566_仏言葉ー098 ー 双方とも無常
第 6 章 心が晴れるためには
98.「自分のもの」は変化してしまう
ここにあげられている経文については、佐々木さんの書いた該当箇所に相当する文章が見当たらず、近いと思われる該当箇所の文章も、実質的な内容は似通っていても表現の仕方がかなり違う。
具体的には、佐々木さんの本には、「マッジマ・ニカーヤ」第22経と書いてあるのだが、「感興のことば」で対応するのが、第一章 無常 の 二二 くらいしかない。
佐々木さんは、表現を変えて意訳したのかもしれないが、実質的な内容は似通っていても、あまりにも表現が違うと、読む側としては戸惑うし、非常に迷うし、困る。
訳が見つからないからと、また保留にはしたくないので、とりあえず、佐々木さんの、書いてある内容を微妙に言い換えた文章を書いた後に、感興のことば(マッジマ・ニカーヤ)の 第一章 無常 の 二二 を書くことにする。
・佐々木さんの書いた文章に近いもの
修行者達よ、およそいかなるものであれ、
消滅変化しない常に存在する恒久的で永遠なる所有物を、
いまだかつて私は見たことがない。
・マッジマ・ニカーヤ 第一章 無常 の 二二
いくら財産を貯えても、
最後には尽きてなくなってしまう。
高い地位身分も終(つい)には落ちてしまう。
結びついたものは終には離れてしまう。
生命は終には死に至る。
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要は、無常ですね。
執着しないではいられないのが、私達悟りを開けない一般的な人間ですが、このような執着を生じることに心せよ、といったところでしょうか。
執着をする主体も、執着をされる客体も、いずれも諸行無常で不変ということはない。
所有に関してもまたしかり。
だから、これをしっかりわきまえよ、と。