おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

232_対処

前回 ( 231_原仏13ー20 - おぶなより ) は、どうでしたでしょうか。

たまには、私のうるさい小言なしで、すっきりと仏教の経典を読まれて、やれやれ、やっと素直に読めたな、と安堵されている方もおられるかもしれません。

私も不思議なことに、いつもはわいてくるはずの思いがまったく起きてこなくて、経典だけを眺めると、書けそうな気がしたのですが、何だかやる気が失せてしまって、書くことができず、素通りしてしまった回でした。

さて、せっかく、世界平和の祈りをおすすめしてきたこともあるので、想い、想念を整えることに関して雑記したいと思います。

個人的なことですみませんが、私は小心者のくせに、人様を責め裁きがちで、ほんの小さな気遣(づか)いや配慮ができない人様に出くわすと、いちいち、心の中で文句をつけたりしていました。

例えば、小さなお子さんを連れた、お母さまの場合。エレベーターでも、どこでも、人様なんかまったく眼中にないような振る舞いをされる方をたまに見ます。

ああいう人様をみると、常日頃、こうした行為をしている親御(おやご)さんを見ながら育つ子はどうなるんだろう、などと余計なことを考えてしまうこともありました。

もちろん、中には因縁因果の巡り合わせで、子供の方がはるかに霊性が高い人が生まれ合わせていて、そうとはならない場合も、多々、あるとは思いますけれども。

ただ、曲がりなりにも、何でもかんでも、できることなら祈る、また天命がまっとうされますようにと祈るように切り替えることを、少しずつやってきたためか、ほんのわずかではありますが、責め裁きが減ってきたように思います。

以前よりは、イラつき、ムカつき、をちょっとずつ減らすことができるようになってきたかな、とは思います。

ああ、よしよし(?)、過去世の因縁の、この世(現世)で時を経て、消えてゆく姿なんだな、世界人類が平和でありますように、あの人の天命がまっとうされますように、と。

もちろん、イラつき、ムカつきが起きる場合が、まだまだ、ありますが、ほんのわずかではありますが、以前よりは気持ちが落ち着いてきたように思います。

イラついたり、ムカついたりで、嫌なことがあった場合、いちいち、あんちきしょう、こんちきしょう、と怒ってばかりいると、その想いが、潜在意識である幽界に入ってしまい、これが輪廻転生を通してあらわれてきてしまうと、面倒なことになってしまいます。

これから起きてくる出来事に多大な影響を及ぼす可能性がある幽界は、少しでも世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行で、神様の光を入れて、浄めておくことが望ましい、と考えられるからです。

過去世の因縁の発現によるものか(これが大半らしいのですが)、現世で新たに起きてきたものかは、わからなくても、とにかく、祈りと感謝行に送り込んでしまう。

まあ。

こんなもっともらしいことを書いても、私自身、まだまだ、神様を恨んだりすることがある、できていない人間なので、道ははるか彼方(かなた)で、何世先かわからないですが、少しでも、皆さんに追いつくことができるよう、牛さんのように、地道に歩いて、精進していけたら、と願っています。(*)

世界人類が平和でありますように

~~~~~

(*)今は、人様に味わわされる不愉快な行動には、だいぶ慣れてきて、上記のように、何とか祈れることが出てきました。

しかし。

自分のこととなると、そうはいかない。

例えば、病気があるとする。

過去世の因縁が原因だとしても、どう考えてもわからないものがある。

それがわかれば、ああ、自分は過去世においてこんなことをしてしまっていたのか、仕方ないな、あるいは、仕方ないなと納得できなくても少しは気が楽になるはずだ、と思うのだ。

それがわからず、次から次へと、種類の違う難しいものがあらわれたらたまったもんじゃない。

いくら、この世は、肉体人間の今のこの人生は、輪廻転生を通した永遠の生き遠しの神様の分霊(わけみたま)の生命からすれば一瞬だ、何だそんなもののように(?)、と言われても、それは五井先生のように永遠の生命を感得できた偉い人だから簡単に一言で言えることであって、悟りには何世かかるか見当もつかないほど程遠い、肉体人間観の強い、業想念の深い、ごく普通の人間には、そんな風には、到底思えないのですよ。

どうしたって、今、今この人生で何とか救われたい、何とかなりたいのが、人情なのだ。

そうに決まっているじゃないか。

守護霊さんや、守護神さんは、今この人生、今この時に、浄めて消し去るべき因縁として、出して下さっているのかもしれないが、なかなか、感謝ができないのだ。

ただ、すがりつくしかないのだが、本当につらい。

お医者さんにしたって、向こうにしてみれば、客観的事実を述べているだけなのかもしれない(以前のドクハラの女医さんとは違い、良い人です)が、やはり、患者と接してきてはいても、ご自身がその病気にならないと、なかなか、気持ちがわからないところがあると思うのだ。

わかっているつもりなのかもしれない。

しかし、自分の身に置き換わる、自らのどうしようもない不可抗力の病として味わわされる身にならないと、本当にはわからない、と思うのだ。

とは言うものの。

まあ、受け入れて自分で気持ちの整理をしなければならないのはわかっているのだが。

今すぐ、どうこうという緊急さのないものであるので、その点は感謝しなければならないとはわかっているのだが。

すがりつくしかないにしても、やっぱり、厳しい。

すみませんね、愚痴ってしまって。

世の中には、もっと大変な人が、山ほどいるだろうし、家族も病気ではさんざん苦しんだのを見てきているので、わがままを言えないのは、わかっているのだが。

やっぱり、これは不条理だ、と叫びたくなることがあるんです。

だから。

私は、過去世の因縁や日頃の行いが悪いから、自業自得なのだろうけど、今、健康な人は、よくよく、感謝すること、そして、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行を、転ばぬ先の杖(つえ)ではないが、やっておいて頂きたいのですよ。

もちろん、世の中が快方に向かっての願いもありますが、皆さんが健康を感謝しながら、生きていって頂きたいのです。

しかし、また。

わかってはいるのよ。

説教は無駄なの。

無駄、無駄、無駄。

ご本人が身に沁(し)みて堪(こた)えるような体験をしないとわからないんですよ、これが。

なかなか、に。

最悪、何言ってやんでえ、になってしまいかねないんです。

残念なことに。

ご本人が身に沁みて堪えなければ、因縁の機が熟して解消されなければ、わからないのですよ、これが。

説教や訴えも、所詮は、業想念の範疇(はんちゅう)を出ない。

本当に浮き世は厳しいよ。

実効がない(効き目に時差があったりとなかなかわからない)と思われる祈りしかないのか・・・。

せいぜい、お示しできることは、可能性をほのめかすことくらい。

人様も少しも変えられない(影響を及ぼせない)、自分を救うことも難しい・・・。

むなしい。

むなしくても、できることは、この祈りをただひたすらすることだけか・・・。

~ 世界平和の祈り ~

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように。
私達の天命が完うされますように。
守護霊様ありがとうございます。
守護神様ありがとうございます。

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①追記: 2020/12/26 04:32
②追記: 2020/12/26 06:05
③追記: 2020/12/26 06:29
④追記: 2020/12/30 15:27
⑤追記: 2021/07/08 20:50
⑥追記: 2024/04/17 23:15
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題および本文を加筆・訂正しました。