おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

462_やっぱり6

前回( 461_やっぱり5 )の補足です。

前回に、過去世において人様を勝手に殴ってしまった事例を通して、悪い因縁因果が輪廻転生を通して巡る話をしました。

そこで引き合いに出した法句経(ダンマパダ)の中の断片の 2 つ

勝利者が勝ち取るものは敵意である。 (二〇一) (第15章 幸せ より)

怒りには怒らないことによって勝てる。 (二二三) (第17章 怒り より)

は、かなり漫然というか、超簡潔すぎるというか、ちょっとこのままでは、あまりにもわかりにくいから、こうした事例に当てはめればわかりやすくなるだろうな、と前々から個人的に考えていたものです。

実は、この悪い因縁因果の輪廻転生を通した循環については、同じく法句経(ダンマパダ)で、もっと直接的に書いてある経文があります(拙ブログでも、305_法話50-1 で若干触れています)。

それは、以下の経文です。

実にこの世においては、
怨みに対して怨みを返すならば、
ついに怨みの鎮まることがない。
怨みを捨ててこそ鎮まる。
これは普遍的な真理である。

(五) (第一章 対句 より)

この「恨み」を「殴る」に置き換えれば、まさに、そのままですよね。

ただ、この経文をもってしても、輪廻転生や(原則としてほとんどの人の)過去世の記憶が消し去られてしまうことについての詳しい言及がなく、あまりにも簡素であり、説明不足でもあり、ちょっと不親切なんじゃないかなあ、と思っていました。

私がこのブログを書くに当たって心がけているのは、理解力不足の私自身にもわかりやすく書けば、どなたにも軽々と読んで頂けるはずだから、とにかく平易にわかりやすく書く、ということです。

いわば、自分の程度をわきまえて、分不相応にカッコなどつけたりせずに、絶対基準に則(のっと)り、書いてきたつもりです。

だから、力不足でうまくは書けないけれど、グダグダと前回のように書いた次第です。

で。

こうしたことを拡張して考えてくると、現界(この世のこと。時系列的に言うと現世)では、肉体人間の真善美に悖る想いと行いの業想念が、差し引きゼロとして、清算がなされる場所である、と解釈することが可能です。

しかも、想いの世界の幽界と違って、あらゆる展開に時間がかかるから、因縁が果たされる(消化される。因果として実を結ぶ)ための、十分な時間がとれる。

過去世から溜まっている因縁は、浄めて消されたもの以外は、この世で形としてあらわれなければ消えない。

特に真善美に悖る悪い因縁は、溜まり過ぎてしまうと、消化不良が溜まるというか、一気に大清算をしなければならなくなるのか(?)、よくわかりませんけど、かなりまずいんじゃないですかね?

こうした、どうやって個々の肉体人間の悪因縁を浄めていくのかに関しては、守護の神霊さんのご判断によるのではないですかね?

そのためについて守っていらっしゃるのでしょうし。

ただ、本人の人間=肉体人間観(人間は肉体なんだ。霊なんてものはないんだ。肉体だけ、これきりが人間なんだ、という考え方)があまりにも強く、業想念で迷いに迷っている場合には、自分が肉体的に亡くなってしまったことかわからず、肉親などの別のこの世の肉体にかかってきたり(*1)、幽界で迷ったりして、長い間(数百年?数千年?)霊界に移行できない場合もあるみたいです。

迷いに迷って、ようやく自ら助けを求めて、一から修行し直すみたいです(五井昌久著「空即是色」白光出版 参照)。

こうした時に、助けになるのが、係累の者の供養で、お経の読経や祈りで、迷っている本人に、神様(仏様)の光を届け、目覚めさせてあげるということもあるみたいです。

話がそれました。

とにかく、この世は、過去世の因縁が因果としてあらわれて実を結び、清算される場所であると解釈できます。

さらに、拡張すれば、この世である現界も神様のおつくりになった世界の一部であり、広義には神様の世界ととらえることができることになります。

そして、神様の世界の一部、すなわち、神様の世界ということは・・・。

真善美に悖るものは、そもそも、その存在は許されない、と考えられるのです。

だから、輪廻転生を通してという長い時間をかけてでも、業想念などという、(広義とはいえ)神様の世界にふさわしくないものは、必ず、因縁因果の法則を基本として、何らかの形をもって清算して消し去らなければならない、と考えることができるのです(これは私の個人的な推察による拡張解釈なので間違っていたらごめんなさい)。

まあ、大体、こんな感じで、五井先生(昭和の宗教家 五井昌久さんのこと)の本と、初期仏教に関する中村元さんの本と S さん( スリランカ仏教界のアルボムッレ・スマナサーラ長老 )の本を、時には拡張したり、解釈しなおしたりしながら、拙(つたな)いながらも何とか書いてきました。

実は、まだ、般若経に行くか、初期仏教などをもう少し見るか迷っています。(*2)

