おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

210_原仏12ー23

前回 ( 209_原仏12ー22 - おぶなより ) の続きです。

なお、便宜上、本でなされている以下は、
本の内容と説明を (A)
私の文を (B)
と表記することにします。
あらかじめ、ご了承をお願い致します。

② について補足します(段落分けなどの改変あり)。

② 過去を追わざれ。未来を願わざれ。およそ過ぎ去ったものは、すでに捨てられたのである。
また未来はまだ到達していない。そうしてただ現在のことがらを、各々の処(ところ)においてよく観察し、揺らぐことなく、また動ずることなかれ。
誰が明日に死のあるのを知ろう。
ただ今日まさに為(な)すべきことを熱心になせ。

(マッジマ・ニカーヤ 第 三 巻 一八七 ページ)

(A) 我々は過去にかかずらわってくよくよしてはならぬ。また未来を案じて心配してもしょうがない。ただ現在のことに専念すればよい、というのです。

(B) これも、上記 ① と同じことが言えます。

ああしろ、こうしろと、過去、現在、未来のあるべき形を云々するのは、すなわち、悟りを得ていないのと違いますか?

明日のことや寿命はわかる人はおそらくいますよ。

明日のことや寿命がわからないのは、すなわち、悟りを得ていないからではないですか?

ただ、真に悟りを得た人、神通力のある人は、まわりに悪影響を及ぼさないように、あらかじめ、自分や人様の寿命がわかっていても黙っているだけですよ。

やたらに、そんなことを口外するような、軽はずみなことはしない。

それが、高潔な人格者のあるべき態度のはずです。

以下、略。

五井先生(昭和の宗教家五井昌久さん)は、一般的に、人事を尽くして天命を待つ(人としてできる限りのことをして結果は天(神様のことですね)の意思に任せるということ)、ではなくて、天命を信じて人事を尽くせ、としています。

概要は以下のようだったと思います。

この世に生まれた、ということは、神様の力が働いて、神様のお命を命を分け与えられて、生まれてくる。

この神様の分霊(わけみたま)の働きかけがなければ、私達の肉体は、生命活動を維持できないのだから。

生んで下さった、ということは、何らかの期待するお役目があるはずだ。

だからこそ、生命を与えて下さった。

ならば、それを信じて、一生懸命生きていきましょう、となる訳です。

だから、寿命の尽きるまで、このような心がけで、よきに生きていきましょう、と。

確かに、特別な能力のある人以外は、寿命がわからない、つまり、いつ命が尽きるかわからないのだから、精一杯よきに生きていきましょう、と。

この意味合いは、結論にたどり着く過程は違いますが、結果的に、マッジマ・ニカーヤの上記の最下部の内容と、同様になりますね。

以上で、

Ⅱ 人生の指針 第一部 人生の指針
第一章 ブッダのことば ー スッタニパータ (2)
一 真理について
二 慈悲について
三 解脱について
四 幸福について

四 幸福について を終わります。

次回から、第二章 真理のことば ー ダンマパダ

からになります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追記: 2024/04/15 22:45
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。