第 4 章 これから先がどうなるか不安
62.死の恐ろしさには
生命は(死に)導かれる。
寿命は短い。
老いに導かれていった者には、
救いがない。
死についてのこの恐ろしさに注視して、世間の利欲を捨てて、
静けさを目指せ。
(サンユッタ・ニカーヤ)
佐々木さんによると、この経文には前置きがあり、仏道をよくわからない神様が「死の恐怖から逃れたければ世俗の中で良い行いをして(天界に)生まれ変わればよい」とした言葉に対して、お釈迦さんが応えた言葉だそうだ。
私流に勝手にまとめさせてもらうと。
肉体人間の寿命は短い。
神様(仏様)としての命は永遠、
無限億万年あるのに、
肉体人間としては、長くてもせいぜい 100 年くらいしかない。
だから、短い。
しかも、
赤ちゃんから成長して、
二十歳になって、
永続的にその若さを保てる訳ではなく、
その肉体的な頂点(ピーク)を境に、
寿命まで次第に衰えていく。
そんな中で、
人間=肉体人間である、との、
肉体人間観によって、
頭の中を、
すべてにわたって支配されてしまっていると、
肉体人間としての、
輪廻転生を通して溜め込んだ、
たくさんの過去世の、
真善美に悖る因縁である悪因縁の、
清算としての、
この世のあらわれとしての、
不幸などの苦しみと、
肉体を持つがゆえに、
免れない生老病死に伴う苦しみに、
翻弄され続けて、
肉体人間としての寿命を迎えるまで、
安穏がない、
救いがない、
ということになる。
肉体人間観を脱することができない、
すなわち、
いまだ悟りを開けない場合には、
よくよくこのことを頭に入れて、
世間のあらゆること、
つまり、
過去世からの因縁で
かなりの程度つくられている環境と、
周りの人達と織り成す因縁の綾(あや)によって、
この世で生じてくる、
あらゆる喜怒哀楽を伴う感情に、
周章狼狽して振り回されることなく、
すなわち、
あらゆる過去世からの因縁の、
この世での因果としてのあらわれに、
振り回されることのないように、
積極的に修行(霊性の開発)をしつつ、
悟りを開いた穏やかな安穏、安楽な境地を
目指しなさい、
という意味合いに解釈できます。
~~~~~
・周章狼狽~しゅうしょうろうばい~思いがけないことに出会ってうろたえ騒ぐこと。
(用例)突然の事態に周章狼狽する。
(追記)
突然の事態といっても、
おそらく、
かなりの部分は、
過去世からの因縁で、
決まったものが出てくる。
普通の人は、
六神通のような過去世や、
来世以降を見通せるような神通力がないので、
この世での未来に起きてくることは何一つわからない(守護霊さんや守護神さんはみんなわかっている。その上で、霊魂魄の成長のためにお導きになると思われる)。
霊感があり、
多少の未来がわかる人でも、
不安定で、
悟りを開いたような人とは、
比べものにならない(よく外れるし、言ったことに対して何の責任も取らないから)。
第一、
悟りを開いて未来がすべてわかるような人は、
軽々しく未来の予見はしないはずだ。
なぜならば、
予見、特に、悪い予見をすることは、
普通の人に不安や恐怖を抱かせる、
つまり、
普通の人々の想いにこうしたものを植えつける、
普通の人々の運命に悪い影響を及ぼすことを、
知っているからだ。
想いは、(原則として)
輪廻転生という
時間差を経て実現する。
良い想いも、
悪い想いも。
ならば、
不安や恐怖といった、
悪い想いを起こさせてはならない。
このように考えてくると、
やはり、
皆様には、
想いの世界である各自の幽体と、
その集合体である幽界の、
すでに溜まっているところの、
悪い想いを浄めて消し去るために、
そして、
良い想いをできる限り広めるためにも、
世界平和の祈りと、
守護霊さんと守護神さんへの感謝行を、
是非ともして頂きたいと、
切望致します。
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追記: 2021/09/22 22:00 〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。