おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

385_法悟28-9-2

第 2 週 人生苦と向き合う

2 時を逃してはならない

若い時に、財を得ることもなく、
修行もしないのなら、
魚のいない沼にたたずむ
(老いた)白鷺(しらさぎ)のごとく、
やせ衰えてしまう。

(一五五) (第11章 老い より)

若い時に、財を得ることもなく、
修行もしないのなら、
的を外れた矢のように朽ちる。
昔のことばかり思い出して悔やみながら。

(一五六) (第11章 老い より)

また、個人的な独断と偏見です。

まあ、これらは要するに、鉄は熱いうちに打てってことですかね。

ただ、 S さんの言い回しは、訳の関係かどうかわからないが、私には理解できない部分があるんだなあ。

例えば、時間は一定の速さで絶えず変化している、とか。あと、疑問なのは、時宜を踏まえ上手く行く時があっても、それが順風満帆に続くとは限らないこととか。

まあ、あまりウダウダいっても仕方がないので、一つだけ。

時を逃したらどうするの、ってこと。

逃したら逃したで仕方ないじゃありませんか。

それなりに、突っ張って、這いつくばって、やっていくしかありませんよ(ある歌の歌詞を参考にしました)。

今日から、今から始める。

これだけです。

こんな風に、もうダメだ、とガチーンとぶちのめしても、救いは一切ありませんよ。

こんなことを上からドーンと言われて、反転攻勢に出れる人は、それほど多くはないのではありませんか。

真善美に悖る、業想念を抱く可能性の方がずっと高いと思うんですけど。

寿命がある、(神様に)生かされている。

ならば、何かしら神様に期待されている働きがあるのかもしれない(五井先生はあるとして、天命を信じて人事を尽くせ、としていた)と思って、祈りと感謝行を踏まえながら、よく考えて生きていくのが、いいんじゃないか、と考えます。

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追記: 2021/05/25 01:50 〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。