おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

361_法話50-46-1

46 そのつど、そのつど、気づく

賢者は、順次に少しずつ、
そのつど、みずから汚れを除く。
鍛冶(かじ)職人が銀の汚れを除くように。

(二三九) (第18章 汚れ より)

また、以下、一通り S さんのお話を見ていきます(かなりの要約・追加・意訳・改変などあり。お釈迦様も敬称を省き釈迦とする。ご了承下さい)。

人間には、立派になりたい、清らかな心になりたいという気持ちがある。どのような宗教でも、理想的な人格の完成を目指す。しかし、大抵はうまくいかない。

ある者は、心を清らかにしようとして、極端な原理主義的な方向に走る。また、他の者は、そんなことはできない、と尻込みをする。いずれにしても、心を清らかにすることを知らないのだ。

釈迦は、「順次に少しずつ、そのつど、そのつど、磨くのだ」と言った。悟ろうとか、人を救おうとか、大胆なことを考えるのではなく、少しずつ、そのつど、そのつど、努力していくのだ。

物事には、順序がある。最初の一歩を踏み出していけば、やがて完成に至る(?)。

そして、その際には、そのつど、が大事なポイントになってくるのだ。

誰かに出会い、何かに触れて、怒りや悲しみがあらわれる。何かの縁に触れて、人を殺すなどということはないとは言い切れない(?)。つまり、そんな瞬間まで感情がたかぶるのを放っておけば、もう、リセットなんてできなくなる(?)のだ。

よいことをするにしても、悪いことをするにしても、それを「する瞬間」がある。怒る時も、嫉妬する時にも、その瞬間がある。

だから、大切なことは、そのつど、その瞬間に気づくことなのだ。怒りが起こりそうになったら、その瞬間に気づくこと。怒りが爆発しそうになったら、その瞬間に気づいて、そこに釘を打っておくのだ。そうすれば、悪というものは増殖しない。決して、人殺しや大きな悪事は起こさないのである。

面白いことに、瞬間の感情は、とても簡単に完了できる(?)のだ。気づいた瞬間に完了してしまうのだ。しかし、怒りの感情が入り込んだ瞬間、それを気づかずに放っておくと、ウィルスのように瞬時に増殖する。爆発するまで増殖するので、どうにもならないのだ。

だから、そのつどの瞬間に気をつければいい。それを続けていくことによって、やがて心は清らかになっていくのである。

鍛冶職人が汚れを落とすように、少しずつやればいい。それはどんな人でも、誰にでもできることだからだ。

とのこと。

なお、前回と今回の内容について、次回にまとめたいと思います。

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・鍛冶~かじ~金属を熱し、打ち鍛えて、種々の機械・器具を作ること。また、その人。