301_あえて
はてなさんから、ブログを開設して 1 年を経過した旨のメールを頂きました。
こんな拙(つたな)い内容の私のブログでも、しかも途中 1カ月間の空きをつくりながらも、何とか 1 年を経過できたのは、ひとえに皆様のお陰だと感謝しております。
ありがとうございます。
ごくごくわすかながら、不思議なことに読者を多く擁する内容のある切れ者のような方々が見てくださったことも僥倖として深く感謝しております。
中でも、春雨サラダ様には大変お世話になりました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
申し訳ありませんが、私は相変わらず仏教の縁起や無我をどう捌(さば)こうか、迷いがとれず、決めかねています。
過去の関連する未記入の部分も、いまだにそのままになっていますが、もし、腹が決まったら書かせて頂こうと思っていますので、ご容赦下さい。
元々は、般若心経に引っ掛かりを覚えたことから始まり、大乗仏教に疑問を抱き、そうこうしているうちに、やはり原点の釈迦に戻ることから始めるべきではないかと思い、もしかしたら大乗仏教に懐疑を抱いているかもしれないと思われた大学者さんの中村元さんに当たりをつけ、初期仏教の教えから、釈迦の基本を探りたいと原始仏教経典を扱っている、中村さんの原始仏典という本を一通り見てみました。
大乗仏教までにたどり着くまでには、道は遠くて初志貫徹はできそうもないですし、また、多少、重複する部分も出るかもしれませんが、原始仏教経典の法句経を扱った本 2 冊を見ていくことにします。
スリランカ仏教界の長老のアルボムッレ・スマナサーラさんの原訳法句経一日一話と同じくアルボムッレ・スマナサーラさんの原訳法句経一日一悟の 2 冊です。
この両著とも、アルボムッレ・スマナサーラ(以下、便宜上、A・スマナサーラさんと略します)さんが、その豊富な知恵とご経験を元に説法をエッセイ風に書いているように見えます。
これを参考にしながら、法句経を五井先生の霊性の開発の視点も交えて見ていきたいと思います。
今日は 4 月2 日の仏滅ですね。
五井先生(の本)によると、方位方角などは東洋独自のもので、人々の想いが折り重なったために、ある一定の因縁ができあがってしまっていることで、様々なことが起きてくる傾向のようなので、こうしたことは、世界平和の祈りを元に、こだわらないようにすれば、切り抜けられると判断して、あえて今日から始めることにします。
とは言っても、だいぶ長くなったので、今日は前置きのみにして、明日以降からボチボチ始めさせて頂きます。
力不足なので、あまり頻繁に更新できないかもしれませんし、また、息抜きのような文章を書くこともあるかもしれませんが、ご了承願います。
ではよろしくお願い致します。
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追記: 2021/04/02 06:25 〜訂正内容〜
誤記を訂正しました。