おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

206_原仏12ー19

前回の ( 205_原仏12ー18 - おぶなより ) で、スッタニパータの以下の文章、

悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、
ー これがこよなき幸せである。

(二六四)

に絡めて、因縁因果や、これが展開されていく輪廻転生について、考えてみました。

ただ、何分、私は霊感もほとんどありませんし、霊的に特別な素養は何もないので、あれらのことは、五井先生(日本の宗教家五井昌久さん)の著した書物と、これを元に自分で考えに考えたものでしかありません。

そこが、残念ですが、あれでも、よりわかりやすく、平易に、とかなり詰めてみたつもりではいるので、おおよそは当たっていると思うのですが・・・。

で。

前回は、書きませんでしたが、まだ、補足したいことがあるので、これについて、書きたいと思います。

仏教、そして、スッタニパータとは直接の関係のない話になりますが、この点、ご了承をお願い致します。

①因果の原因について

前回では、因縁因果の輪廻転生を通した展開について、極めて単純でわかりやすいものを取り上げました。

これは、例えば、夫婦間の浮気にも、まったく同様に応用して適用解釈することが可能です。

ただ、この世、現世には、こんな単純でわかりやすい形を取らない、不幸や災難などがたくさんあります。

病気なども、なぜこんな目に遭(あ)うのか、しかも現世で、生まれてから病気が発症するまでに、何ら病気を起こす原因に思い当たるものがない、きわめて、理不尽かつ納得できないものが、多々あると考えられます。

こうした場合には、原因がまったく想像さえもできず、しかも、現世では身に覚えのない、まるで、無実の罪に苦しめられるような気がすることもあると思います(というか確実にあります)。

過去世で、何かしら、業想念があったのかもしれないが、せめて、原因だけでも知りたい、そうでないと、ただ理不尽をたえ忍ぶだけでは、苦しくて、苦しくて、仕方がない。

ただ、このような場合でも、五井先生の本を読んだ限りでは、色々な不幸や病気や災難も、全部その元をたどっていくと、過去世の因縁に起因するが、これはあれこれほじくり返して悩んだりせずに、わからぬままで、専門のお医者さんに相当する守護霊さんと守護神さんにお任せするようにとしか、書かれていなかった。

実際、これを知ろうとすれば、かなりの霊能力者、しかも、人格が高潔な人を探して、聞くしか方法がない。

しかし、これは、現実味がまったくない、不可能なことだ。

仮に、五井先生がご存命で、質問することができたとしても、五井先生が質問する本人の資質や性格、来世以降の展開など、様々なことをかんがみて、教えて頂けない場合も十分にあり得る。

祈りと感謝行で我慢するしかないのだが、私のようなできていない、わがまま人間には、かなり厳しくつらいのですよ。

正直、辛くて仕方がない。

だから、やっぱり、原因を因縁を知りたくて知りたくて仕方がない。

これを知ることができれば、少しは楽になるかも知れないのに、と思い、このような仕組みを作った、神様を恨んだり、呪ったりしたことがよくありました。今でも、これは蒸し返すことがあります。

そして、浅はかながらも、神様への復讐まで考えました。自分のような事例の因縁が判明すれば、これをネットでも、何でも、見てもらえなくても、注目されなくても、公開することで、ほんの一人でもいい、たった一人でもいいから、二度とこんな目に遭う人間を出さないように、未然に防ぐことができれば、神様の裏をかく、復讐することができるのではないか、と。

今は、多少、あきらめの境地に近づきつつありますが、それでもまだまだ、ぐずぐずしています。

修行はつらいですよ。

霊性が高い人なら、ありがたいと感謝できると思いますし、そうならなければならないとは、頭では理解しているのですが。

なかなか・・・。

愚痴になってすみません。

あと、このような気持ちになることは、まわりと比較してしまうことですね。

自分よりも、もっと厳しい条件を課され、あまたの苦しみに耐えている偉い人もそれなりにいるかもしれない。

しかし、圧倒的大多数、99 %以上の人達には、まったく縁のない苦しみなのではないか、と考えると、いくら過去世の因縁なのかもしれないが、何で自分だけが、こんな目に遭わなければならないのか、と本当にやりきれないんですよ。

みんな、楽しそうに、好き勝手に人生を謳歌している。それなのに、何で自分だけが、とつらくて仕方がなかったんです。

羨望、嫉妬、釈然としない宿命。

なかなか、厳しいものがあります。

自分は、たまたま、五井先生の本に触れる機会を得たので、まだ、因縁因果なり、輪廻転生なりに、そこそこの理解ができる(つもりでいます)から、いいのかもしれませんが、これをまったくしらない人だったら、もっとつらい思いをして、やけになる場合もあるかもしれません。

②因果の原因が明らかにならないことについて

①とも多少関連しますが、因果が無実の罪のあがない、償いのような形であらわれてくるのは、そもそも、そうした想念と行為(簡単な事例なら身勝手に人様を殴ること)自体が、神様の子として、ふさわしくないものなので、もう、これは無条件にしてはならないものだ、とわからせるために、原因である因縁を知らせない、という可能性が考えられます。

原因も何もない。

とにかく、これは神様の子の想念と行為には、ふさわしくない、あるまじきものだから、とにかく、身をもって痛みや苦しみを味わうことで、やってはならないことだとわからせる。

こうした可能性があるのではないか、と考えました。

以上、現時点で、因縁因果について、補足しておきたいことを書かせて頂きました。

お見苦しい点が、多々あったこと、お詫び申し上げます。

何とぞ、ご容赦のほど、お願い申し上げます。

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①追記: 2020/12/13 16:39
②追記: 2024/04/15 22:25
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。