おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

111_個性

残念ながら私は楽譜が読めず、音楽の素養もまったくない。

が、精神的に特につらく苦しい時期があったので、ベートーベンの運命、ドボルザーク新世界よりを、何十回(多分 50 回は越えている)か、聴いいている。

チャイコフスキーの悲愴も聴いた。

元々、臆病なところへ持ってきて、さらにショックなこともあり、クラシック音楽が何もわからなくても何でも、聴かずにはいられなかったからです。

運命で嘆きをなぞり、新世界よりで、何とか光明を見いだす切り替えを、と思い聴いたのだった。

しかし、現実のくびきはなかなかはずせない。

やけくそになって、元々、面白いと思っていた、荘厳なバッハの曲やハイドンの驚愕を憂さ晴らしに聴いたりしていた。(*1)

何とか元気を出そうと、ロッシーニウィリアム・テルをはじめとする序曲などもよく聴いた。

セビリャの理髪師やこうもり、詩人と農夫、軽騎兵、天国と地獄も、ずいぶん聴いた。

しかし。

少しは気が晴れるのだが、どうしても現実は変わるべくもない。

もちろん、音楽がダメだ、無意味だと言っているのではない。

ただ、肉体人間観にとらわれ、その欲求にこだわる習性がどうしても脱却できないので、損なわれている健康を取り戻せないことの執着を断ち切ることはできないのである。

今は、聴いていても疲労感の少ない、ご利益信仰めいたモーツァルト一色に、ほぼ、落ち着いてはいるが、人は、人種を問わず、クラシック音楽をどのようにとらえているのだろうか?(*2)

ふと、そんな思いがよぎることがあります。

ただ、聴いていて思ったのは、あっちの人は、どうしてこんなに素晴らしい音楽が作れるのだろう?センスがあるのだろう?ということ。

まさしく、天才だとしか言いようがない。

こういっては申し訳ないが、日本人はまったくかなわない。(*3)

その代わり、日本人には、何か別に備わっているものがあるのだろう。

特に霊性の面に関して。

と、個人的に勝手に思っています。

つまり、神様は、文化でも、競技でも、経済でも、何でも、単なる覇権主義的・権威主義的なものではない、違うものを期待して、私達、日本人をこの世に遣わしているのではないか、ということです。

文化でもいたずらに優劣を競うものではない。

競技でも、ただ勝って雄叫びを上げるだけのものではない。(*4)

経済でも、ただ市場占有率を上げるだけのものではない。

といったような具合に。

ただ勝って、相手をねじ伏せ、支配下におき、威張り散らす文明は、近代ではあっちの人がさんざんやってきたこと。

どんなに素晴らしい文化でも、威張り散らしたり、高慢や傲慢や偏見に使われたら、価値が台無しになってしまう。(*5)

それとは違うものが、私達には期待されているのではないか?

そうして、この世に遣わされたのが、私達日本人である、と。

それぞれに、(どっちが偉いというのではなくて)異なるお役目をいただいているのではないか、ということです。

強いて個人的な希望を言えば。

もし、日本が世界を導くことがあるとするなら、それは霊性の高さ以外にはない。

何事にも真面目にひたむきに取り組む姿をはじめとして。

なので、加えて、世界平和の祈りをお願い致します。。

~~~~~

(*1)バッハの重々しいパイプオルガンの曲を嫌がる人もいるが、私はどういう訳か、面白くて仕方がなかった。ワクワクとまではいかないが、その一歩手前というか、とにかく面白く感じてしまった。

(*2)前回110で使ったのと同様に、ここでは、利益(りえき)ではなく、利益(りやく)を指している。

なお、ご利益(ごりやく)は、仏の力によって、授けられる恵みのことをいう。

(*3)そうはいっても、現代では音楽もかなり煮詰まってしまい、今のあっちの人達も古典を超越できない、先達を超えられないみたいだけど。

もう、ネタが出尽くしちゃったんですかね?

まあ、神様は何でも無限だということなので、まだまだ、引き出しはあるのでしょうが、今は、まだ、出す時期ではない、時が至らない、ということなのでしょうね。

(*3)競技ではないのでしょうが、合気道の開祖植芝盛平さんが、いい参考になるのではないでしょうか。

絶対不敗の境地に到達された神人という意味で。

(*5)例えば、あっちの人が、素晴らしいクラシック音楽を、これは俺様達のご先祖様だから残せたものなのだ、お前達(白人以外)に、何がわかる?と言ったら、どう感じるだろうか。

人種によって感受性に多少の違いはあるかもしれないが、人種に関係なく、素晴らしさは理解できるはずです。

白人だろうが、有色人種だろうが、肉体人間である以上、根っこ=本体は、神様の分霊であり、白人や有色人種を含め、あまたの過去世を経ているはずだからです。

神様のみ心に沿って、白人になったり、有色人種になったりしながら、天命をまっとうしていくのですから。

殊に、バッハはどうも神に捧げるようなつもりで、作曲をしていたらしい。だから、彼は音楽に妥協しない軋轢のエピソードはあっても、派手な社交性や放蕩三昧といった行いが一切ないようだ。死別した最初の奥さんと後妻さんとの間に、20人近くの子をなしたらしい。私生活は地味で堅実そのものの人だったようだ。

まあ、バッハが人種差別をする人かどうかはわかりません(ほとんど母国から出なかったらしい)。

おそらく、彼にはそんな霊性のかけらもないような無意味で悪趣味なことは、そもそも眼中にすらなく、ただただ、いい音楽を、神のみ心にかなう音楽を作ることだけに、没頭していたのではないでしょうか。

残念ながら、現段階では、輪廻転生、いわゆる、生まれ変わりを万人に納得させることは、難しいと思います。

今のところ、あくまでも、外堀の周辺事実から詰めていくしか、証明のしようがないのが実状です。

だから、どんなに、時代状況や周辺事実をあげつらっても輪廻転生を納得したがらない人は、納得しません。

信じざるを得ないような事例でさえも、おそらく拒絶するでしょう。

これは因縁上のことだから、仕方のないことではありますが、仮に、輪廻転生を前提とすれば、クラシック音楽を特定の人種で占有する発想は、おかしな話以外の何物でもないはずです。

因縁因果により、どのように生まれつくかも、また、人それぞれ。各々が果たすべき因縁を抱えた罪悪深重の凡夫同士のお互い様で、本体が神様の分霊として、兄弟姉妹の関係にある。

それに、誰が、いつの時代、なんという名前で、どこの国の何という民族として生まれ、どのような輪廻転生を経てきたかなんて、漏尽通を駆使できるお釈迦さん(仏陀)級の聖者にはなれない私達一般人には、まったくわからないのだから、現世に基づく、安易な決めつけをすること自体も、無意味なこと。

たまたま、今、自分がその民族の末裔に生まれついているからといって、自慢することなどできるはずもないんです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追記: 2024/04/07 11:11
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。