おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

372_法悟28-2-1

第 1 週 心の法則を知る

2. 正しいことを言われると嫌になる

下劣な生き方をしてはならない。
怠け者になってはならない。
邪見(じゃけん)に近づいてはならない。
俗世間(の価値)を肥(こ)やす者になってはならない。

(一六七) (第13章 世の中 より)

前々回 ( 370_法悟28-1-1 - おぶなより )と同様に、S さんのお話をまとめます(意訳・改変・省略などあり)。

人間の心を自然に放っておくと、卑(いや)しい、汚い、悪いことをしたくなるものだ。ただ、その時々に生じる気持ちのままに生きても、立派な生き方にはならずに、逆にとても恐ろしい人間になってしまう。

私達は人間の心にある本当の気持ちを観(み)ようとしないからわからないが、人間の心は実に恐ろしい衝動に満ちている。

社会では、その恐ろしい気持ちを少しでも抑えるために、親は懸命に子供をしつける。人間には必ずしつけが必要なのだ。

もし、これをしなければ大変なことになるので、幼少時から善悪の基準、格好や行儀の良し悪しなどを、親からひたすら言われ続けて、何とか文化人として生きている。

それでも、やはり子供はしつけを嫌うものだ。これは、子供に限らない。人間なら、ああせよ、こうせよ、と言われるのは誰でも嫌なものなのだ。これは大事なポイントだから、覚えておいて欲しい。

他人から正しい生き方、安全な生き方を教えられると、私達はとても嫌な気分になる。「ぜひ、やってみたい」という気分にはならないのだ。

結果、そのために、人生の様々な場面で軋轢(あつれき)を起こす。幼少時は、父母を鬼呼ばわりしてケンカをして、学校でも先生達に逆らいケンカをする。だが、社会人になったら、生活のためにも、上司には逆らえないから、精神的なストレスが溜まり、仕事もはかどらずに苦しくなる。このようなトラブルだらけの人生を送る羽目になるのだ。

それはなぜか。人間の心は元から、卑しい、汚い、悪いことが好きだからだ。人から正しい道や生き方を言われるのは嫌なのだ。

しかし、その嫌なことに、どれほど堪え忍ぶことができたかにより、立派な社会人になるかが決まるのだ。親のしつけや会社の上司の厳しい指導にどれほど堪え忍ぶことができたかにより、社会人としての成功の度合いが決まる。嫌な話かもしれないが、そうしなければ立派な社会人にはなれないのである。

私達は現代人として「心の法則」をよく理解した方がいい。「心は悪いことが大好きで、悪いことしか好まない」と。

自分が心の恐ろしい感情をどれだけ克服できるか。それが人生の勝負どころだ。自分が自らの恐ろしい心を克服できた分だけ、成功した社会人として穏やかに生きていける。

もっとも、自分の心に完成に打ち克った人は悟りを開いてしまうが・・・・・。

恐ろしい感情に満ちた心を完全に治すには、瞑想をして悟るしか道はない。しかし、悟りを得るのは、難しいから、次善の策として、何か自分を守る方法はないのか。

ならば、ブッダ(お釈迦さんのこと)の教えに耳を傾ければいい。

彼の教える方法の一つは、自分自身にプライドを持つことだ。「自分は決して情けないことはしない。品格を持って格好よく生きて見せるぞ」と決め、上品な気分になることだ。「自分は生まれつき品格のある人間なのだ。それにそぐわないことは絶対にしない」と心に決める。

その辺のだらしない人間(ひどい・・・)ではなく、誰よりも優れた人間になるのだ、というプライドを持って生きるのだ。

しかし、このプライドは、自分が金持ちの息子だとか、親が有名人だとか、そうした俗世間の間違ったものではない。俗世間の間違ったプライドは、自己破壊を招くだけだ。

ブッダがすすめるのは、人格的なプライドを持つことだ。例えば、「私は貧乏だが、金の力には屈しない」という気概を持つことなのだ。

こうした人格的なプライドを持つと、しつけをされることがまったく嫌ではなくなる。間違いを指摘されれば、ありがたく感じるものなのだ。しつけによって、自分の人格的なプライドが保つことができる、守れると理解できるからだ。

次に大事なことは、怠けないことだ。人生は、いわば生放送のテレビ番組のようなものだ。録画してから何度も再生し直し、編集し直すことなどできない。だから、秒単位でやるべき仕事をすべきだ。それができなければ、「お前は失敗した」と言われて、人格的なプライドが傷つくのだ。

怠けて失敗した場合は、しつけをされるのではなく、しかられることになる。しつけはありがたくでも、しかられるのは恥ずべきことだ。

人生に成功したければ、しつけには心から感謝して、しかられることを嫌うことだ。そうすれば、怠けることはできなくなってしまう。

それから、世にはびこっている、邪見(おかしな考え方)に振り回されないことだ。もちろん、人格的なプライドを持っていれば安心だ。おかしな考え方は決して頭に入らない。

逆に人格的なプライドがない人は非常に危険だ。異常なまでに欲望を刺激するマルチ商法やカルト宗教、金目当ての自己啓発セミナーの渦に引き込まれ、恐ろしい暗示をかけられたり、洗脳(マインド・コントロール)されたりするからだ。

そうなってしまうと、どんなに危険でも、恥ずかしいことでも、悪いことでも、人前で平気でやれるロボットのような人間になってしまう恐れがある。

しかし、自分は情けないことは絶対にしない、という人格的なプライドを持っていれば、決してロボット化されることなく、自分自身で生きていけるだろう。

四つ目のアドバイスは、世の中のどこにでもいるような人間になってはいけない、つまり、「ありきたりな人間になるな、一般人のレベルを乗り越えよ」ということだ。その辺の誰もがやっているようなことで、認められたり、誉められたりするのを期待するのは、プライドのない生き方である。みんなが近寄ることができないほど自らを向上させ、特別なプライドをもつ人間になってしっかり生きること、それがブッダのすすめる生き方なのだ。

また、ちょっと・・・と個人的には思う内容ですが、S さんのお話は以上です。

次回は、少しばかり私見を書きます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2021/05/29 19:27
②追記: 2024/04/28 20:11
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。