おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

351_法話50-36

36. 心によい癖をつける

悪事に生き甲斐を感じて、
それを繰り返してはならない。
悪が積み重なるのは、
苦しみである。

(一一七) (第9章 悪 より)

善いことに生き甲斐を感じて、
それを繰り返しなさい。
善いことが積み重なるのは、
楽しみである。

(一一八) (第9章 悪 より)

(お断り)私の個人的な判断で、上記各経文の段落分けを変えたり、句読点を加えたり、漢字化を行ったりの改変をしています。この点をあらかじめご了承願います。

これからのいくかの経文がそうなんですが。

以下は、私のきわめて自分勝手な独断と偏見ですので、お見苦しい点が多々あるとは思いますが、何分、力不足な者の言として、あらかじめご承知置きの上、お許し願います。

この 36 節の後にも、あるべき形がこうで、これこれこうした報い(あるいは反応とも言えるかもしれない)があるから、このようにしなさい、といった形の経文がいくつか続きます。

つまり、良いことがあるべき形であり、一種の(?)人としてあるべき好ましい快感(?)にもつながる報いや反応が得られるから、こうしろ、と。

これ、説教の一種ではないですか?

私は、この場(ブログ)を借りて、幾度となく説教は(特別な場合を除き基本的に)無効だ、と書いてきました。

それは、特別な場合を除き、説教だけでは、真善美と愛に悖る想いと行いを因縁因果として完結させるか、浄め去ることができないからです。

悪い想いと行いを完全に浄めて、輪廻転生の過程に載せないこと。

これができないがゆえに、基本的に無効だと書いてきました。

で。

私の話だけだと、到底、満足できない方がおられると思うので、S さんのお話を、ざっとですが、まとめておきます。

以下、S さんのお話です(意訳・改変・要約などあり)。

本当に自由な心とは、「どんなことがあっても波立たない、こだわらない心」です。

しかし、人は長年にわたる気持ちの持ち方の癖のために自由が得られていません。

よいことを習慣づけていけば、必ず、自由になることができます。

逆に悪いことを安易にする習慣がついてしまうと、これも習慣化されてしまうので、些細なことからはじまって、悪の習慣化をしないように、よく注意を払う必要があります。

そして、どんな時でも、よいことをしようと、心がけていくことにより、知恵も磨かれていのです。

~~~~~

・言霊~ことだま~言葉を神霊視した言い方で、言葉の持つ不思議な霊力。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2021/05/01 16:13
②追記: 2024/04/28 00:57
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。