどんどん的な経済成長の名残を少しでも残したやり方は、難しい局面に立ち至るのではないでしょうか?

まだ日の目を見ない革新的な技術が理由があって埋もれているなら別ですが。

とにかく、製品寿命が短すぎる商品を次から次へと新陳代謝させるようなやり方は、結果としては環境破壊にしかつながらないような気がするので。

それに、パソコンや車などの機械製品の場合、実際に使ってみると、設計時には思いもよらず、予想もできなかった不具合が起きてくる可能性があるので、製品の販売期間を長くとることで、いわばバグ出しのようにして不具合を潰していき、地道に改良に改良を重ねていった方が、安定した製品にもなるし、工場のラインの固定費も回収しやすくなる利点があるはずですからね。

しかし、実際はいまだに・・・。

ところで。

いろいろと大変な時代になってきたみたいですが、CD の話です。

私は楽譜も読めず、音楽の素養はまったくありませんが、以前は、何となく、ベートーベンやバッハ、チャイコフスキードボルザークハイドンなどを聞いていました。

ただ後になって、体にいいらしいということで、少しでも健康面にいい影響があるようにと、ご利益信仰よろしく、聞くのは、ほぼ、モーツァルト一色になってしまいました。

確かに、曲はとてもきれいに感じるし、聞いていてリラックスできるものが、多いですからね。

モーツァルトの CD にも様々なものがありますが、格安で、抜粋 4 部作となっているものがありました。

ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 モーツァルト作品集です。

もちろん、どれもよかったのですが、特に作品集 4 は、よかったです。

このような CD 1 枚が、約 500 円(消費税8% 時代に、税抜 476 円で、税込 514 円)で買えた。

いろいろと大変な時代ではありますが、こんなにいい音楽を、約 500 円で楽しめるとは、ありがたいことだなあ、としみじみ感じました。

収録曲には、ささくれだった心を癒してくれるいい音楽がありましたから。

今は何かと問題山積の時代ですが、それなりに進歩があったお蔭でこうした側面もあるな、と感じた次第です。

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①追記: 2024/04/07 08:41
②追記: 2024/04/07 08:43
③追記: 2024/04/07 08:46
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。