おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

515_仏言葉ー049 ー 慎ましくいこう

第 3 章 自分が何のためにいるのかわからない

49.慎みは常に善

身について慎むのは善い。
言葉について慎むのは善い。
心について慎むのは善い。
あらゆることについて慎むのは善いことである。
あらゆることに慎んで恥じる人は、(守る人)と呼ばれる。

(サンユッタ・ニカーヤ より)

これは、身体と言葉と心、つまり、身口意(しんくい)を慎むことの重要性を語った句だそうだ。

お釈迦さんはあらゆることについて慎み恥じる人は、自らのあり方を守る人だとしているそうだ。

慎むというのは、過ちのないように気をつける、慎重にするという意味だから、こうしたあり方が、仏教では煩悩が生じにくいと考えているんでしょうね。

身口意。難しい話だ。

しかし、つまるところ、この世にあらわれてくるすべての元は肉体人間の抱く想いだ。

想いがすべてを決める。

立ち居振舞いも、言葉を発するにも、心を乱さないように整えるにも、その前に必ず、想いがあるからだ。

肉体人間の今生(今回の人生)と来世以降のあり方を決めるのは、想いだ。

しかも、その中の今生の想いは、過去世のものが、かなり含まれている。

過去世の想いによって、様々な原因となる因縁が作られ、それが今生にかなりの程度影響を及ぼしながら、結果の因果となってあらわれる(具現化する)。

良い想いを起こせば、原則として輪廻転生を通して、良い行いとしての結果がこの世にあらわれる。

悪い想いを起こせば、原則として輪廻転生を通して、悪い行いとしての結果がこの世にあらわれる。

従って、良い想いを起こせば、今生と来世以降には、それなりの良い想いが行いとなった結果があらわれるので、良い想いさえ起こして、良い行いさえすればいいはずだ。

しかし、ほとんどの人はいくつもの過去世を経てきているので、今生に過去世の中にあった悪い想いと行いの報いがあらわれてくる。

だから、良い想いと行いをしてばかりはいられず、こうした過去世で作って今生であらわれてくる、悪いことを受け入れながらも、良い想いと行いをしなければならない。

楽なことだけ、楽しいことだけ、嬉しいことだけなら、良い想いと行いをするのは、比較的簡単かもしれない。

しかし、そう簡単にはいかないのがほとんどだから、悪い想いと行いを何とかさばいて、良い想いと行いをするに限る、ということになる。

そうした時に、やはり、悪い想いを抱かないよう、想いを乱さないようにするためには、慎重にしておくに越したことはない。

感情のおもむくまま、直情径行に走る人は、竹で割ったような性格で、好ましいと思う人がいるかも知れないが、やはり、悪い想いと行いは避けるべきものであることには変わりはない。

結果として、今生と来世以降に悪い想いと行いの報いがあらわれてくることには、変わりはないのだから。

よって、この悪い想いと行い、特にきっかけの悪い想いを避けるためには、何事にも慎重な態度で臨むことは、それなりに有効だ。

だから、立ち居振舞いをするにも、ものを言うにも、心を整えるにも、慎重に臨むのは、感情を乱さないためにも有効だ。

そして、こうして、相手に対して慎重に臨めば、衝突が生じにくいし、やむを得ず衝突が生じる過去世の因縁があったとしても、少しでも傷口を広げないような対処をする余地が出てくる。

まとめると、自らの想いを乱しにくくする利点と、相手の想いも乱しにくくする利点、そして、衝突がやむを得ない因縁だったとしても、傷口を少しでも広げない可能性を増やす利点、こうした三つの利点があると思うので、何事も慎ましくことに当たるのは、好ましいと言える。

こうすることが、対人関係のトラブルを未然に防ぐことにもつながることもあるだろうし、相手についてもこれは言えることだ。

つまり、慎ましくすることは、自らの身を守るだけではなくて、トラブルの発生する余地を少しでも減らすという意味で、相手のためにもなっているのである。

この経文の「守る人」には、こうした個人的な意味合いだけではなく、相手をも含めた、お互いを守るという意味が含まれていると思われる。

つまり、「守る人」というのは、自分を守るだけではなくて、相手を含めたすべてを守る人という広い意味を含んでいると解釈できる。

良いものは、広く及ぼすには越したことはないですからね。

これは神様のみ心に適うことだから。

そう思います。

(補足)肉体人間として、一度抱いた想いはすぐには行いとしなくても、すなわち、行動には移さずに思いとどまっても、肉体人間の想いの世界である潜在意識の幽体には、残る(溜まる)。

従って、すぐには行動に移さなかったとしても、この想いが潜在意識にある限りは、この想いは、いずれまた縁に触れれば、この世にあらわれてくることになる。

想いを潜在意識に控えて押し込めただけで、浄めて消した訳ではないからだ。

よって、この想いの輪廻転生を通した、いずれかの時期のこの世への具現化を食い止めるためには、この想いそのものを、浄めて無くさなければならない。

そのためには、やはり、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をして、この想いを浄めて消して頂くことが望ましい。