おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

342_法話50-28-1

28. わたしも同様に死ぬのだと観察する

この体は衰え果てた。
病の巣であり、もろくも滅び去る。
腐敗のかたまりで、くずれてしまう。
生命は死に帰着する。

(一四八) (第11章 老い より)

S さんによると、仏教経典には「すべてのものは消えてゆく。同じように私も消えてゆく」という言葉があるそうです。

そして、お釈迦さんが、「死を瞑想として観察しなさい」と教えた、としています。

死の瞑想とは、この世の生きとし生けるものの死、人間から始まって、動物や植物や昆虫などの死に直面するたびに、これらの死をわが身に置き換えて、「私もいつまでも生きている訳ではない。私も同じように死ぬのだ」と死を「わがこと」として観察することを言うそうです。

この瞑想を深めていくと、やがて「死ぬのがこわい、どうしよう」といった不安や恐れはなくなってくる(?)とのこと。死というものは、生きとし生けるものには、当然の理(ことわり)であって、大したことではない(??)とわかってきます(???)。

すると、人とも争わなくなります(???)。何か不愉快なことをされても「そんなことはどうでもいいや。どうせいつか自分は死ぬんだから、争うなんて馬鹿らしい。それよりも相手と仲良くしよう」というふうになる(???)そうです。

財布を無くしても、リストラに遭っても、決して投げやりな気分からではなく、「まあいいか。どうせみんな無くなるものだから」という諦観に立てます(???)。

生き方がとても楽になるのです(???)。そして、そのことに気づいた時から、「今」が充実した素晴らしい人生に変わっていくことでしょう(???)、としています。

S さんのお話は大体、以上のようになっているのですが・・・。

私個人としては、人間にとっての死の恐怖と因縁因果の転回について、ちょっと理解し難い点があります。

まあ、私のような力不足な者が、クドクド文句を言っても説得力がないので、次回に五井先生(日本の宗教家五井昌久さん)の参考になると思われる内容を引いておくことにします。

次回に続きます。

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①追記: 2024/04/27 16:38
②追記: 2024/04/27 16:41
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。