まあ、いまだに、過去の法句経(ダンマパダ)についての文章も、書き足さないで未記入の箇所や放置してある箇所もいくつかある状態です。

そんな状態なのに、勝手を言って申し訳ないのですが、ゆっくり、適当に休みながら、ぼちぼちとやっていきたいと考えています。

ご了承願います。

~~~~~

(*1)生前は、肉体にまつわる欲望にばかり耽(ふけ)り、しかも、亡くなって肉体がないのがわからずに、欲望を果たそうとする場合、などが考えられます。

例えば、大酒飲みの人が亡くなったとして、肉体はなくなっても、酒は飲みたくて飲みたくて仕方がない。

そこで、近親者などにスーッときてくっついてしまい、その近親者の肉体を通して酒を飲むという場合、などです。

これでは生きている時だけではなく、亡くなってからも人様に迷惑をかけることになってしまいます。

こうはまでにはならなくても、ご先祖様がお酒を好きだった場合でも、お仏壇や神棚におあげするお酒はほどほど(毎日ならおちょこ 1 杯など)にして、やはり、心のこもったお経をあげる、または、世界平和の祈りのような祈りを捧げることによって、神様(仏様)の光を届けてしっかり成仏して頂いて、その先の世界を高くして進んでもらえるようにするのが、何よりの供養になるのではないでしょうか。

輪廻転生が続くとすれば、ご先祖様にもまだまだ先の世界が続くのですから。

子孫としてご先祖様の霊性を上げるように尽くすことで少しでもご恩返しをして、より良き道を進んで頂くのが一番。

そんな風に思います。

(*2)般若経に関しては、読んでいく文献には、当然のことながら、大蔵経は使いません。

大蔵経(むちゃくちゃ大部で漢文形式の上に、わかりやすい平易な解説がほぼなし(解説があっても学術的で専門的、難し過ぎると思う)で、難しい漢字がズラーッとビッシリと並んでいる)を読むことは、私には到底不可能なので、市販の本で般若経について書かれているいくつかのものの中から、候補を絞って見ていくことにしたいと思います。

これも、あらかじめ、ご承知置き願います。

追伸

この際だから、ここで書いてしまおうかな・・・。

私は、読んで下さる方には、たとえその数がどんなに少なくても、そして、その方の水準(レベル)が自分よりもはるかに高くとも、とにかく、平易に、わかりやすく書くことが、淀みなく読んで頂き、素早く理解して頂くためには一番だ、と考えています(内容や表現が読む方からしたら易しすぎても、とにかく内容が伝わることが第一と考えたので)。

そして、今までに、まったくご縁のなかった方でも、検索で奇跡的にこの場末のブログにたどり着く可能性も絶対にないとは言い切れません。

ならば、それなりに読みやすく、と努めてきたつもりです。

これでも、自分の持てる力は尽くしてきたつもりです。

で。

自分以外の人様のサイトを読んだ感想としては、自分の力不足(読解力不足)もあるとはいえ、いくつか注文をつけたいものがあります。

とりあえず、一つだけあげます。

ざっと文章を見たときに、段落分けもほぼなく、ズラーッと文字が大量に並んでいる文章(ページ)を見ると、それだけで読む気が削(そ)がれてしまいます。

やはり、汎用性をも備えつつ、内容をご自分の考え方や言葉にまとめ直した上で、それなりに短くして、メリハリをつけて頂きたいんですよね。

大蔵経ではないけれど、字だけが延々とズラーッと並んでいるのを見ると、それだけで、もうちょっと何とかして下さいよ、と思ってしまうんですよ。

私の低い能力と基準からすると、パッと見ただけで、もうアウト、読む気がしなくなってしまうんですよ。

それなりの主張があるのならば、私のような力不足の者でも読めるようにして欲しいんですよ。

市販の本でも、こうしたことが多々ありますが、せめて、ブルーライトのあるネット画面を見る、それも長時間ではないものなら、それなりに工夫をして頂きたいなあ(印刷すればいいじゃないかという話は置いといて)、と。

まあ、人様のことはとやかく言えた分際ではありませんが、とりあえず一言だけ、書かせて頂きます。

追伸2

なお、ご参考までに、(二〇一) と (二二三) については、過去に拙ブログの下記の回で扱ったものですので、経文の全文を引いておきます。

310_法話50-6
6 勝つ人は一人もいない

勝利者が勝ち取るものは敵意である。
敗れた者は苦しんで萎縮する。
心穏やかな人は、勝敗を捨てて安らかに過ごす。
(ニ〇一) (第15章 幸せ より)

306_法話50-2
2 怒りは自分を破壊し他人を破壊する

怒りには、怒らないことによって勝てる。
悪事には、善い行為で勝てる。
物惜しみには、分かち合うことによって勝てる。
真実によって、虚言の人に勝てる。
(二二三) (第17章 怒り より)

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・漫然~まんぜん~一定の目的や意識がなく、ただぼんやりとしている様子。
(用例)漫然と日を送る。

・簡潔~かんけつ~簡単でよくまとまっていること。また、そのさま。
(用例)簡潔に話す。簡潔な内容。

・簡素~かんそ~余分なものがなく、つつましいこと。また、そのさま。
(用例)制度の簡素化。簡素な儀式。

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追記: 2021/08/12 00:41 〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。